その3


え、何?これ、まさか…じょ、女装?

目が点になる、というのはまさしくこの事だと思う。

だって何にも考えられない。今、私の目の前にいる彼はいつもの彼じゃなくて…。

「…悪いが俺にそのような趣味はないんでな」
「俺?オイオイ、何の冗談だよそりゃ…どっからどう見たっておん、」
「俺は女じゃない、男だ。先程お前が馬鹿にしていた蛾の集まりの内の一人でもある」
「ハァ!?」

…正直、目をかっ開いて驚いている男の気持ちが痛いほどよく分かる。

だってここにいるのは、男じゃ…桂じゃ、ないみたいなんだもの。

艶やかな藍色の、女物の着物を纏い。顔にはうっすら化粧も施して。どこからどう見たって女にしか見えないその美しさ。

女の私よりも女らしいその姿に一瞬心が折れかけたけれど。

「…あ、あの、桂?どうしてここに?」

その、仕事中…だったんだよね?と首を傾げながら、その着物の袖を引っ張って。

すると、すぐ近くにあったその目に困惑している私が映る。さらり、束ねられた長い黒髪が動きに合わせて垂れて。

「ナマエが呼んだからだろう?俺の事を」

そう言って伸びてきた大きな手に、ふわりと頭を撫でられる。

…どうして?さっきと全然違う。ただ怖かったあの男の伸びてくる手が、今はこんなにも待ち遠しい。

どうして?そんなの決まってる。

…相手が、桂だから。

ゆらゆら、目の前が霞んで上手く見えない。

ねぇ、聞こえたの?私の声。

…呼んだの。大声でね、アンタを呼んだんだ。怖くて、心細くて、泣きたくて。

探してたの。全然帰って来ないから。全然、会えないから。

「か、つら…わ、わた、私」
「…もう大丈夫だ、俺がついている」
「あ…あ、」
「怖かっただろう」

もう大丈夫だからな、と包まれる温もりに。涙が溢れて止まらない。縋りついて泣いていれば、どこからかオイ!と声がする。

あ、そうだ。さっきの勧誘男の存在忘れてた。

「テメーら!こっち無視してよろしくやってんじゃねェよ!」
「…なんだ、せっかくの良い雰囲気が台無しではないか。邪魔するな外道」
「あ、悪い…って何で!?」
「こういう時はお前、黙って席を外すものだろう。空気が読めぬ男だな」
「ハァ?何なの?お前ら本当に何なの?」

そう言ってやけに突っかかってくる男に桂が一言。お前もう帰ればァ?馬鹿にしたようなその言葉と態度に腹を立てないはずがない。

けれど男は深く溜め息を吐いてから、もう面倒くさいわ!お前らなんかこっちからお断りだわ!と私達に背中を向けて去っていく。

途中、自分からぶつかった浪人にイチャモン付けてたけど逆にボコられてて少し笑ってしまった。

アレ?おかしいな、さっきまであんなに怖かったのに。…変なの。

ボコボコになった男から桂に目を移せば、ちょうど同じタイミングで目が合って。慌てて逸らそうとすればそれを遮るように桂の手が顔に添えられる。

「ちょ、え?桂?」
「…それにしても、どういう事だ?女子がこんな所に一人で来るなんて危ないにも程があるぞ。俺がお主の声に気付いていたからこそ無事だったが、気付かなかったらどうなっていた事か…」
「あ、ごめん…なさい」

あまりにも真っ直ぐなその目に何も言い返せなくてシュン、とする。…だって、桂の言う通りなんだもの。

彼がいなければ。彼に、気付いてもらわなければ。私は今頃どうなっていたか分からなくて。

だから、だからね…伝えようと思うんだ。今さっき気付いたばかりのこの気持ちを。

「…いや、すまない。俺も少し言い過ぎたな。お主に何も伝えぬまま出ていった事も悪かったと思っている。ただ、どうしても言えぬ事情があった故仕方なく…」
「ねぇ、桂。私の話聞いてくれる?」
「ん?あぁ、どうした?」

何でも言ってくれ、と。胸を叩いて笑う貴方がね。

「あのね…大好きっ!」
「っ!?」

そしたらきっと、貴方は真っ赤な顔して笑うから。

end
→アトガキ

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