その3


「こ、ここ…だよね?」

息を切らせて辿り着いたのは、幾松さんの言うオカマバーというやつで。ドンチャン、中から聞こえてくるのは野太い笑い声とノリの良い音楽。

…きっとここに、桂がいる。そう思うと何か、その…妙に緊張なんかしちゃったりして。2〜3度扉の前で深呼吸をしたら、いざ、分厚い扉に手を掛ける。

すると、すぐに背後で声がして。

「…あれェ?お姉ちゃん。もしかしてバイト希望?」
「え?」

振り向けばそこにいたのは、ニヤニヤと怪しい笑みを浮かべて此方を見ている気持ち悪い男。

まるで舐めるような視線に不快感を覚えながら首を傾げれば、クククと可笑しそうに喉の奥で笑う。

…自分では似合っていると思っているのかもしれないが、ド派手なピンク色のスーツを纏ったその姿はお世辞にも素敵とは言い難い。

「…何か?」
「だからァ、バイト希望者でしょ?だったらそんな蛾の集まりみたいな店よりウチで働きなよって言ってんの。あ、とりあえずハイこれ名刺ね」
「いや、私は別に…」
「そんで店はこっち。あそこに看板あるでしょ?ペロハメ天国かぶき町店。あ、一応系列なのね、ウチ」
「い、いや…だから私は」

…ちょっとォ!さっきから何なのこの人!?誰がいつオカマバーでバイトしたいっつったよ!?耳どうなってんのマジで!?しかもペロハメ天国って確実にそっち系じゃん!やばいってコレこのまま行ったらまずいってェェエ!

相手が引いているなんて微塵も思ってないらしい目の前の男は、ペロハメ天国について尚も熱く語っている。…いや、マジでもういいって。それ以上聞きたくないからキモいから。

「や、あの、スイマセン。私ちょっと…」

用があるんで、と目も合わさずにそう言って足早に歩き出した瞬間、グイッと腕を引かれて立ち止まる。

…その手が、誰のものかなんて分かりきってるせいか全身に鳥肌が立っちゃって。

「っちょ、離してっ!」

腕を振り払って慌てて距離を取ろうとしてみても、男はそれを許さないとばかりに近付いてくる。それどころか、いつの間にか壁際にまで追い詰められていて。

「…お姉ちゃんよォ、そりゃないでしょ」
「な、」
「ここまで聞いといてさァ、今更逃げらんないよ?」

だからさァ…責任取れよ?そのカラダで。耳元で囁かれた男の声がやけに頭を支配した。まるでとんでもなく固い鈍器か何かで殴られたような衝撃。

…責任?カラダで?それが分からない程、私だって子供じゃない。それは、つまり。

「っや!嫌!離して!離してよ!」
「うるせーな!黙ってろ!」
「い、嫌っ!いやぁっ!やめて!離し…んぐっ!」
「…ックソ、うるせー女だなァ」

乱暴に掴まれた腕、口元を覆う大きな手。…なに、これ、怖い。

だけど泣いちゃダメ。泣いたら相手の思う壺だ、と自然と浮かぶ涙には耐えた。けれどどうしても、全身を襲うこの震えだけは止まらなくて。

怖い。嫌だ。離して。触らないで。

「っ痛!テメ、噛みやがって!」
「っか、つら!桂!やだ、桂ぁ!」
「クソ女!逃がしゃ、しねェッよ!」
「!っいやぁ!」

男の手を思いきり噛んで腕の中から飛び出せば逃すまいと手が伸びてくる。髪の毛を引っ張られて、肩を掴まれて。それでも抵抗していたら振り上げられた拳に肩を竦めて目を瞑れば。


「…おい、貴様。一体誰の女に手を上げている?」

すぐ、近くで。聞こえたの。今一番聞きたかった声が。

「ハァ?誰の女かァ?そんなん知るか!こちとら金落としてくれんなら誰だっていんだよ!」
「…ほう、とんだゲスい仕事のようだな」
「ハッ!ゲスで結構だ!…あぁ、ちょうど良い。だったらアンタがそいつの変わりに働くか?アンタくらい美人な女なら客も喜ぶだろうよ」

見上げた先にある顔は、確かに見覚えがある。声だって私のよく知るあの人だ。

…だけど、なんだろう。何か違う。いや、何かっていうか…明らかに分かりきってる事じゃあるんだけど。

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