その3
「ねぇ、幾松さん」
「ん?」
「…最近、さ。桂と会った?」
そう言ってカウンターの中で作業をする彼女を見上げれば、パチパチ。何度か瞬きをした後、そういや最近見ないねぇ?と洗ったばかりのグラスを拭う。
「…じゃあ店にも来てないんだ」
「店にもって事は、アンタん家にも?ヘえ…どうしたんだろうねぇ。ついこの間まで住んでたんだろ?二人で」
「二人じゃないから!何で今そこ強調したの?言っとくけどエリザベスもいたからね!二人と一匹だからね!」
そう。結局私は、何故か桂推しの大家さんの押しに負け、彼と一緒に住むという事を受け入れてしまったのだ。
そこには当然、自称奴のペットであるエリザベスもついてきた。
数週間くらいは確かに居たの、一人と一匹。だけどある日を境にパッタリと。
…そりゃ気にならないって方がおかしいでしょう?
「で?アンタはその内縁の夫の行方が気になる、と」
「誰が内縁の夫!?誰の事言ってんの!?冗談でもやめてくれる!?」
「ハイハイ、分かった分かった」
「何その生温かい目は。やめてくんない?違うから。そーゆーんじゃないから」
断じて違うから!声を張り上げそう言う私を幾松さんは片手で制する。それで、手掛かりは何も?と真剣な顔をして元の話題に戻してくれるからホッと息を吐いて話を続ける。
「うん…何も。手掛かり所か、どうして寄り付かなくなったかさえ分かんないし」
そう、理由が全く分からないのだ。
…いや、思い当たる節がないと言った方が正しいか。
桂と出会ってから口論なんて一度もした事ないけれど、それらしいやり取りをした記憶もなければ酷い事を言ったつもりもないわけで。
そうなると、もしかしたら私は気付かぬ内に桂の事を傷付けてたのかな?とか考えるようになっちゃって。
挙げ句、凄くモヤモヤしだして。私、何をしちゃったんだろう?何がいけなかったんだろう?って、そればっかりがずっと頭の中を回ってて…
「なに、してるのかなぁ…って思うの」
もしかして、怒ってたりするのかな?それとも呆れちゃった?
…分からないの。見えないその姿に、不安になる理由も。
「…アンタさ、それで気付いてないの?それとも、 敢えて知らんぷりしてんの?」
「え?」
何が?首を傾げた私に彼女は前者か、と呟いて溜め息を吐く。
え?何?なんで溜め息吐いてんの?
訳も分からず眉間に皺を寄せれば、しょうがないから一つだけ教えてあげるよ、と小さな声で耳打ちされて。
「え!?それ本当!?」
「多分ね。私も直接見たわけじゃないんだ。聞いた話だから定かじゃないけど…」
「分かった。ちょっと行ってみる!ありがとう幾松さん!」
ガラガラ、ピシャンッ!出された蕎麦もほどほどに彼女の店から飛び出したのには訳がある。
『かぶき町にあるかまっ娘倶楽部っていうオカマバーで、まるでオバケのQ●郎みたいな格好の奇妙な生き物が働いてるって話だよ』
…そんな、まさにエリザベスの為にあるような伝え文句を聞いたら黙ってなんていられない。
その話の人物?は多分、いや絶対エリザベスだ。ていう事は、そこにはきっと桂もいるはずで。
どうして家に帰らずにオカマバーなんかに?まさか、そんなに私が嫌だったの?会いたくないほど?…なんて、どうしても浮かぶのはネガティブな事ばかり。
けれど、それよりも私は彼らに、彼に…会いたいから。
飛び出した勢いのまま、そのかまっ娘倶楽部へと向かう私には全く聞こえちゃいなかった。
「ちょっと!こんな時間にあの場所うろついたら危ないよ!」
開けっ放しにしたままの出入口まで追いかけてきた幾松さんが、背後でそんな事を言っているなんて。
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