それでは誘惑の準備を


団子屋の看板娘として働いて、早十何年。そりゃまぁ、いろんなお客さんを相手にしてきましたとも。

たとえば食い逃げしようと企むどこぞのマダオやら。はたまたドSな武装警察やら。

だから、なんていうか。変わった客には慣れてるっていいますか。

「あ、こんにちは!いらっしゃい!」
「…あァ」
「いつもの、でよろしかったですか?」

スッと、まるで周りに溶け込むかのように静かに店内の椅子に腰掛けた一人の男。笑顔を向けて話しかければ肯定の意を示す小さな頷きが一つ返ってくる。それに対して、分かりました!と頭を下げて。

…少し前から、時々フラリとやって来ては同じものを頼む彼。そのあまりに目立つ風貌と漂うただ者じゃない感に、誰か、なんてすぐ気が付いた。

ど派手な女物の着流しに目深に被った傘。いつでも漂うのはうっすら香る煙管の匂い。…そう、彼の名前は高杉晋助。世を賑わせている超過激派な犯罪者。

…犯罪者、とは言っても。どうやら噂に聞けばその昔、天人からこの星を守るために戦ってくれた人なんだとか。

えーと確か、攘夷志士?だっけ。お上に逆らってまで私たちを救おうとしてくれたとかなんとか。

…まぁ、とはいってもそんな昔のことを今更持ち出して指名手配なんかしないだろうから、それ以外に何かしたのかもしれないけれど。

チラリ、商品が乗ったおぼんを彼の元に運びながら目をやるとパチッとかち合った視線。少し深めな傘から覗く鋭い目に何度か怯みそうになったこともありました。だけど、ね。

「お待たせしました!いつもありがとうございます!これ、私からサービスです!」
「…は、」
「ごゆっくりどうぞ!」

こんな、どこにでもあるようなしがない店で。

静かに団子を待つその背中は、とても犯罪者になんて見えない。…だから私にとっては彼も、ただの常連さんの一人。

コトリ、とテーブルに団子とお茶を置いてまた一つ礼をして。その場から離れようと踵を返した時に。

「…お前、名は?」

聞こえた、その声に驚いて振り向いて。

「え?」

…名前?え?私の?ポカン、と口を開けて彼を見ていたら訝しげな目を向けられる。

だってだって。今までこうして何度もやり取りをしてきたけれど、一度もそんなの言われたことなかったから。

上手く言葉が飲み込めずに首を傾げていたら、あ?言う気ねェのか?と凄まれて。

こ、怖っ!やっぱりこの人犯罪者だ!目が語ってるよ!犯罪者だってその目が語ってるよ!

半ば泣きそうになりながら慌てて、ナマエです!と返せば急に面食らったような顔をして。それから。

「…フ、別に取って食やしねェよ」

ふわり、見たこともないような優しい顔で笑うから。カカカッと途端に顔に熱が集まりだす。

「っそ、そうですか!じゃ、失礼しますっ!」

本当にこの人犯罪者なの!?まるで色街にでもいそうな雰囲気醸し出してるんだけど!

それだけ言うと、ぐるん!と勢い良く方向転換。

真っ赤な顔を隠すように背中を向けてその場を去ろうとしたのにも関わらず、押し殺したような笑い声が聞こえてきたら黙っていられるわけもなく。

くるり、振り返って。これでもか、と目を細める。

「…もう絶対オマケしてあげないんだから」

そう言えば口元に笑みを称えたまま彼は言う。

「俺ァ、頼んだ覚えはねーんだがな」

その余裕そうな表情にまた腹が立つから。

「〜っ!本当に意地の悪い人!」
「残念だったな。俺ァ、良い女には優しいんだよ」
「何それ!?私は良い女じゃないって!?」
「…もういらねェ。後は全部やる」
「ちゃっかり全部食べてんじゃん…って話逸らした!あ、ちょっと!」

湯呑みの中に半分だけお茶を残して席を立った彼。何も言わずに店を出ようとするその後を、おぼんを置いて追いかけて。

…お団子の料金はね、さっきテーブルの上に置いてあったのが目に入ったの。

だから別に、私に彼を追いかける理由なんてないんだけど。

…どうしてだろう?

「ちょっ!ちょっと!待ちなさいよっ!」

足が、止まらないんだよね。

「待っ…へぶっ!」

追いかけて追いかけて。気付けば店の外に出ていた。急に立ち止まったその背中に思いきりダイブしたかと思えば聞こえたのは。

「…まだ何か用かァ?」

まるで気の抜けたような…呆れたような、そんな声で。

初めて聞いたその声に弾かれたように顔を上げれば私を見下ろす彼とまた目が合う。あ、あれ?この人って、こんな綺麗な目してたっけ?

「…あ、その…な、なんでもない!」

いつの間にか握っていた彼の着流しを離すと同時に顔も背ける。…なんでだろう。なんでこんなにドキドキするの?私、どうかしちゃったの?

ぐるぐる、もやもや。胸の中を這い回る不思議な感情に首を捻っていたら、突然スッと降りて来た影。ふと見上げたら、すぐそこに不敵な笑みを浮かべる彼がいて。

「な、」
「ナマエ」
「ひゃいっ!?」
「…クク、また来らァ」
「っあ!ちょっ!」

まるで耳元で囁くように名前を呼んで、また一つニヤリと笑う。妙に色気を振り撒きながら遠ざかっていく背中をひとしきり見つめた後に気が付いた。

…あ、私今初めて名前呼ばれた?

「〜っ!」

さっきとは比べ物にならないくらいの熱が顔中に集まってくる。…なんなの、なんなのアイツ!!半分意地になりながら、熱を冷まそうと勢いよく顔を扇いでいたら通りすがりのおばちゃんに。

「あらナマエちゃん、恋でもしたかい?」

目がハートだよ、と笑いながら言われたらもう認めるしかないですよね。

…ハイ。どうやら私、あの犯罪者に恋しちゃったらしいです。

end

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