くのたま一年生の苗字名前は、保健委員の面々を親しみを持って尊敬している。
例え不運を連発して発動させようとも、そのせいで保健室が一日に三回ほどぐちゃぐちゃになったとしても怒ることはなかった。 『人間長所があれば何かしらの欠点もあるものです』 と至極冷静に言いながら手早く保健室を片付けるその姿をキラキラとした目で他の忍たまの一年生二人が見ていたのは未だ記憶に新しい。
名前は保健委員会に推薦やくじの類で決まったわけではなく、委員会選挙の時に自主的に立候補した人間であまり不運とは関係の無い人間だった。
名前が保健委員会に立候補した理由は、医学の事について学びたいからという真摯なものだった。 はじめのうちはくのたまには人一倍痛い目に合わされてきた保健委員の忍たま達は遠巻きに少し怯えながら名前を見ていたものの特に忍たまたちをいびる様子は無く、むしろ人一倍熱心に教えを請う姿勢に、徐々に受け入れられていった。
保健委員会の人間は、名前を妹のように、友人のように思っているし 名前もまた保健委員会が大好きだった。
そしてこれは、名前が保健委員たちに受け入れられてから少しした頃の話である。
「げ、保健委員!」
「おい、近寄るなよ不運がうつるぞ」
「違いない!一度で良いから汚れてない保健委員を見てみたいものだ」
「清潔が第一、って言いながら穴に落ちてたらざまあねえよな!」
落とし紙の補充をしているときに、ふと聞こえた会話。
今日は三年生である三反田数馬と一緒に学園中をまわっていた。 少し距離があるものの、それでもわざわざ聞こえるように言うのだから勿論二人の耳にもしっかりと届いた。
声の方に視線を移せば、こちらを見てにやにやと笑っている生徒が二人。 制服の色は紫。
名前は見てすぐに名前が出てこなかったので、あまり目立つような生徒ではないだろうと判断する。
名前は一年生らしからぬ落ち着いた性格だったのでいい歳をして下らない事をするものだ、とあっさりと脳内から二人の存在を抹消した。 あの手の人間のことを記憶するための脳細胞が勿体無い。
あっさりばっさりと切り捨ててから、 行きましょう、と促そうと数馬を見れば顔を赤くして泣きそうなのをぐっと堪えている。
思わず声をかけようとすれば、名前の視線に気づいたらしい数馬がちょっと困ったように笑いながら名前の手をひいて
「行こうか、名前」
と、小さな声で言ったので名前は眉を顰めながらも頷いた。 引っ張るようにして手を引く数馬が、小さな小さな声で
「ごめんね、名前。嫌な思いをさせたよね、ごめんね」
俯きながら何度も謝るの数馬をその度『先輩のせいでもなんでもありません』と否定したけれどそれでも言葉が止むことは無かった。 名前は暫くそんな数馬をじっと見た後、繋いだ手にきゅっと力を込めてからほんのわずかに後ろを振り返った。
げらげらと、下品に笑う見知らぬ上級生二人をじっと見つめて、記憶した。 本当は嫌だったけれど、そうも言っていられなくなったからだ。 名前はほんの数秒だけ見てその二人の顔を憶えてから、その場を立ち去った。
そして、それから三日がたったある日の事。
「あ、おいあれ見ろよ!」
「保健委員会に入ったっていうくのたまの一年生か」
紫色の制服を着た忍たまの二人組が、ふと一人の少女に目をとめた。
普段はやや無表情気味なその顔は、珍しく上気して何処となく嬉しそうに小走りで通り過ぎていく。 その手には、綺麗に包装された一つの包みが。 記憶が正しければ確かそれは新しく出来たという茶屋のもので、甘味が絶品だとよく行列が出来ているお店のものだった。
大事そうに、ぎゅっと胸の辺りで潰れない程度に力を入れて抱きしめていて少女が向かう方角には保健室がある。
暫く少女を眺めていた二人は、どちらともなく顔を見合わせて笑い合い素早く少女のもとへと近寄った。
まだ入学したての少女にとっては、それは突然人が現れたように見えたのだろう。 びく、と体を震わせてから二人の姿を見て慌てて包みを後ろに隠した。
すかさず、もう一人が後ろにまわりその包みを少女から取り上げる。
「あ!」
突然手から重みが消えた少女は、慌てて後ろを振り返りますが二人はその包みを少女の手の届かない所へと高く掲げてしまう。 手を伸ばしてその場を飛び跳ね、何とか取り返さんとしている少女に笑い声をあげながら言った。
「なんだ、お前良い物持ってんじゃないか」
「保健委員のやつらに持っていくんだろ? 止めとけ止めとけ!どうせまたいつもの不運でこれも駄目になっちまうんだ」
「そうだ!なあ、代わりに俺達が食べてやろうぜ!」
「そうだな!お前達には勿体無いしな!」
そう言いながら、包み紙をびりびりと破き、中にあった団子を少女の目の前で思い切り頬張り、
そしてそこで二人の意識は途絶えた。
「……名前?」
「授業の一環です」
青い顔をして、布団で唸っているのは紫色の制服の二人組。 そのすぐ横で保健委員長である善法寺伊作と、名前が正座で向き合っていた。
呆れたように名前の名前を呼んだ伊作に、名前は表情を変えることなくしれっとそう言ってのけた。
『毒団子を作って忍たまに食べさせましょう』
それはくのいち教室で一番初めにやる実習授業。 大抵のくのたま達は、同じ年頃の忍たまへと『お近づきの印』という名目で食べさせることが多く、伊作自身もそう言われてうっかり口にして保健室で唸っていた記憶があるので少し遠い目をした。
それでも、はじめに入れる薬は下剤だったり痺れ薬だったりが多いのに保健室に運ばなければならなくなるほどの薬が入っていた、というのは不思議な話だ。 そして本来ならば一刻ほどで痺れがとれる筈の、基本的な薬だった。
「大体、何を入れたらこんなになるの」
「…どうも痺れ薬の分量を間違ってしまったみたいです」
私もしかして補習でしょうか。 そう言いながら、しょんぼりと目線を落とす名前。
伊作は思わずフォローしようとしたけれど、普段から保健委員として薬を扱っている人間が果たしてそんな初歩的なミスをするだろうか?と思いなおす。
「大体、何で有名な茶店の包み紙に包んだの」
「だってそのまま持ち歩いては折角作ったお団子が砂埃をかぶってしまうじゃないですか。 それは日ごろ清潔を心がけている保健委員として駄目だと思ったんです。 それにその方が見目が良いかな、と」
「………名前」
「嘘じゃありません」
「本当だ、とは言わないんだよね君は」
あくまでじっと目を見たまま淡々とよどみなく言うので、きっと自分じゃなければ流されてしまっていただろうと伊作は思う。 一ミリも譲る気の無いらしい名前に伊作は頭が痛くなった。
…先輩思いなのは結構なんだけどなあ。
一応言わなければいけないことは、筋を通さなければいけない。 内心では手放しで『よくやった』と褒めてやりたい心境ではあるのだが。
本格的に叱ろうと姿勢を正しかけた伊作よりも先に、名前は口を開いた。
「だって、その先輩方がわざわざ "俺達が食べてやる" って言ってくれたんです。 もしも善法寺先輩がこの時期私達くのたまの一年生がお団子の包みを持ってその辺をうろうろしているのを見たら、どうされてました?」
「全力で逃げてるよ」
「ええ、だから私たちは皆まだ何も理解していない一年生を狙います。 けれどもう皆渡し終えちゃったのか、忍たま達が警戒しちゃって困ってたんです。 きっとそれを知っていた心優しいこの先輩方が協力してくれたんですよ」
そうとしか考えられませんよねえ。 だって、上級生なんですもの普通時期的にぴんと来ますよねー。 うわあ流石上級生ですよね、私もそんな風になりたいです。
おざなりにそう付け足された言葉は、取り繕う気さえ無いらしく見事な棒読みだった。
名前の言葉の裏をきちんと読み取った伊作は、この布団で脂汗を流しながら唸っている生徒二人を見て目を細めた。
元々委員会が決まり、学園内も落ち着いてきた頃にこうして心無い言葉を後輩に投げかける人間はちょくちょくいたのだ。
つい数日前に、明らかに落ち込んだ様子の数馬と、普段どおりの顔をしながらも何かを思案している様子だった名前と、そして繋がれている手に『ああ何か言われたな』とは思っていた。
時機をみてそれとなく、伊作の方から犯人に釘を刺しておくつもりだった。
目の前で適当に手拭いを絞り、近くで寝ている一人の額に押し付けている名前を見て伊作は困ったように笑った。
「…そうだね、凄い人もいたものだ。 きっと物凄く後輩思いなんだろうね」
「本当に。 それにしても『偶然』分量を間違えてしまったものを食べてしまうなんて…。 ……ああ、もしかしたら…」
「もしかしたら?」
そして、少女は暫くぶりににっこりと笑顔を浮かべて。
「この二人、ちょっと運が悪かったのかもしれませんね」
輝かんばかりにそう言い放った名前の言葉の真意に気づいた伊作は、背筋に冷たいものを感じる。
正直、心配はしていたのだ。 最上級生である自分がこの二人を注意するなり牽制するなりしても角は立たない。 けれど、一年生でしかもくのたまである名前が仕返しをしてしまったら後々自分や他の保健委員の人間が何か言われるもしくはされるかもしれない。
この二人の制服は紫。 つまり、四年生だ。 保健委員会は伊作以外はこの二人よりも年下で、忍術の腕も劣るだろう。 だから後々のことを考えて、伊作は名前を叱るつもりだったのだが。
しかし、今この目の前で笑っている少女はそのことも十分に計算に入れていたようだ。
つまり、こうだ。
この二人が目を覚ましてしまう前に、名前の言うことを事実として広めてしまおう、と。
もしその噂が広まった後でこの二人が仕返しをしようとするならば。 後々くのたまの、それもまだ入ったばかりの一年生の術に引っかかった事からそもそもそれに至った経緯までもが芋蔓式にばれてしまう可能性が高い。
やり返す代わりにそれ相応のリスクを背負うか。 それとも、心優しい先輩がくのたまの一年生の課題を手伝ってあげた、ということにするか。
まあ、どっちに転んでも名前にとっては悪くないものだ。
……しかし、この歳でそこまで計算してやっていたのだとしたらとんでもないことだ。
目の前でにこにこと満足そうに笑いながら、二人の様子を見に来たらしい生徒や教師達にさっき伊作に言った言葉と同じ事を説明する名前を見ながら思う。
本当に彼女が敵じゃなくて良かった、と。
因みに余談だが、名前は分量を間違えた点については減点されたものの、上級生を引っ掛けるとは素晴らしい!と別に加点をされて、たいしたお咎めも無く済んだのであった。
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かなり難産でした…!
時間があればもう少し整えたいです。
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