【竹谷八左ヱ門の選択】
目の前でにこにこと笑う名前。 手には、お菓子と黒猫変身セットが。
…え、なにこれ俺にどうしろって?
突然のことに思考がついていかない。 ついていかないけれど、俺にとってろくでもないことが起こるという事はひしひしと伝わってくる。 目の前の名前の無邪気な笑みにちょっと泣きそう。
「…えーと、これは…?」
「うん、ごめんね竹谷君。 話せばちょっと長くなるんだけど…」
普段ならば、その手に持っているのはお菓子だけだっただろう。 俺は一年生の頃からそうしてこいつの毒入り団子だの痺れ薬入りの饅頭だのを食べてやってきたのだから。 今では毒に対して耐性ができつつあり、簡単なものなら一口食べただけで何の薬が入っているかわかるようにまでなってきている。
だからまあ、その手にあるお菓子は良いとしよう。 良くはないんだけど、まあ、…良いとしとこう。うん。
問題はもう片方の手の上に乗っている、黒猫の耳と尻尾と首輪だ。 やたら出来が良くて、毛並みが本物そっくりだ。
こういうことに対して手間暇を惜しまない人間を、俺は知っている。 このクオリティはまず間違いなくヤツだ。
「えっとね、竹谷君にはどっちかを選んで欲しいの」
「どっちか?」
少しだけほっとする。 もしかしたら、両方とか言い出すんじゃないだろうかと思っていたから。 でも、それならなんでちょっと眉を下げて困ったような顔をした? ちょっとだけ言いづらそうに視線を外してから、続けた。
「こっちのお菓子はね、今回は私が作ったんじゃないの。 えーと、三郎君作なの」
「え、そっちが?」
「で、こっちの黒猫変身セット。 これもとある人から貰った物なんだけど…」
「…絶対にどっちかを選べと?」
「うん、それでね? 竹谷君が選ばなかった方を私が…その、」
試さなきゃいけないんだけど…。
最後の方は消え入りそうな声だったけれど、確かにそう聞こえた。 俺は黒猫変身セットを作ったある人って誰だ? 三郎じゃないのか? とか、そんなことを考えていたから意味を理解するのに数秒遅れた。
ということは、あれか。
俺がそのお菓子のほうを選んだらこいつがこの黒猫変身セットを着用する。 俺がそっちの黒猫変身セットを選んだら、こいつがこの得体の知れない菓子を食べなければならなくなる。 しかも、三郎作の何が入ってるかわかったもんじゃないものを。
…まあ、これはもう答えは決まりきっているだろ。 こいつの体に何かがあったら困る。 特に三郎作ってところが引っかかるし。 仕方ない、こいつには黒猫変身セットをつけてもらおう。 ………べ、別にこいつが猫耳つけたところを見たいわけじゃないんだからな!?
いや、見たいけどさ。 うん、こいつの黒髪に良く映えるだろう。 かなり可愛いことになるだろう。 うん、正直役得です。
「じゃあ俺が菓子を食べる」
「でも、大丈夫…?」
「任せとけって!いつもお前が持ってくる毒団子やらを食べているおかげで毒には耐性があるんだぞ? ちょっとやそっとじゃなんともなんねーって!」
「そう…?じゃあ、私はこっちつけるね」
言いながら、頭巾を取ってそれをつけていく。 おお…! 思わず目が釘付けになってしまう。 恥ずかしそうにそんな俺をちらちらと見るこいつから慌てて視線を逸らして、件の菓子を口の中に一気に放り込んだ。
早いこと終わらせよう! そして、名前の猫耳姿を堪能しようじゃないか!
特に味わうこともなく、飲み込んで目の前にいるであろう破壊力満点の可愛さを発揮するであろう名前を見る。 丁度後ろに手をまわして、首輪をつけようとするところで、俺は目の前が真っ暗になってそのまま倒れてしまった。
次に目を覚ましたのは三日後で、当たり前だがそのときにはもうあいつは普通の姿に戻ってしまっていた。
もう一度つけてみせてくれ、と言おうものなら絶対どこからともなく自分の委員会の後輩達が出てきて軽蔑した視線で見てくるだろう。
……とりあえず、三郎に八つ当たりしに行こう。 未だふらつく頭のまま、俺はあてもなく三郎を探しに行った。 そうして俺が学園中に広がったあらぬ噂に叫び声をあげるまであと数分。
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