その日はいつもと変わらない日だった。

ただ一つだけ違うことといえば、名前が朝から実習らしく今日はもうずっと姿を見ていないという点だけだった。

こういう日はたまにあり、大抵また気がついたらにこにこしながらおやつをもって現れるのであまり心配もしていない。

けれど、今日は一人だけ様子が違った。




「…ねえ、ハチ。
どうしたの?さっきから顔色が悪いみたいだけど」

「は、はぁ!?全然悪くねーし!
すげえいつも通りだし!」

「どう考えても挙動不審だぞハチ」





のんびりと話している中で、ただ一人竹谷だけが顔を青くさせて逐一小さな物音にも反応しているのだ。
ちょっと木の葉が揺れればそちらを警戒し、ちょっと影が横切ったような気がすればやはりそちらを勢いよく見て。

夜中に怖い話を聞いたお風呂中の子供とかこんな感じだよな、洗髪中に後ろが気になって仕方がないような感じの。

全員が全員、じーっと竹谷のほうを見る。
ただ一人久々知だけが、今朝は名前がいなかったので豆腐が一人分しか食べられなかったらしくぼんやりとどこかを見ている。
一日の生活が朝食の豆腐の量によって左右されるというのは忍者のたまごとしてどうなんだろう。
まあ、そこはきっと仕方がない。
だって久々知だし。




「なあ、何か悩み事かハチー。
言いづらかったら俺にだけこっそり教えてみろよ!」

「いやだ!勘ちゃんに言ったが最後明日には学園中の全員が知る所になるだろ!?」

「酷いハチ!俺そんなことしない!
鉢屋に『誰にも言わないでね』って言ってから相談するだけだよ!」

「どう考えてもそれが原因だろうが!
三郎に言ったらそれこそ一瞬じゃねーか!」

「いや、そう褒めるな八左ヱ門」

「褒めてねーよ!!」





にやにやと、竹谷を挟んで左右から尾浜と鉢屋でからかう。
これで学級委員長だというんだから驚きだ。
いやむしろ学級委員長っていうのはこういうもんなのか?

竹谷の頭の中に、学級委員会に対する偏見が生まれそうになるころ久々知の『あ』という小さな呟きによってそれは中断された。

久々知の視線の先は、竹谷の後ろだった。

その目線をたどり、振り返ろうとしたその時。




「あら、随分と楽しそうねえ」




くすくすと口元に手をあてて笑う女性が立っていた。
年上らしい落ち着いた雰囲気の、綺麗な顔立ちだった。
元の顔が綺麗というよりも化粧や服装、仕草でいかに自分を美しく見せるかをよく知っているようなそんな美しさだった。

え?誰?

学園に出入りしている業者にしては小奇麗すぎる。
学園長の知り合いか、もしかしたら学園を卒業したくのいちなのかもしれない。

揃ってぽかんとした表情を浮かべるなか、鉢屋だけは訝しげに目を細めた。
女性はその態度を見てもひるむことなく少し困ったように鉢屋に笑いかけている。
その様が余裕のある女性という印象を強くして、また女性を見入ってしまうのだ。




「ええと、ど、どちら様ですか?」




不破が遠慮気味に口を開けば、女性は少し目を丸くしてから紅をひいた口を弓なりにつりあげて一番近くにいた竹谷に近づきするりと手を絡ませた。

突然のことに体を強張らせる竹谷、状況が飲み込めない周囲。
女性はそのまましな垂れかかるようにして竹谷に密着した。





「この子との約束を果たしに来たの」

「ハチ…?」

「お前、こんな綺麗なお姉さんと何の約束したんだよ」

「いや待って勘ちゃん、ハチにそんな度胸あるかな」

「…………」

「お前ら酷い!いやでも、俺も覚えが…」





がしがしと痛んだ髪をかきながら、ちらちらと自らの腕にやんわりと絡みつく女性を見る。
至近距離で艶やかに微笑まれて顔を赤くして慌てて視線を友人達へとうつした。

自分の記憶をたどってみても、思い当たらない。
そもそも自分に年上のお姉さんとここまで親しげになるような事件はなかったはずだ。

すっかり女性の出現で頭が真っ白になっている竹谷。
その時、ずっと黙って女性を見ていた鉢屋が楽しげににやりと笑った。





「お姉さん」

「なにかしら?」

「随分と背が高いんですね?」

「嫌だわこの子ったら。
私そのこと気にしてるのに…」

「それに、手も大きい」

「殿方と手を繋いだときに恥ずかしいから、なるべく見せないように隠してるのに。
そういう事は思っても心の中でとどめておいて欲しかったわ」

「ちょ、三郎!」





丁寧ではあるけれど遠慮の一切ない鉢屋の言葉に慌てたのはまわりだ。
女性は少しだけ悲しげに、俯き加減で目を伏せている。
きゅう、と縋る様にまわされた手に力を込められて竹谷は少しくらくらする。
綺麗なお姉さんは好きですか、だと…?
健康な青少年であるなら当たり前のことだろう!
一部のマニアックな性的嗜好者を除く!

止めろよ、三郎!
そう言って止めようとしたけれど鉢屋のほうが少し早かった。





「今日は女装の実習ですか?名前先輩」

「…………は?」

「え?名前先輩?」





にやにやと竹谷の腕に絡み付いている女性は、鉢屋の言葉に暫く反応をみせなかったけれど、ふと顔を上げて先程のような誘うような笑みではなくそれはそれはにっこりとした笑顔を浮かべていた。

あれ?
なんかこの笑顔知ってる。

衝撃で動けない竹谷に、するりとその頬に手をかけてそのまま竹谷の頬に口付けた。
ちゅ、と軽い音をたてて離れた名前。
竹谷の頬には唇の形に紅のあとがくっきりとついていた。
それをみて満足そうにしてから、みんなの所へ足をすすめる。




「おーさすがだなぁ鉢屋。
お前は見抜くだろうなーとは思ってたけど少し間があったな?」

「…多分名前先輩だろうとは思っていましたけど、少し予想外だったので確信が持てなかっただけですよ」

「ふーん?」

「わかった!つまり、名前先輩が思った以上に綺麗だったから意表をつかれたんだね三郎!」

「違う!先輩の癖して未だにそんな実習があるとは思わなかっただけだ!」

「鉢屋は素直じゃないな、俺は素直だから思ったまま言うよ!
名前せんぱーいそのまま性転換して結婚して下さい」

「あらやだ!
こんな声も低くてごついのに、それでもいいのかしら!」

「馬鹿か勘右衛門!名前先輩ものらないで下さいよ気持ち悪い!」

「名前先輩、夜はご飯ご一緒出来ますか?
今日は豆腐定食が数量限定で出るらしいんですけど…」

「ああ、大丈夫だよ久々知。
そもそも豆腐定食をすすんで頼む人間なんて限られているから心配するな」

「うーん、そのままの格好で低い声が出てくると違和感があるなぁ」

「うふふ、こっちの声に戻しましょうか?」

「あ、女の人の声だ!」

「色っぽいです名前先輩!」

「まるでおぼろ豆腐のような涼やかな声ですね」

「正直名前先輩だってわかってるから嫌悪感しか出ない」

「先輩!鉢屋が『女装姿の名前先輩よりもいつも通りの先輩が好きです』って言ってます!」

「言ってない、どうやって変換されたんだ勘右衛門の脳内で!!」

「ははは、鉢屋は可愛いなぁ」




未だ石像のように固まったまま動けない竹谷。
先日に宣言されたとおりに、この後鉢屋と尾浜によってあることないことないこと色々噂を流されてこの先半年ほどその話題でいじられることになる。

ちょっとどきっとしたのが一生の恥だ、と酒盛りをした際に涙ながらにそう語った竹谷の言葉がこの噂を面白おかしく長引かせた要因に一役買ってしまうことを彼はまだ知らない。










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