「苗字、お前を氷の女王と見込んで頼みがある」
「はあ、なんでしょうか忍たま五年生の鉢屋君」
「雪を降らせてほしい」
「いや私人外とか雪女とかそういう類の人間じゃないんで。 氷の女王とかただのあだ名なんで」
たいした面識もなければ親しくもない人間の部屋に朝も早くから侵入するというのはどうなんでしょうねえ。
いくら冬休み中でかなりのくのたまたちが帰省しているとはいっても全員じゃない。 こっちの長屋に侵入した忍たまが、ばれたらどういう目に会うかは知っているだろうに。 鉢屋君は命知らず、もしくは中々のチャレンジャーらしい。
見知らぬ気配に飛び起きた私を、枕元で腕を組みながら見下ろしていた鉢屋君。 ぽかんとする私への突然の言葉に、寝起きということも手伝ってぼやけた頭を必死で働かせた。
鉢屋君という人がわからない。
答えが返ってくるまで動きません。 という意思を感じるその表情に暫くの間混乱していたけれどやがて私は大きくため息をついた。
「鉢屋君」
「なんだ」
「雪というものは自然現象であって、一介のくのたまにどうこう出来るようなものじゃない」
「いや、苗字なら出来る」
「出来ません。 …ていうか何なんだその自信は」
「そもそも、やる前から出来ないと決め付けるのはよくない。 出来る出来ないは私が判断しよう。 だからほら、外に出るぞ」
「え?ちょ、私まだ夜着のまま…」
「適当にその辺のものを羽織っていればいい」
言いながら、厚手の羽織りと襟巻きを鉢屋君は私に押し付けた。
反射的に受け取る私を満足そうに見てから、腕を引っ張って立たされてそのまま部屋の外に連行される。
開け放たれた戸からは、冷たい空気が入り込んできて私は慌てて押し付けられた羽織りを着て襟巻きを首に巻きつけた。 いつの間に着たのか、鉢屋君も似たような服装になっている。
準備の良いことに、くのたま長屋の縁側から続く中庭には私のものである草履がきちんと並べておいてある。 その横には、おそらく鉢屋君のものであろう私のものよりも大きい草履が。
そのまま外に出て、鉢屋君は少し歩いたところで止まった。
…だからここくのたまの長屋で。 今更そう言っても聞かないだろう、そんな気がする。 まあ私の学年の生徒たちはほぼ帰省しているからそこまで気にすることもないんだけど。 もしかしてそれを知っていての行動なんだろうか、と思った。 鉢屋君が私を気にする素振りもなくじっと空を見上げているのでその疑問は心のうちに留めておく事にする。
空は重たく水分を含んでいそうな灰色だった。 まだ朝早いこともあって、しんとして時折吹く風の音と僅かながら残っている枯葉が揺れる音が支配している。
部屋の中でも寒いと思っていたけれど、外に出ると改めて空気の冷たさに驚く。 冷たい冬の香りに大きく息を吸い込めば、少し肺が痛くなるけれど、とりあえず目はしっかりと覚めた。
「…鉢屋君。 これ別に私がどうこうしなくても雪降るよ」
「なんでそう思うんだ」
「なんで、って言われても。 私が元々雪の深い地域の村の出身でその勘、としか」
「そうか」
「そうか、って」
鉢屋君は、ちらりと私を見てからまた空を見上げた。
…なんだろう鉢屋君雪とか好きなんだろうか。
私の知っている鉢屋君は、彼の友達と一緒に騒いでいるところしか見たことがなかったからてっきりいつもあんな感じなんだと思っていた。
朝あまり面識がない私を部屋から引っ張り出したくせに、鉢屋君は言葉も少なく何かを話す気もなければ私を見る気もないらしい。
別に冬休み中でのんびりしていたからそう腹が立つわけではないけれど、せめて理由くらいは言ってもらえないだろうか。
もう帰ってもいいかな? そう問いかけようとして口を開いたところで鉢屋君がふと何かを思い出したかのように突然私を見た。
「な、何?」
「そういえば、」
「ん?」
「なんで『氷の女王』なんだ? 苗字のあだ名」
「え?ああ、あれ?」
くのいち教室の人間ならば、大抵の人間が私のことをそう呼ぶ。 特に、この時期は。
『氷の女王』
それは別に私が氷のように冷徹で美しいだとかそういうのではない。 だから大抵噂だけを聞いて私を見ると、首を傾げられる。
私のそのあだ名がついた理由は、至極簡単な理由からだった。
「私、人よりも体温が低くてね? 夏でも低いし冬だと私の手は凶器に近いし。 別に私自身は、そこまで寒いともつめたいとも思わないんだけど」
夏には大人気だけど、冬には敬遠される。
いつものことなので特別気にもしないけれど、一々触るだけで大騒ぎされるのはちょっとだけ煩わしく思ってしまう。
じっと私を見る鉢屋君。 あんまりにもじっと見るので、私は苦し紛れに曖昧な笑みを浮かべた。 ちょっと、ひきつっていたかも知れない。
鉢屋君はまた黙りだした。 今度は私を見たまま。 空を見たまま黙っていたさっきのほうが幾分かマシだった、と内心で冷や汗をかきながら固まる。
暫く蛇に睨まれた蛙のような状況が続いた後、鉢屋君が動いた。
「……確かに、冷たいな」
「……………うん、まあね…?」
何を思ったのか、私の手をとった。
顔を顰めながらまるで感触を楽しむかのように両手で私の手を包み込まれた。
その手は、とても温かくて私の冷たい手にじんわりと熱を与え…あれ?
「…鉢屋君の手も大概冷たいと思うけど?」
「………お前に比べれば随分と温かいさ」
「まあ、そりゃあ、そうだけど。 でもだったら余計に貴重な体温を奪うわけにはいかないよ」
ほら、手を離して。
鉢屋君の両手にしっかりと掴まれている私の手を軽く揺らして催促するけれど鉢屋君は顔を顰めただけで手を離そうとはしなかった。
それどころか、振り解かれまいと力を込められる。 痛くはないけれど、お互いに体温が低いのでなんだか微妙な感じだ。 温かくはない、というか正直生ぬるいです。
「……はち、」
「す、少しは温かいだろう!? これはお前に今から雪を降らせてもらうその礼だ!」
「だから別にそんな特殊能力とか備わってないし、別に温かくもなんともないしそもそも生ぬるいし意味がわからない」
「辛辣だな!いいから、ほら!」
「よくないけど、…って、あ」
「あ?」
頬に冷たい何かが掠めて、視線を上げればちらほらと白いものが降ってくる。 私の故郷でよく降るような大ぶりのものではなくて、小さな水分をよく含んでいる雪がゆっくりと地面に落ちてくる。
なんとタイミングの良い、空気を読んだ雪なんだろう。
よし、寒いし眠いしもう部屋に戻ってもいいよね。 鉢屋君を見上げれば何故か空を呆然としながら見上げている。 ああ今年もこの季節がやってきてしまった。 雪とかやだなーとか思いながらも、隣にいる鉢屋は楽しみにしていたんだしと口には出さずに隣に視線をやると嬉しそうな様子はなくて、眉間に皺を寄せながら睨むつけるように見ていた。 おかしいな、待ちに待った雪の筈なんだからもっと喜んだって良いはずなのに。
そろり、と包まれている手を引き抜こうとしたら慌てたように手に力を込められた。
「…鉢屋君?君の念願の雪も降ってきたことだしそろそろこの手を離してはくれないかな?」
「…さ、寒い!寒いんだ、だからもう少し良いだろう!?」
「寒かったら早めに部屋に入れば良いんじゃない? いくら冬休みで授業には響かないとはいえ、風邪なんてひいたらしんどいし大変だと思うけど…」
「ああ、もう鈍い! 私はお前と一緒に雪を見ていたいし、まだ一緒にいたいし、手も繋いでいたいんだ!」
「……は?」
「ああ、畜生、私の体温がお前に奪われていく…!」
「…なんなの鉢屋はどうしたいの」
逃すまい、とがっちりと掴まれた手は私の手も鉢屋の手も真っ赤になっていて既に感覚が無い。
しもやけになったら嫌だなぁ、と思いながら頬を掠める初雪に私は目を細めた。
雪なんて厄介なもので、初雪だからきっと積もりはしないだろうけどそれでも雪が降れば屋根の雪下ろしだとか雪かきだとかで一日がつぶれてしまったり、むしろ家がつぶれてしまったりということが私の村ではままあった。 だから、雪は好きじゃないし心底面倒くさいと思うけど。
寒いからなのか、それとも別の理由からなのか耳を赤くして私と目を合わせようとしない鉢屋に私はため息を一つついた。
「…朝ごはんまでだからね」
小さな雪が、朝日に照らされてきらきらと輝いていた。
別にこのまま手を振り払って帰っても良いんだけどはじめて雪が綺麗だと思えたお礼だ、もう暫くの間この手はそのままにしておいてあげよう。
…さて、そろそろ鉢屋の手に震えがきているけど果たして朝食の時間まで耐え切ることが出来るかな?
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