あ、痴漢。

そう思ったのと私が動いたのは同時だった。
今思えば、素直に『この人痴漢です』なんて可愛らしく言っていればよかったんだって反省している。
後悔はしていないけど。

そっとのびていた手を取り、驚く中年男性と隣の少年を横目に見ながらにっこりと微笑んでみせる。
私の中では一番の営業スマイルだ。
そのまま、ひっそりと声をひそめてまるで内緒話でもするかのように囁いてみせる。



「好きなほうを選んでくださいね?
次の駅で私とこの少年と降りて突き出されるか、
それとも、今この場で右の『ド』の指から『ソ』の指までの骨を犠牲にするか」



どうぞ、お好きなほうを選んでくださいな。

そう言いながら、私の方に注意がいって意識がおろそかになっていたその手元をちょっとした力でも十分痛みを与えられる関節技をかけてみせる。
中年男性が声にならない声をあげて、私は内心で
『うんうん、わかるわかる。地味に痛いんだよねえ』
なんて暢気に考えながらも力を緩めることはしない。

口を金魚のようにぱくぱくさせながら脂汗を流す中年男性を暫く呆然と見ていた隣に立っていた高校生くらいの少年は、その様子にようやく正気になったのか私の方を見てきた。



「それとも、君が選ぶ?」

「え?」

「社会的に抹殺したいのなら、次の駅で一緒に降りて突き出してあげる。
恥ずかしくて知られたくないのなら、このまま右手の指を全部もっていく」



さあ、どっち?

言いながら、未だ涙目な少年を前にややわざとらしく首を傾げてみせた。

さて、ここで勘違いされている方も多いだろうから弁解しておこう。

ここは電車内であり、私とこの隣の少年は入り口付近に立っていた。
車内は中々に混雑しており、あーいやだなー、とか考えながらも隣に立っている少年が癖のある茶色い髪に整った優しげな顔という中々に眼福ものの美少年だったからまあ、プラマイゼロということにしておこう、だなんて一人納得していた頃だった。

隣に立っていた少年が、みるみるうちに涙目になっていく。
青くなったり赤くなったり、その顔色は忙しい。
気分でも悪いのかと思っていたら、一瞬だけ少年の視線がちらりと後ろに向いた。
何気なく視線を追えば、そこには明らかに無遠慮に体をべたべた触っている中年男性の姿が。

……うん、美少年だしね。

血迷ったのかもしれないけど、すぐ隣に花の女子大生がいるっていうのにどういう了見だこの野郎。
別に触れたいわけでは断じてないけれど、それでも女としてのなけなしのプライドが傷ついた。


そうして私の行動は早かった。
話は冒頭へと戻るわけである。







「あの、有難うございました…」

「いえいえ」



あの後、脂汗を流したまま答えが得られずに少年もどうしていいのかわからずにかたまっていたので丁度次の駅に止まったのをきっかけにそのまま中年男性を突き出した。

明らかに、私が痴漢を受けたように扱われたけれど『違う違う、こっちの少年』というにも流石にこのくらいの年齢の少年が痴漢にあったなんて少年も言いづらいし私も言いにくかった。

なので、とりあえずの所私が痴漢にあってこの少年は付き添い、という形に勝手にさせてもらったんだけど。



「こちらこそ、勝手なことをしまして。
えーと、聞くのもなんだけど。
大丈夫だった?」



私の言葉に、少しだけやつれたような顔をしている少年はやんわりと笑みを浮かべて乾いた笑いをもらした。
ああしまった愚問だったかもしれない。
私も曖昧な笑みを返してから、とりあえず次の電車が来るまでの間当たり障りのない会話をしておくことにした。

別にあのままわかれてもよかったけれど、私の大学はもっと先だし少年の制服からみて少年の通っているであろう高校も私の大学の駅よりも二駅ほど後で降りるはずだ。

なんとなく別れるタイミングを逃したというか。
…なんか放っておけばまた何か起きそうな気がしたというか。




「その制服、私立の大川学園のかな?」

「あ、はい」

「そか、頭良いんだね。
少し学校に着くの遅くなっちゃうけど大丈夫?」

「大丈夫です、早めに出てきたので…。
って、そちらこそ大丈夫ですか?その、時間とか」

「あー平気平気。
絶対に受けなきゃいけない講義だったってわけでもないし」



それに気が向いたら友人が一緒の授業を受けていた筈だから、代返しておいてくれるかもしれない。

そう思い、暢気に笑って返せば少年が固まった。




「す…すみません!
僕のせいで、授業…!!」

「え?いや、だから別に大丈夫だって」

「何かお礼、いやお詫びをさせてください!」

「別にいらないけど」

「させて下さい!!」

「はあ」



必死の形相で詰め寄る少年と、いまいち温度差のある私。
そもそもお詫びなんて一体何をする気なんだろう。
高校生にたかる気なんて全然無いんだけど。
そもそも、何故か所々制服がぼろぼろだし。




「僕、大川学園の三年、善法寺伊作と言います」

「はあ、ご丁寧にどうも」

「僕に出来ることなら何でもします!」

「…えーと」



どうしたもんかな。

そう思っていれば、丁度電車が来るメロディが流れてきた。
そもそも私はお礼をされたくて助けたわけでもない。
少年を助ける目的もあったけれど、半分くらいは女としてのプライドを傷つけられた制裁の意味も込めていた。

だから、本当にお礼もお詫びもされるような筋合いはないわけで。

うん、と一つ頷いて隣で待機している少年を手招きした。
不思議そうによってくる少年に、安心させるような笑顔を向ける。




「少年、あんまりそういう事を言うもんじゃないよ?
そういう言葉に付け入ろうとするのはいくらでもいるんだから」

「え」

「狼になれるのは男だけじゃあないってことだよ」




ぽかんとする少年を置いて、目の前で開いた扉に乗った。
今度はさっきよりも混んでいない。
少年が何かを言おうとしたところで、丁度扉が閉まる。

…あれ?
少年、乗らなくてよかったの?

疑問に思いながらも焦る様子もなさそうなのでそのまま軽くひらひらと手を振っておく。
電車はスピードを上げて、やがて少年は見えなくなった。
今度は痴漢にあうなよー、と見知らぬ少年に思いをはせる。
まあ、もう会うこともないだろう。
そんな美少年がいた、という事だけ印象に残るかもしれないけど。
本人にとっては全くもって不名誉な出来事だっただろうから、なるべく早く忘れるように心がけよう。






「………格好いい…」



電車の中で一人そう決意した私は一人駅のホームで取り残された少年が、きらきらした目でそんなことを呟いていたなんてことは勿論私が知る由もなかった。












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