その人は常に優しげな微笑を浮かべている人でした。
聞けば昔からのことで、その表情と同じく性格も温厚でまわりから好かれていました。
怒鳴った所など見たこともなく、また誰かを叱ることもありませんでした。
本人曰く、『もっと適役がいるから』だと。
たいそう器の大きな人だと、 懐の広い人だと、 元々個性の強い人間が多かった同級生達は皆何かあれば頼り、一目置いていました。
そんなある日の話です。
空から1人の少女がおちてきました。
その人はそのままの重力であれば確実に死んでいるはずなのに、ふわりと飛ぶように地面に降り立ち、にこりと微笑めば誰しもが顔を赤く染め誰かが『あれは天女様に違いない』といった言葉に学園の生徒達はこぞって取り合うように隣にいたがりました。
恋人がいたものは、そっちのけで天女様へと愛を捧げ里に婚約者がいたものは、人と天女とは別物なのだと己に言い聞かせながら里の婚約者に送った髪飾りよりも上等な髪飾りを贈りました。
嘆いたのは女達で、まるで何かの幻術にでもかかってしまったかのような男達に悲しみ、怒り、失望してそれは全て天女様へと向きました。
全ての恨みをこめて天女様を排除しようとする女達に 『こんなにも美しい清らかな人になんてことを』と、まるで西洋の騎士のように付き従い守る男達の姿が更に女を嘆かせ絶望させるということをはたして理解しているのでしょうか。
そして、 学園一の人格者といわれた少年は未だ笑ったまま。
「ああ、お久しぶりですね土井先生」
「…名前、か。 お前は……大丈夫なのか?」
「何に対しての『大丈夫』なんですか? よくわかりませんが、私はいつでも私ですよ」
にこにこ、にこにこ。
天女様を囲んでの醜い攻防を続けている姿を眺める名前を眺めます。
天の国の人、というものがあるのならば、あの囲まれて優越感に満ちた表情で笑う少女よりもよほどこの少年のほうが似合いだと思わせるような笑みでした。
みんなみんな、天女様によって変わりました。
教師達は見ないふり。
忍者の三禁はどうしたんだ、と憤っていたのは当初の話で今では 『いっそ一度だまされておいたほうが恐ろしさがわかるかもしれない』 という結論でそのまま放置してしまったようです。
学園の決定には従うけれど、今の学園の現状には正直吐き気がします。
そう思っていたので、何一つ変わらずここにいる少年に半助は不思議と救われたような気分になりました。
「みんなには困ったものですね」
「…ああ、そうだな。 私も教師としてなんとかしたいんだが…」
「まあ上の決定じゃあ仕方がないんじゃないですか? 忍者とはえてしてそのようなものだと思っておりましたが」
「その通りだ。 1人でも正気を保っている生徒がいてよかったよ」
「おや土井先生。 そのようなことを生徒に言ってもよろしいんですか?」
「…まあ、良くはない、な。 出来れば黙っておいてくれ」
「了解しました」
少年の隣にいると、学園の現状やよどんだ空気がまるで嘘のようです。
少年も友人達があちらに行ってしまい、此処最近誰かと話をしているのを見たことがなかったけれどそれでも笑う少年は一体どう思っているんだろう。
ふとわいた疑問でした。
ただの、純粋な疑問を何も考えずに聞いたのはおろかなことだったのでしょうか? それとも。
「名前は、友人達が離れていっても平気なのか?」
「平気ですよ」
戸惑いも、躊躇すらなく、あっさりと今日の天気ははれていますね、と同じくらいの調子で言うものだから一瞬自分が何を問うて何を返されたかすらわからなくなりました。
にこにこと笑ったまま、少年は続けます。
「みんな友達でしたけど、駄目ですね。 アレくらいのことで心を乱されるのならばさっさと切ってしまったほうが良い。 誰かに懸想するのも傾倒するのも結構ですが、それにおぼれてしまうのはいかがなものかと思うのです。 だからもう、あれは駄目なのです」
「…名前」
「それに、考えてみてください。 今の彼らの姿が彼らの持つ本性だとしたら? 隠された姿が今暴かれているのなら? なんと醜い姿なんでしょう。 もしも以前の彼らが戻ってきたとしても、今の姿を見てしまったからには信用なんて出来ませんよね? 大切なものを置き去りにして、己の欲のためだけに動く人間を隣におくほど私は愚か者ではありません」
「……もしかして、怒っている、のか…?」
「いいえ? ただ見極めて、区別しただけの話ですよ土井先生」
「…お前は何故笑うんだ」
「別に楽しくて笑っているわけではありませんよ。 これはただの癖で、一種の病気だと思って下さい。 私を『優しい』と評価する人間がいるようですが、それは大きな間違いなのです。 私には怒りの感情も悲しみの感情も存在しない。 ただそれだけの話なのです」
だから、笑って人を殺すことだって出来るんですよ?
その顔は相変わらずの笑顔で、視線の先には生徒達や天女様がいて、 けれど、 細められているその目に愉快さのかけらも見つかりませんでした。
とても忍者に向いている、と里ではよく褒められるんです。
そう言いながらこちらを見て、わらいます。
「土井先生も『あちら側』に行かれますか?」
にこにこ、にこにこ。
あちら側では相変わらず天女様を巡っての醜い争いが繰り広げられています。
清らかで優しい、『人を殺すなんてだめ』と諭すその人は数日前にその言葉のせいで敵を前に躊躇して片腕を失った生徒もいるということを知っているのでしょうか?
頭の先までおぼれきっている誰かたちは、授業以外で最後に忍具に触ったのはいつだったかおぼえているのでしょうか?
まるで喧騒が嘘のように、静かなのは少年の隣だけでした。
ああ、あれを天女様だというのならばこの笑顔で佇む少年の方が余程。
「…名前、明日手合わせしてやろうか?」
「それはそれは、教科担当の土井先生に鍛えて頂けるとは珍しいこともあるものですねえ」
笑顔をはりつけたかのような顔が、ほんの少しだけ緩んだ気がするのは疲れているからでしょうか。
(たとえ馬鹿げた選択だったとしてもそれでも少年の傍は、酷く息がし易かったのだ)
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