選りすぐられた静寂の中で、好きな本、またはおもしろい本を読むことが好きだ。限られた人生の中で、人間に赦された数少ない特権であるような気がしたし、なにより美しい文章に触れると救われるような気がするのだ。そして、その美しい文章を操るのは空間だ。本当に満たされた静寂は文章をさらに美しくさせるし、逆に人ごみの中の喧騒は文章を殺す。生かすも殺すも彼次第なのだ。
最近の悩みは、愛おしい空間を壊されることだ。紅茶を飲みながら、愛読書を手に取るまではいい。問題はそこからなのだ。

「なまえチャーン!おるんか〜?」

甲高いエセ関西弁が耳をさす。ああ、また。私は本を膝に置き、両手で耳を塞いだ。男は、私が返事をしなかったにも関わらず、部屋の奥までやってきた。そうして私を見つけると、おったわ、とひとりで呟いた。

「久しぶりやなぁ」

「昨日も来たじゃないですか」

「そうやったか?もう忘れてもうたわ」

このやくざ、真島さんは最近決まってここにやってくる。喫茶店だった廃屋に、腰を据える姿はどうにも不似合いだ。白のスーツが、余計に不似合いさを飾ることを知っているのだろうか。いや、この人は自分が不似合いだということにすら、気がつかないし、気にすることもないのだろう。私は真島さんのそういうところが嫌だが、ちょっぴり気に入ってもいる。

「なまえチャンは本ばっかで飽きんのかい」

「小説はいいですよ。心に寄り添ってくれます」

「こないな場所だから、寄り添ってくれる奴もおらんねん。もっと外に出や。なんなら神室町案内したるわ」

「人が多いところは嫌です」

それに、きっとその町では真島さんはギラギラとした獣になるんでしょう?

最後の疑問は口に出すことはしなかった。真島さんは夕方私のところへ寄っては、少しだけ話して、神室町へと夜の道を歩いていく。真島さん自体はライオンのように豪快なのに、その背中姿は、ヒョウのようにしなやかで上品であった。だから私は真島さんの背中が好きだ。ゆっくとその背中に頬を当てると、真島さんは膝に腕を置き、背中を丸めた。なんだかこれ以上口を開くことはなさそうなので、私は薄汚れたソファに背中を置き直し、小説を開いた。
悪くはない静寂の中、流れることばの小川から視線を外し、目だけを真島さんの方へ向けた。先ほどのように背中を丸めたままの真島さんは、頬をついてどこか遠くを見ていた。それは私も見ることができるようなものではなく、自身の心の中にあるなにかを見つめているようだった。黙っている真島さんの横顔はすごく綺麗だ。彫刻のように、彼の周りだけ時が止まっていて、壊れそうな危うさを孕んでいる。私はその冷たい頬に手を添えたくなる気持ちを抑えた。
しかし、西日が、彼の横顔を照らした瞬間、私は抑えられなくなって、真島さんの空いている方の手を握った。それに気付いた真島さんは、フッと微笑んで、私の唇に自分の唇を掠めた。

「なまえ、」

「ま、じま、さん」

「また今度、な」

もう一度、次はきちんと唇に触れるキスをして、真島さんは立ち上がって行ってしまった。その背中が、見えなくなって、ようやく私はソファ顔を埋めた。心臓がバクバクする。きっともう、文章は頭に入らない。
最近の悩みは読書の時間を邪魔されること。しかし本当は真島さんの訪問を、ほんの少しだけ、小指の第一関節くらい、楽しみにしていたりもする。そして、西日に照らされた真島さんの横顔を見るのは、限られた人生の中で唯一私だけが赦されている特権でもある。








骨の色だけで話がしたい



(150722/龍が如く)
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