拭えない涙


「なんだこいつ?!やけに強いぞ!」

「クマのくせに!」

「クマでスミマセン……」



 ベポは突然項垂れ、男達が唖然とする。
 しかしまたすぐに機敏な動きで攻撃を繰り出してくるものだから、ゴロツキ達はあっという間にその場を逃げ出してしまった。

 あの男も一緒にいなくなってしまった。
 シャチは石畳に座り込んで左腕を押さえながら、男達が逃げていった方向を悔しげに見ていた。



「シャチ、腕、血が ……っ」



 彼女は側にぺたりと座り、シャチが押さえている左腕にそっと手を伸ばす。
 しかし触れることを躊躇っているのか、その手は 近くで止まってしまった。

 悲痛な彼女の表情が、蒼白としているのを見るに、もしかしたら血なんてあまり見慣れていないのかもしれない。

 シャチは落ち着かせるように、努めて柔らかい声色で言った。



「かすっただけだ。止血すれば大丈夫だから」

「どうして……あんなこと……」

「……」



 どうして喧嘩を売るようなことをしたのかと、そういうことだろうか。

 それはシャチにもわからなかった。
 ただ彼女を殺した男が目の前にいて、しかも
 何の罪悪を感じることもなく平然と生きている。彼女の人生を奪った男が、その口で彼女を罵倒することが許せなかったのだ。

 シャチとて海賊なのだから、人を殺すことが全くの悪だとは言わない。まして自分が善悪を語るなんておかしいと思ってはいるが、あの時は頭にカッと熱が昇って、気が付けばあの男を殴っていたのだ。



「シャチ!大丈夫?!」



 ベポがドスドスと大股でシャチの元へとやってくると、彼女は驚いて少しふわりと浮き上がった。

 シャチがそれを目で追っている間にも、ベポがシャチの隣にしゃがみこみ、傷口を確認しているようだった。



「びっくりしたよ。ペンギンに見つかったら怒られるよ」

「そこは黙っててくれ。ちっくしょー、ピストルがあればやられねぇのに!」

「え、持ってなかったの?バカ?」

「お前に言われたくねぇー」



 幸いにもベポは買出しの帰りだったようで、真新しい包帯や消毒薬を持っていた。
 ここでは目立つからと、少しだけ奥まった路地に移動してからシャチは押さえていた手を離す。
 その手や腕にはべっとりと血が滲んでいたが、ベポは「かすり傷くらいで良かったね」と言いながら手際良く手当てを施していった。

 シャチは気付いていなかったが、彼女はその様子を見て息を飲んでいた。




***




「ほんとに大丈夫?」

「おう、悪かったなー」



 ベポに礼を言って、もう大丈夫だからと別れた。ベポはまだ心配そうにしていたが、あのシロクマがいれば彼女に話しかけることもできない。

 ベポが完全に見えなくなってから、シャチは辺りを見渡す。するとわずかな気配を揺らして、ふわりと彼女はシャチの前に現れた。



「クマが喋って驚いただろ。あいつは同じ船のクルーなんだ」

「そう、なんですか……」

「……、」



 彼女の様子がおかしい。
 突然あんな大立ち回りを見せられて驚いているのだろうが、しゅんと気を落とした様な肩は、そんなに大きくない彼女をより小さく見せる。

 シャチは声をかけようとして、自分が彼女の名前を知らないことを少し歯痒く思った。



「どうした?」

「シャチが怪我をして……血がたくさん出てるのに……私は何も出来なかったっ」



 絞り出す様な声は次第に嗚咽が混じり、険しく寄せられた眉根と震える睫毛までもが感じられる程に、感情を押さえ込もうとする彼女の瞳は悲しげに揺れていた。



「何も……っ、何もできなくて…、私が飛び出したりなんかしたから、逆にシャチが怪我を……っ」

「……違う、お前のせいじゃないよ」

「そんなことない……っ、それなのに私、私は……」



 彼女は悔しそうに両手をぎゅうっと白くなる程に握りしめる。

 薄く開いた唇から声が紡がれる時には、とうとう彼女の大きな瞳から透明な滴が零れ落ちた。



「私っ、嬉しいって少し思った……!シャチが言ってくれたことっ、してくれたこと……ッ、シャチが怪我をしたのにッ」



 彼女の堰を切った様な告白に、シャチは目を見開いた。

 彼女の悲しい葛藤。
 シャチが怪我をする事態になって申し訳なく責任を感じる反面、自分を死に追いやったあの男にシャチが立ち向かってくるたことを嬉しいと感じる心。

 その両方に板挟みになって涙を流す優しい彼女は、どうして死ななければならなかったのだろう。

 シャチはさっき自分があの男に向かって叫んだ言葉を思い出す。


 ――まだやりたいことも、幸せなこともたくさんあったんだ



「泣くなよ。本当に大丈夫だからさ。こんな怪我、海にいりゃ日常茶飯事なんだぜ」

「っ……」



 シャチは触れられないとわかっていても、彼女の頬に手を伸ばさずにはいられなかった。

 伝う涙を掬う様に人差し指を這わせる。しかしそこにはなんの感触も無かった。

 それでも慈しむように頬を撫でた。



「お前がおれを呼んでくれなかったら、あの弾は心臓に当たってた。情けないけど、全然おれ気付いてなかってさ」

「シャチ……」

「だから、さんきゅな。おれを守ってくれて」

「でも私、何もできなくて……」

「怖かったろ?自分を殺した奴らなのに……それなのにおれの為に飛び出してくれたじゃん」



 ありがとう

 シャチの言葉に、やっと彼女の頬を伝う涙は止まった。



(ほらほら、買い物の続きしようぜ)

(あ、急に動いちゃダメですシャチっ)

(時間が勿体ねーだろ!)


[back]


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -