君へのサプライズ
両親は借金と幼い私を残して蒸発した。
物心ついた頃には酒場でお酒を運んでいた。
気付いたら身体を売っていた。
ララという名前は、初めての客がこのカメオと一緒にくれた。
お代を払ってくれない客に、殺された。
「支払いが近かったんです。だから私も躍起になってて……お金にしがみついて、殺されちゃったんです。……って、こんな話聞いてもシャチは退屈でしょう?」
「ん?まぁ、聞いたのおれだし」
彼女が話す言葉は他人のことを説明するかのように単調で、どれも感情の抑揚が無かった。
腰が抜けたのも何とか落ち着いたシャチは、今は近くの木樽に座って彼女と話をしていた。
とりあえず害もなさそうだと思ったし、何よりどうして彼女が幽霊なんてものになったのかが気になったのだ。
名前を忘れたというから、幽霊のことは彼女と呼ぶことにする。ララと言っても良いのだろうけれど、彼女自身がその名前をもう捨てているのに、呼ぶのはおかしい気がした。
「成仏できねぇの?」
「直球ですね……私もどうして幽霊になったのかは分からないんです」
「普通に考えたら、未練があるからだよな」
「……未練、ですか」
彼女は苦笑と共にぽつりと呟いた。
まただ。また彼女の表情が悲しげに曇る。
それは若くして死んでしまったことを悲しんでいるのだとシャチは思っていた。ずっとずっと娼婦として生きてきたのなら、やりたいこともたくさんあったはずだ。
しかし彼女は予想よりもずっと寂しい、諦めの言葉を口にした。
「未練なんて。私は死んだことを後悔してないんです」
「何でだよ」
「だってやっと終わったんです。毎日男の人の相手をして、稼いでも全部借金の返済に無くなって……悲しくて、辛くて、でも自分で死ぬ覚悟もなくて。そんな狭い世界から解放されたんです」
「……」
彼女は死こそ救いだったと、そう言った。
その表情は笑っているはずなのに、泣いている様に物悲しい。
シャチは言い知れぬ靄が自分の肺を埋め尽くしてしまうような、そんな苦い感情が喉にせりあがってきたのを、ごくりと飲み込んだ。
ララ
その名前がどれだけ彼女をがんじがらめにしてきたかは分からないが、海を自由に渡る海賊であるシャチにその世界がいかに狭いかはわからないが、死が救いであるなんてことあるわけがないのだ。
少なくともシャチはそう信じていて、平々凡々な言葉だが、きっと生きていればいつか必ず救いがある。彼女にも、救いだしてくれる手があったかもしれない。
そしてそれを知らず、彼女は死んでしまった。
シャチは何故か悔しい様な気持ちを、何処に出して良いかも分からずにもて余した。
「未練がなかったら、幽霊やってないんじゃねぇの?」
「それは……」
「やってみたかった事とかねぇの?」
「……そんなの、今更言っても」
「おれが叶えてやる!」
「え……っ」
シャチは突然声を荒げ、木樽から勢いよく立ち上がった。その反動で軽い木樽はガラガラと音を立てて転がり、静かな袋小路に響く。
その勢いのまま、シャチは手にしていたカメオをずいっと彼女の前に差し出した。
「これ、海に投げてほしいんだよな」
「は、はい……私の身体は多分海に棄てられたと思うので」
「おれがお前のやりたかったことを叶えてやるから。だからそれが叶ったら成仏しろ!」
「えぇっ?!そんな、しろって言われてできるものじゃないですっ」
「ただし3つまでだからな。一番心残りなこと3つ!」
「み、3つ?!」
「それでお前が成仏したら」
「ち、ちょっとシャチ……っ」
「このカメオ、ララって名前を削って海のお前に返してやるよ」
「っ……」
その言葉に、彼女は目を見開いて息を詰まらせた。
ララ
この名前が彫られたカメオを、彼女はずっとずっと捨てることができずに持っていたという。自分を縛る娼婦としての名前が刻まれたものだとしても、それが彼女にとっての生まれて初めてのプレゼントだったらしい。
「もういらない名前なんだろ?」
「……はい……、はいっ」
彼女は何度もコクコクと頷いた。
彼女が一緒に持っていきたいというなら、せめてその辛い記憶も全部一緒に削り取ってしまって、返してやりたいと思った。
彼女が成仏できるなら、きっとこの名前は一緒に持っていくべきではないと思えたから。
「どう?」
ニカッと笑ったシャチにつられ、彼女は今にも泣き出してしまうのではないかと言う風な複雑な表情を笑顔に変えてく。
その笑顔には、いっぱいの嬉しさとそして、強引なシャチに戸惑うような少しの不安が浮かんでいた。
彼女の受けてきた苦しみ全てを慰めることなんて到底できない。それでも彼女の死後、紛れもない奇跡が自分にチャンスを与えたのだとしたら。
シャチはこの幽霊を、笑わせてやりたいと思ったのだった。
(……シャチは、お節介焼きですね)
(今頃気付いた?)
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