静寂な告白


 眩しい太陽の光で目覚めたかった。

 可愛い洋服を着たかった。

 美味しいスイーツを食べたかった。

 楽しいお喋りをしたかった。

 優しい月の光に包まれて眠りたかった。


 素敵な人と、恋をしたかった。














「んぁ……」



 ぼんやりと見える天井をシャチは何度か瞬きをしながら見上げていた。
 いつのまに眠ってしまったのだろうか。

 開けっ放しだった部屋の窓からはやけに冷たい風が入り込み、ぶるりとシャチは身を震わす。いつもならそのまま布団に潜り込むのだが、シャチは身体を起こして辺りを見回した。

 静か過ぎたのだ。



「……おい、」



 彼女がいなかった。



「どこに……!」



 慌ててシャチはポケットに手を突っ込み、そこにある筈のカメオを引っ張り出す。確かにここにあるのに、彼女はいない。
 背中に冷たい汗が流れるのを感じながら、シャチはベッドから飛び降り、開けっ放しの窓から小さなベランダへと飛び出た。

 深い闇色と静かな波の音しか聞こえない。
 もう夜も深いのだろう、酒場の賑わいも途絶えて久しい様な静謐な空間。そこには音のない風に揺れる、彼女の白いワンピースがぼんやりと浮かび上がっていた。

 シャチはほっと胸を撫で下ろし、彼女の隣に並ぶと、ベランダの手すりにもたれかかった。



「あーー……びっくりした……」



 消えてしまったんじゃないかと。
 しかしそれも杞憂だったとわかると、大慌てで飛び出してきた自分が何だか気恥ずかしくて、シャチはごまかす様に手に握りしめていたカメオをポケットにねじ込んだ。



「シャチ……今日、とても楽しかったです」

「ん?そりゃ良かった。明日も付き合いたいんだけどな……さすがに船の買出しもしねぇと」

「もう出航、近いんですよね」

「まぁな。明日は船に連れてってやるよ。ちょっとガサツな奴が多いけど」

「……シャチ」



 ふわりと。
 頬を撫でたのが風なのか、それとも彼女なのかはわからなかったが、空を背にするシャチの視界は柔らかな光に包まれた。

 先程は寒いと感じた風が、今は暖かく感じる。
 自分を包んでいるのが彼女だと、気付くのに少し時間がかかった。



「どうし……」

「私、シャチが好きです」

「なっ、へ……っ?!」



 耳元で聞こえる彼女の言葉に、シャチの脳内はすぐに理解ができず、上擦った声だけがあがった。顔だけが湯沸かし器の様に火照り、力の入った肩は緊張でガチガチだ。



「ど、どうしたんだよ、急に……」



 嬉しいのだか恥ずかしいのだか、とりあえずそんな甘ったるい感情なんて長らく忘れていたシャチは、気恥かしさで彼女の顔を見ることができずにそっぽを向いた。

 しかしそこで違和感を感じた。


 今日は星が見えない空。まして今日星が空を流れるなんて誰かが言っていただろうか。
 それなのに細かい光の粒が、シャチの目の前をゆっくりと流れては消えていった。
 まるで闇に溶け込むように拡散し、消滅している光は、星だというにはあまりにも近い。

 シャチはゆっくりとした動作で顔を正面へと戻し、目を見開いた。




「なん……で……」



 その優しい光は、シャチを包んでいる彼女から、少しずつちぎれては消えていった。
 そう、彼女の身体は淡い光となって、少しずつ消えかけていたのだ。シャチは彼女の顔を覗き込んだ。



「なんで……おい、お前っ……消えてる!」

「……シャチが言ってくれたんです……3つ、願いが叶ったらって」

「まだ叶えてない!お前、まだ最後の願い決まってねぇんだろ!?」

「……」

「だから海に出て……っ一緒に、そこで探そうって……!」

「シャチ……っ」



 彼女はぽろぽろと、珠の様な涙を流していた。
 それは悲しいだとか、辛いだとか、そんな感情なんて何も含まれていない様な程透明で、ガラス玉の様だ。それすらも彼女の頬を伝い、落ちる時には光の粒になって消えていく。

 彼女はどうして泣いているのか。
 シャチは思わず彼女の身体をつかもうとしたが、当然の様にするりと通りぬける。
 むしろその動きで彼女の周りの大気が揺れ、さらに光の粒子が拡散した。



「……っんで……なんでっ」

「シャチ」



 悔しくて握った拳が震えた。
 もっと彼女と一緒にいたかったのに、こんなにも突然に訪れた別れ。

 彼女の笑う顔が可愛いと思った、狭い世界から助けたかった、だから、彼女を海へと誘った。しかし彼女は幽霊で、どうしてか今まさに消えようとしている。


 もしあと数日、自分がこの島に早く来ていたら。
 生前の彼女と出会えていたら。



「シャチ……私、今日とても幸せでした……」

「これからもっと!色んなとこ連れてって、もっと、もっと幸せにしてやる……っ」

「ううん、もう良いの……」

「3つ……おれ、お前の願い叶えてやれてない……」

「……叶えて、もらいました」



 彼女の声も、震えた。
 シャチも自分でも驚く程弱々しく伸ばした指を、彼女の頬に寄せる。
 それに擦り寄る彼女のぬくもりは、やはり感じられなかった。



「シャチ……私、もっと早く、あなたに会いたかった……っ」

「っ」

「あなたと出会って……もっと早く……っ、あなたを好きになりたかった……!」

「……ララっ」



 シャチは思わず、その名前を口にした。彼女が望むものではないが、呼ばずにはいられなかったのだ。
 それしか、シャチは彼女を呼ぶ方法を知らなかったから。

 しかし彼女は目に涙を貯めたまま、静かに笑った。



「……レキ、です」

「え……」

「私が生まれた時にもらった、名前です……」

「レキ……レキ、レキっ!おれ……レキを」



 何度も何度も、名前を呼んだ。
 助けてやりたかった、なんて。
 なんて、今更な言葉だ。

 それでも、彼女はシャチから紡がれる自分の本当の名前に嬉しそうに微笑んだ。




「大好き……シャチ……あなたに触れたかった」

「……おれも、レキ、お前を抱きしめたい。今、レキに触れたい……っ」



 どちらからともなく、触れ合うことのないキスをした。

 彼女……レキが笑った。
 花が咲いた様な笑顔ってきっとこのことだ。そう思わずにはいられず、シャチも精一杯笑顔を作る。






 もう一度、唇を寄せて。

 音もなく、彼女は消えた。




 落ちてくる雪の様な光を胸いっぱいに抱きしめたシャチは、鼓膜を揺らした最後の声に、声をつまらせた。




「レキ……っ」







 死んじゃったことを後悔するくらい……幸せな恋をありがとう









(シャチ、どうしたの?元気ないの?)

(んーまぁな。)

(明日は雨か)

(そうだな)

(……本当にどうしたんだ?)





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