お前がくれた、僅かな特別
チラチラと空から舞い落ちる雪は、踏み締められた足跡を被うように、降り続ける。しかし人通りの多いこの街では、次から次へと行き交う人の足跡が消えることはなかった。
港から少し離れた場所に、ハートの海賊団の船は、表面に白い雪化粧をして静かに停泊していた。
そこに一つの黒い影。レキは上空からその影に気付き、目を瞬く。
今朝がた他のクルー達と一緒に船を出ていったはずのその人物は、何やら腕に分厚い本を抱えて船に入っていった。
「船長……?」
レキはその甲板目指して、小さな風を巻き起こしながら降り立つ。ふわりと舞い上がったパウダースノーが静かにまた甲板に落ちる中心で、レキは既に固く閉じられた扉を見つめた。
静かなキッチンで、レキは一人真剣な面持ちで手を動かしていた。
いくつもの袋に丁寧にチョコレートを二つずついれ、リボンを巻いていく。最後の一つを包み終わり小さく息をつくと、少し離して置いていた小さなクリアボックスに目を向けた。
中にはホワイトのパウダーで彩られたトリュフ。他のチョコとは違い、少し奮発して手に入れたチョコレートリキュールで作った、あまり甘くないチョコレート。そして落ち着いたワインレッドの包装紙に、パールホワイトのリボンがまだラッピング前の状態で置かれていた。
「あとはこれだけ……と」
レキはそのボックスをそっと撫で、包装紙に包んでいく。大切に、少しでも綺麗にと神経が集中して、しかし逆に手が震える。
もともとこういった細かい作業は苦手なレキだが、精一杯の努力と集中で包装紙を折っていった。
リボンをどう巻こうか、可愛く見えるだろうか。手の中で様々な形にリボンを変えながら、その最後の紐を結び終えたとき、ふと、レキの頭に先程の甲板での光景が浮かんだ。
見慣れたふわふわの帽子、黒いコート。先程船に入っていったのは、確かにローだった。
一度外に出れば丸一日は戻ってこないのが常だが、朝早くに出て行って、昼前に船に戻ってくるというのは珍しい。そしてその後船を出て行った様子もない。
時計を見上げると、もうそろそろ夕方を指す時間。レキの嫌な予想は、時間が進むにつれて、じわじわと確信を持ち出していた。
もやもやと胸に広がる、言いようのない、不安。
珍しく早く船に戻ってきたロー。
その腕に握られていた、やたらと分厚い本。それが意味することを、わからないわけではない。
この冬島はとても貴重な医学的資料が残っている島だと、ローが昨日言っていた。そしてその言葉通り、彼は珍しい文献を上陸してすぐ見つけたのだろう。
普段は船が出航してから本を読み始めるローが、それを待つこともできない程に。
そう、きっと彼は今、船長室。
……船長は一緒にでかけると言ってくれた。
そう自分に言い聞かせてみるものの、今までずっと一緒だったのだから、ローの性格は嫌という程わかっているレキ。
きっと今回も、本を読み終わるまでは部屋を出てはこないだろう。
約束を覚えてくれているのだろうかと思い、あれは約束と言えるほど確かな言葉だっただろうかと苦笑した。
「……」
「手が止まっているぞ」
「へっ?!」
突然頭上から降ってきた声に、レキは咄嗟に手の中の箱を隠して顔を上げた。
するとそこには、カウンターからこちらを覗いているペンギンの姿。
前屈みになり、手元を何とか隠しながら目を瞬くレキの姿が滑稽なのか、ペンギンは「驚かせて悪かった」と少し肩を揺らして笑った。
「ぺ、ペンギン……船にいたの?」
「海図を書いていた。レキはまた船番だったか」
「うん……昼だけね」
よほど驚いたのか、レキはしばらく固まったまま乾いた笑いを浮かべる。ペンギン相手に隠すことではないのだが、どうも神経が過敏になっているようだった。
中に入ってもいいか、と断りを入れるペンギンに頷いて返すと、彼は手早く冷蔵庫のアイスコーヒーをグラスに入れる。
この寒いのにホットじゃないのかと不思議に思ったレキだが、すぐキッチンを出てカウンターに座るところを見て、どうやら自分に遠慮してくれたらしいことに気付く。
少しくすぐったい様な優しさは、ペンギンの良いところだ。
レキは覆い隠していた、プレゼントボックスをそっと持ち上げ、それを静かに脇に避けると、カウンター前のバスケットに詰め込まれたチョコたちの中から一つだけ違う色のリボンをつけた包みを取り出して、ペンギンに差し出した。
これも一つの特別だなぁと。
そう思うと少しだけ気恥ずかしい気持ちになった。
「はい、バレンタイン。ペンギンが一番ー」
「あぁ、ありがとう」
「ペンギンのは甘さ控えめね」
「……そうか、悪いな」
ペンギンは少しだけ意外そうに言うと、珍しく嬉しそうに口元を緩めた。
ローは甘いものが嫌いだが、ペンギンはどちらかというと苦手だ。それを知っているのに、みんなと同じ甘いチョコを渡すのもどうかと思って、彼のは少し甘さ控えめで作ってみたレキだったが、存外喜んで貰えたようで、ほっとする。
こんな風に、気持ちを受け取ってもらえて、喜んでもらえて。それで自分は満足なはずなのだ。それなのに、どうしてさっきからもやもやと自分は悩んでいるのだろうか。
その答えはとても簡単だった。
ただ自分の想いを込めて、渡すだけでは物足りない。それで満足できると思い込んでいて、蓋をあけてみれば到底無理だったというだけの話。
ローから気紛れに与えられた機会に、妙な期待を抱いてしまっていて、それが今、また彼の気紛れで無くなってしまいそうで、不安で、そしてそれを寂しいと思ってしまっていた。
レキは思わず手元の出来上がったばかりのボックスを見る。
先程から自問自答しているその答えが、自分の情けない心を曝け出した気がした。
「浮かない顔だな」
「え?」
「船長に渡すんだろう?」
「あ、うん……」
ワインレッドの包装紙で包まれ、優しいパールホワイトのリボンと、オーロラの紐で彩られたボックス。
カウンター前のバスケットに詰め込まれたチョコたちとは、明らかに違うそれをさして言ったペンギンは、少し不思議そうな声をしていた。
「実はね、今日の夜船長に誘われてるんだけど」
「……」
「さっきこーんな分厚い本持って、船に戻ってくるとこ見ちゃって。船長が昼間っから船に戻ってくることって普段ないでしょ?」
「なるほど、それでその顔か」
「うん……」
言葉に出してしまえば、それだけで気持ちがシュンと萎んでしまう。しかしレキは、読書中であろうローの部屋に押し入る勇気もなければ、それをできる立場にあるわけでもないので、どうしようもなかった。
素直に諦めるしかないと肩を落とす。これで自分の想いが永久に闇に消えてしまうというわけでもないし、また明日から、いつもと同じ様に過ごすだけだと思えばいい。
さすがにいつまでもウジウジとしているわけにはいかないと、レキは少し無理やりに笑顔を作ってペンギンに「仕方ないよね」と言うと、このままではコックに殺されかねないキッチンを片付け始めた。
一度慌てて風を起こしてしまったため、キッチンのシンクは外の雪よろしく、真っ白に粉砂糖が舞い散っていた。
ペンギンはしばらく何も言わずに、片付けをするレキの後ろ姿を見ていたが、チョコを一つ口に入れると、新聞を読み始めた。
「レキ、お前船番のくせに一度も見張台こねぇで……」
「ごめんなさい、これあげるから許して」
「こんなもんで俺が釣れると……っ釣れてやるよ!」
「うわーありがとうー」
「棒読み!」
キッチンをあらかた片付けた頃、船番をしていたはずのシャチが恨めしい声で食堂に現れたが、何とかチョコレートを渡して回避する。
同じ頃に夜の船番であるベポも戻ってきたため、一緒にチョコを渡すと、嬉しそうにすぐさま平らげてしまったので、もう何個かをあげてしまった。
確実に誰かの分が足りなくなるなぁと思いながらも、仕方ないと諦める。こういうものは早いもの勝ちなのだと、レキは残ったチョコをバスケットに盛り直して、食堂のテーブルの上に置いた。
「レキ」
キッチンで最後の洗い物を済ませ、水気を吹いていると、新聞を読んでいたはずのペンギンが声をかけてきた。
冷たい水を含んだ布巾を絞って、顔をあげると、表情の読めないペンギンが、こちらを見ている。小首を傾げて「どうしたの」と言えば、ペンギンは新聞を折りたたみながら言った。
「夜、どうするんだ」
「え……あー」
時計を見上げる。とっぷりと日が暮れてしまっている時間だ。窓の外もいつのまにか真っ暗になってしまっていて、ちらちらと舞う雪だけが妙に白い。
そしてやっぱり。彼はこの時間になっても、現れなかった。
「……どうしようかな。酒場に出ても、どうせ私は船に戻ってこないといけないし」
クルー達と酒場に繰り出すことはレキもよくある。しかし夜も更けてくると、一緒に飲んでいたクルー達は完全に潰れてしまうもの以外は、いつのまにかいなくなっているのだ。
そんなクルーの殆どがその日は帰らず、大抵次の日の朝や昼に一度船に戻ってくる。
航海中は当然ながらずっと船の中である彼らが、夜の街で何を求めているかレキも知らないわけではない為、そのことに何かを感じることもなかった。
いつもは人が疎らになってきた頃合を見計らって船に戻るのだが、今日は気付いたら起きているのは自分だけでした、という状況は少し悲しいものがある。
なんだか惨めになってしまいそうだった。
「今日は大人しく船で寝とこ――
「なら、俺と出るか?」
レキの言葉を遮ったペンギンの声は、からかっているようなものではなくて、至極真面目な彼の口調に、レキは驚くしかなかった。
「いや、でも私……夜中に船に戻ってくるの嫌だし」
「じゃあ朝まで一緒にいれば良い」
おそよ普段の彼から出るとは思えない言葉に、レキは口をぱくぱくと動かす。その意図を伺い知ることができずにいると、ペンギンは用意をしてくると言って躊躇うこともなく食堂を出て行った。
残されたレキを急かすように、時計の針はカチカチと時を刻んでいた。