あなたからの誘い
「明日でかけるか、二人で」
「え?」
目の前に雪積もる冬島を臨みながら、ぼそりとローが呟いた。
レキはいつものつなぎの上に着た淡いベージュのコートのボタンを留めながら、隣にいたローを見上げた。
黒いコートに身を包んだローは、静かに白い息を吐きながら、じっと明日の朝には上陸する島を見つめている。あまりにも微動だにしないため、今彼が言った言葉は幻聴なのではないかとすら思ってしまった。
ふと視線を寄越したローと目が合う。
「なんだ」
「いや、え、本当ですか?」
「嘘ついて何になる」
「そう、ですよね」
「昼は船番だろ。夜だな」
ローが緩く口元に笑みを浮かべる様子をみるに、どうやら今の言葉は現実のもののようで。レキはまた島の方を向いてしまったローをちらりと盗み見ながら、ふわふわのマフラーに顔を埋め、たまらず破顔した。
ローは気付いているのだろうか。明日がバレンタインデーだということに。
きっとそんな乙女の事情的な日を、この男は忘れてしまっているだろう。甘いものが嫌いなローにすれば、チョコレートを贈られる日など興味も無いわけで。しかし、レキにとっては特別な日であることも事実だった。
前からコックに頼んで、キッチンを使わせてもらう手筈は整っている。
必要な食材や、ラッピング用のセットは朝の買出しの時に買うことにしている。
上陸する初日は、大抵船番のみを残してみんな出払ってしまうため、誰かの邪魔が入ることなく準備することができる。
あとはどうやって渡すかというところに、この彼の言葉は抜群のタイミングで呟かれた。
ベポやシャチ達と一緒に連れだって出掛ける時はあるものの、ローから二人で出掛けようと誘われることは滅多にないだけに、レキはこの気紛れに感謝した。
「楽しみにしててくださいね!」
「?お前がじゃなくてか」
「私も楽しみですけど、船長も」
胸が踊るとはこのことだろうか。わくわくどきどき、そんな言葉がぴったり当てはまるように気持ちが弾む。
明日が楽しみで仕方ない。
でもそれを隣のローには気付かれたくなくて、やっぱりレキはマフラーに顔を埋めていた。
船長が好きです、
そんな想いを伝える手段をレキは知らなかった。
ただのクルーとしてローの側にいられることに、ハートの一員であることに満足してしまっていたレキは、それ以上を望もうとしなかった。
だが一年に一度だけ、この日だけは、想いをチョコレートに込めても良いんじゃないかと思って。少しだけ、船長とクルーという関係ではなく、ただ好きな人を想ってもバチは当たらないのではと思っていた。
ローがそれに気付かなくても良い。むしろ今の関係が壊れるのなら、気付かない方が良いとすら思っているレキの、ただ、想いを込めたチョコを贈りたいという自己満足。
その為に「キッチンは男の戦場だ」というコックを1ヶ月も前から説得して、キッチンを借りれるようにしたのは、手作りのチョコをプレゼントするという、少しでも女の子らしいことをしたかったからだった。
「私、中に戻ります」
「おう」
これ以上ここにいると、完全に緩みきった顔をローに見られるのも時間の問題の為、レキは船内に足を向けた。
自然と軽快になる足取り。階段を軽いステップで駆け下りると、ちょうど明日の上陸のことを話していたらしいシャチとペンギンと出くわした。
「レキ」
「顔だらしないぞ」
「自覚してるから言わないで」
普段自制している感情は、とても素直で。ローに街に誘われただけで、どうしようもなく喜んでいる自分がいる。
いつの間にこんなに好きになってしまったのかと考え、少し可笑しくて笑った。