この想いを抱いて


朝起きたら、腕に抱いていたはずのぬいぐるみが無くなっていた。

誕生日に貰った大切なぬいぐるみ。いつも一緒だったそれが忽然と姿を消していた。

その原因は私の寝相の悪さにあって、結局ベッドの下に無残に落下していたわけだが。昨日の夜にあったはずのものが、今朝は無くなっているという現実。
それは幼心に焦りを生んで、悲しくて、今思えばあれが初めての喪失感だった気がする。

何故か、あなたの腕から抜け出る時、そんなことを思い出した。









静かに目を開けると、ボヤける視界を晴らすようにゆっくりと瞬きをした。まだキラキラとした光が部屋を明るく照らしているから、先程からあまり時間は経っていないのだろう。


頭上からは規則正しい寝息が聞こえる。あぁ、やっぱりこの現状は現実なのかと苦笑したレキは、今朝一番よりは落ち着きを取り戻していた。

抱き締められた身体はとても暖かくて、彼の香りがいっぱいに自分を包んでいる。いつまでもこうしていられたら、どれだけ幸せだろうと思いながら、レキは少しだけ名残押しそうに、ローの胸に額を寄せた。


結局どうしてこうなったのだろうと、未だ少しモヤのかかる頭で考えてみる。

でも思い付くことといえば、一言にローの気紛れでしかなかった。
昨日は人肌でも恋しかったのだろうか。しかし夜も更けた頃から外に出るのも面倒なところに、食堂で寝こけていた自分がいた。我ながら中々筋が通る推理だと思いながら、こうしてローの腕の中におさまっているのが自分であることが嬉しい。

小さな呼吸すらも感じられるほどの距離は、きゅうっと胸を締め付ける。ローが起きれば、彼からこの腕は離されてしまうのだと思うと、やはりそろそろ自分から出ていかなければと思った。



失うことに怯えていた時には見えなかった痛みと、それを覆ってしまう様なぬくもりが交差する。離れるのが嫌だ、などと思ってしまう自分を叱咤してみたところで、ゆるゆると過ぎる時間を無駄に引き伸ばしているだけだった。

目をぎゅっと瞑る。ぽかぽかとしているのは身体だけじゃなくて、胸に溢れている感情は、蕩けるほど甘くてくすぐったい。

もう、
忘れてしまうなんてできない。


――だいすき、









静かに静かに、レキはローの腕をすり抜ける。風が彼を刺激しないように、音もなく大気に溶け出たレキの身体は、次の瞬間にはベッドの脇に佇んでいた。

また後で起こしに来ようと、自分がスッポリといなくなった隙間を埋める様に毛布をかけ直す。


そのまま、部屋を後にした。






***






「あれ、シャチ。帰ってたの?」

「おう、おはよ」

「おはよ。早いね、もっと遅くなるのかと思ってたけど」

「おぉ、まあおれもこんな予定じゃなかったんだけどさ……」


服を着替えて、食堂に行こうかと廊下を歩いていると、お世辞にも体調が良さそうとは言えないシャチと出会った。

どうやら二日酔いが相当酷いようだが、それなら昼くらいまで街の宿で休んでいても良さそうなのに、と首を傾げる。

そんな様子が伝わったのか、シャチは苦笑いを浮かべて口を開いた。


「おれさ、昨日全然店の娘に相手してもらえなくてよ」

「……うん」


いつものことじゃないのか、とレキは喉まで出かかったが飲み込んだ。


「その後酔い潰れて、覚えてねぇんだけどペンギンに絡んじまったらしくて」

「うわ、命知らず」

「言うなよ。だから朝叩き起されて、連れて帰られたっていう……」

「ペンギン、帰ってきてるの?」

「おー、部屋にいんじゃねぇの」


話しているうちも真っ青な顔をしていたシャチは、水を持って来ようかと言えば、もう何も飲みたくないと言ってふらふらと大部屋に向かってしまった。

少し情けないようなシャチの背を見送ると、レキは少し間を置いてから、くるりと身体を反転させた。



冷えきった廊下を海図部屋の近くまで歩いてくると、そこに一つある扉の前で足を止める。レキはコンコンと控え目にノックをした。

この船で丁寧にノックをする人物は限りなく少ない。船長のローは言わずもがな、他の面々もあまりそんなことに気をかけない為である。必然的にノックをする来訪者は殆どの場合レキのみだった。


しばらくして中から声が聞こえると、静かにドアノブに手をかける。
室内は相変わらず本と海図の山が所狭しと置かれていた。もしかするとまた増えたかもしれないと思いながら、少しキョロキョロと視線を巡らせながら中に足を踏み入れる。

部屋の隅に埋もれる様にしてあるベッドで、こちらに視線を向けているペンギンに気付くと、レキは少し申し訳なさそうに呟いた。


「ごめん、寝てた?」

「いや、大丈夫だ。何かあったか」

「ううん……帰ってきてるって聞いたから」

「そうか」


ペンギンは身体を起こすと、適当に座る様に言った。
製図板の前の椅子に腰掛けたレキは、そういえば何を良いにきたんだったかと口をつぐむ。何かを伝えたくて来た気がするが、どう言葉にして良いかわからない。

そうこうしていると、ペンギンは何か察する様に苦笑した。


「服、着替えたんだな」

「あ……うん、そのまま寝ちゃってクシャクシャにしちゃったし」

「さっき船長の部屋から出てきていたが……船長と寝たのか?」


その言葉に一瞬何を言われたか分からないといった風に固まったレキは、すぐに大袈裟ともいえるほどにビクリと身体を震わせ、危うく椅子から転がり落ちそうになった。
薄暗い室内でもわかるほどに頬を紅潮させ、しかしペンギンの言ったことに何か含みを感じて、次にはボンッと音が鳴ったのではないかというくらいに耳まで赤くした。


「ちっ!ちちちがうっ、船長の部屋で起きたけどッ、何か知らないうちに一緒に寝てたけどッッ何もなくてっ!」


あまりに全力否定するレキにペンギンは肩を揺らして笑った。

こういう笑い方をする時は本気でおかしいと思っている時だと彼女は知っている。

放っておくとどんどん熱が上昇しそうなので、レキは大袈裟にパタパタと顔をあおいだ。

冬島にいるはずなのに、今日はやけに顔が熱くて仕方ない。この雰囲気に堪えられず、レキは何とか話題を変えようと少し声を荒げた。


「とりあえずっ」

「ん?」

「昨日はごめんなさい、また誘ってくれる?」


勢いで出た言葉は、昨日気をかけてくれたペンギンへの謝罪で、言ってしまってから何て自分勝手なんだろうと思う。それでも背を押されたことは事実で、昨日と同じ空を見上げていたレキに、違う景色があることを教えてくれたのも事実。


「あぁ、そうする」


目深に被った帽子の下で少し笑顔を作ってくれたペンギンは、やっぱりどこまでも優しくて。

そうだ、謝りたかった。あなたに。
でも違う、本当に言いたいことは……。


「ありがと」


陳腐な言葉だろうか。それでもレキは言わずにはいられなかった。


「慰めはいらなかったな」



その言葉に、レキは未だ赤い頬を少し撫でて、恥ずかしそうに笑った。


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