こんな状況でも、しあわせだと
気持ちいい。
ふわふわとした感覚を、暖かい何かに包まれていて。夢みたいに、これが幸せの色なのかと思う程、白い視界。
嗚呼、きっとまだ夢の中なんだろう。自分に都合の良いような夢を見たきがする。
でもそれは、きっと凄く幸せな夢。
窓から明るい日差しが、船長室に差し込んでいる。しかし船に誰もいない為か、いつもの朝の喧騒は聞こえない。ただ静かに迎えられた朝日だけが、部屋を照らしていた。
レキはもぞもぞと寝返りを打つと、うっすらと目を開けた。ふかふかのベッドは寝心地が良くて、そのまま、また目を閉じてしまいそうになる。
しかし少しだけ目に映った部屋が、いつも見慣れた自分の部屋ではなくて、少し違和感を覚える。それに自分のベッドはこんなにふかふかだったろうか。
目をこすろうと腕をあげようとして、何かが身体に巻きついていることに気付く。
いよいよ意味がわからず、レキは自分の身体に視線を落とした。
しかし、次の瞬間レキの脳内は一気に覚醒した。自分の身体に後ろから回されているのは、入れ墨だらけの腕。
レキが知る限りで、そんなの一人しかいない。
「っっっっ―――」
声にならない悲鳴があがる。絶叫といっても良いくらいな程に。
何がどうなってこの状況があるのかわからないが、今自分は後ろから抱きしめられていて、そしてこの背中から伝わる温もりの持ち主は、昨日自分が待ち続けていた相手だった。
どうして良いかわからず、身体が硬直する。振り向きたい気もするが、まともに顔を診見る勇気がない。もし目があってしまったら自分はどうにかなってしまいそうな気さえする。
ようやく気付いたが、ここは船長室だ。昨日何があったかを必死に思い出そうとするレキだが、自分はローを食堂で待っていて、そしてそのまま寝てしまったのではなかっただろうか。
起き抜けで全く回転してくれない頭が、この状況を理解できるわけもなく、ここから抜け出すという行動を起こすことさえも忘れていると、急に回されていた腕の力が強くなり、背中がローの胸に密着した。
「ひゃっ……」
思わず声があがる。
この男起きてるんじゃないか。
顔は茹でダコの様に赤くなって、もう何だか泣きそうなレキは、おずおずと絞り出した声でローを呼んだ。
「せ、船長……」
「……ん?」
当たり前の様に返ってきた声に、返事など期待していなかったレキは意表をつかれ、逆にどうして良いか戸惑う。
ここからどう会話を繋げれば良いかと四苦八苦していると、ローはそんなレキの様子など気にもせずに、彼女の肩口に顔を埋めてきた。
ビクリと身体が震えた。
「せ、船長、離して……」
「いや」
「いやじゃないですっ」
子供が駄々を捏ねる様な返事。でも少し掠れたローのその声に、どきりとする。先程までの心地よい微睡みが嘘のように、レキの胸はドキドキと音をたてていた。
こんなことだと心臓が持たない。
それでもローの腕はがっちりとレキを抱きかかえていて、抜け出せそうもなかった。
レキの様子を後ろから見ていたローは、少しだけレキの首に唇を寄せる。そうするとまた面白いほどに身体をビクつかせるレキを見て、小さく笑った。
「っっ〜〜せんちょぉ……」
「昨日は悪かったな」
「ふぇ?」
「……悪かった」
突然の謝罪。
自分のことでパンクしそうだったレキは一瞬何のことか分からなかったが、何を示してのことかすぐに思い当たり、少し大人しくなる。
朝に文句を言ってやろうと思っていたのは自分のはずだったのに、こうして素直に謝られるとは思っていなかった。
違う、違う。
こんな風に優しい声で謝ってほしいと思っていたわけじゃない。そう否定してみても、ローの言葉は昨日からずっと胸を締め付けていた寂しさを包んでくれて、レキの心にあったしこりをあっさり溶かしていく。
こんなことでは、もう何も言えない。もともと怒っていたわけではないのだから、この胸のしこりが溶けて無くなってしまえば、もう何も言えることなんてなかった。
言葉に詰まってしまったレキは、その腕に収まったまま少し目を泳がせる。
その間も身体はローにしっかりと抱かれていて、少し戸惑いながらも、その手に自分の手をそっと重ねると、やんわりと握り返してくれた。
熱が胸に溢れる。昨日はあんなに苦しかった想いが、今はただ、熱い。
「あ……」
ふと、ベッドのサイドデスクに置かれていたボックスが目に入った。
それは昨日必死になってラッピングしたもので、密かに想いを込めようとしたもので、そして一番、受け取ってもらいたかったもの。
しかしそのボックスは封が解かれており、蓋が空いていた。
「あれなら食ったぞ」
「っ、船長にあげるって言ってないのに」
「ちゃんと聞いた。お前にな」
聞かれた記憶などないわけなのだが、もしかしたら寝呆けた自分がイエスと言ったのかもしれない。とりあえずあれは、無事ローの手に渡ったのだと思うと。直接渡すことはできなかったが、ずっと待っていた甲斐はあったのかと思う。
食堂で寝ていた自分がなぜ、今朝になってローに抱かれて寝ているのかはわからない。寝呆けて、船長室に乗り込んだのだろうかと思ったが、そんなことは万に一つもあるわけ無い。とすると、ローに連れられてこんな状況になっているというのだろうか。
既に封が解かれたボックスを見て思う。あれと自分をこの部屋に釣れてきたのがローなら、その意図はどこにあるのだろう、と。
この回された腕と、重なった手と、そこにどんな気持ちがあるのかわからなくて、自分だけがどきどきと煩く鳴る心を、持て余しているような気がして。
自分のテリトリーには人を寄せ付けない彼が、こんなに近くにいることが、何故かまだ信じられなかった。
「おい、こっち向け」
「へ?や、むっ無理……」
「無理なことあるか。船長命令だ」
「っう……」
なんて横暴な、と思ったものの、寝起きのローの機嫌の悪さには定評があるため、仕方なく身体を反転させる。
おずおずと視線だけをあげれば、まだ少し眠そうな表情のローと目があった。その瞬間胸が掴まれた様に跳ね上がり、とてもじゃないが目を合わせていられず、視線を落とす。
こんな至近距離で、しかもこんな状況で顔を合わせたことなんて、勿論無いのだ。
酷く大袈裟に視線を外してしまったから、ローの機嫌が悪くなったんじゃないかとも思ったが、彼は今度は腕を背中に回して、そっと抱きしめてきた。
先程よりも密着したこの状態に頭がくらくらする。それでも、触れた彼の胸から鼓動が聞こえて、何処か安心する気がした。
緊張、不安、羞恥心、安心……
この状況から逃げ出したいのか、それとも離れたくないとおもっているのか、色んな感情が入り乱れているせいか、レキはもうあまり抵抗することなく、ローの腕に収まっていた。
そのことに満足したローは、このまま、また寝てしまおうとレキを腕に抱いたまま布団をかぶり直す。
しかしさすがにそろそろ起きないと、誰かにこの現場を、特に昨日船番だったベポ辺りに見つかってしまいそうだと思ったレキは、慌ててベッドから抜け出ようとしたが、ローがそれを許してはくれなかった。
どうしたものかと、ローの瞳が閉じていることを確認して、彼を見上げる。すると小さく掠れた声がレキの頭上に降ってきた。
「出たかったら、出て行け」
「っ……じゃあこの腕解いてください」
「ククッ……」
「なんですか」
「そんなことしなくても、お前は出ていけるだろ」
その言葉に、レキは少し考えて、次には顔を真っ赤にした。
いくら力が適わないといっても、レキはカゼカゼの実の能力者。腕をすり抜けることなんてわけもないし、実際にローの腕から逃れたこともある。
自分が本気でローの腕から逃れようとしていなかったことに気付いて、しかもそれをロー本人に見透かされていたのだと思うと、あまりにも居た堪れなくて、レキはローの胸に自分の顔を押し付けた。
そんなことを言われて、じゃあ出ていくとは言えず、かと言って顔は自分でも分かるくらい真っ赤なので、もうこうする以外どうしようもなかった。
ローが少し笑うのが分かって、そして次いで髪を梳くように、ゆっくりと撫でる手の感触が伝わってきた。
こんな状況でも、その手が心地よいと思ってしまう自分が、もうどうやっても救われないんじゃないかという気がした。
どうして、この手はこんなに優しいんだろう。
私の気持ちを、船長はわかって、からかっているんだろうか。
気紛れに与えられているこの時間を、幸せだと、思ってしまっていることに、気付いていますか……。
「せんちょう……」
「ん?」
船長のことが、好きです
船長は―――
「……、ううん、なんでもないです」
「なんだ」
「今度、埋め合わせしてください」
「……そうだな」
私をどう想っていますか
そう、聞いてしまいたかったのに。
今この状況が幸せで、手放せなくて、結局レキはベッドから出ることができなかった。