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「あなたはだぁれ?」


 無音の真っ白の空間にいる、真っ黒な人の形をした何かに話しかける。
 それが人かどうかなんて分からない。ただ人の形をしているというだけ。目も鼻も口も無いそれは、何故かこちらを見下ろして鬱陶しそうに舌打ちをした気がした。


「あなたはだぁれ?」


 また別の物体に声をかける。今度は先ほどの何かより恰幅が良さそうだ。しかしそれもまた何も話さず、ぬぅっと手の形をした部分が伸びてきた。
 怖くなってその手をすり抜け、一面真っ白の空間を走った。気付けばあたりには黒い人の形をした何かがたくさんいた。


「あなたはだぁれ?!」
「お前は、だぁれ?」


 その言葉に絶句した。




***




「だ、ぁれ……」


 自分の出した声に呼び戻される様に、目が覚める。ボヤけていた視界に見慣れた天上がだんだんとクリアに映ってきた。
 泣いていたのかもしれないと、自分の目尻を触ろうとしたとき、ひんやりとした指が先に頬の上を滑った。


「っ……びっくり、シマシタ……」
「気持ち悪くねぇか」
「ん……ちょっと目の前が回ってる……」


 その静かな声にローだとわかると、起き上がろうとする。しかしどうも先程飲んだ酒が抜けていない様で、ぐるぐる回る視界が起き上がるのを断念させた。
 水を飲むか、というローの言葉に小さく首を振る。飲みたいけれど起きれない……というところが本音だが首を振るだけでも少し気持ち悪かった。

 ここまで運んでくれたのはローだろうか。先程の言葉と言い、彼は不意に優しさを見せてくくれる時がある。なにか裏があるんじゃないかと勘繰る時もあるが、今は素直にその好意に甘えることにした。

 ローはベッドの隣に簡易の椅子を寄せ、ランプの光で本を読んでいるようだった。その本は以前レキがペンギンから貰った本で、サイドテーブルに置いていたもの。手持無沙汰な彼が偶然手に取ったのかもしれない。


「おさけ、そんなに弱かったのかな、私……」
「ペンギンのやつを飲んだだろ。ロックで飲むには強すぎて、あいつくらいしか飲まないやつだ」
「そう、なんだ……」


 沈黙が流れる。
 この部屋から食堂はそんなに離れていない筈だから、もう宴会も終わっているのかもしれない。ローが本のページをめくる乾いた音、遠くから聞こえるさざ波。さっきの無音の夢と比べて、なんて優しい時間なのだろう。


「せんちょう、さん」
「なんだ」
「怖い、夢をみたの。真っ黒い人みたいなものに、ずっと誰?って問いかけ続ける夢」
「……」
「でも最後に声をかけた人に言われたの、お前はだぁれって…」


 きゅっと胸のあたりが締め付けれる様に痛む。何か忘れてしまった記憶に関係することなのだろうが、まるで水に溺れた様に苦しい。私は誰?とても答えられなかった。
 目尻にじんわりと滲む涙が、熱く流れ落ちそうになった時、パタンと本を閉じた音が聞こえた。


「お前はハートの海賊団だろ」
「……っ」
「もう、おれのクルーだ。つまんねぇこと考えるな」


 その言葉を聞き終わる前に、額の上、というかほぼ瞼の上に冷たいタオルが放り投げられた。
 一瞬にして真っ暗になる視界。それでもそれを取る事はできなかった。

 滲み流れた涙を、タオルが吸い込んでくれていたから。


「明日はシャチと戦闘訓練だからな。二日酔いなんてゆるさねぇぞ」
「う、うん……お水飲む、から」
「何なら飲ませてやろうか?」
「バカ」


 彼の軽口すらも今は優しくて、タオル越しに手で顔を覆った。
 自分の居場所を与えてくれたロー。ハートの海賊団。それがこんなに嬉しいことだなんて知らなかった。わからなかった。
 ただ何となく、この船を離れたくないと思っていただけの様な気がしていたけれど、そんなことはない。とてもこの場所が大切なものになっていたという事をレキは改めて理解した。


「もう大丈夫だな、おれは部屋に戻るぞ」
「うん……船長、さん?」
「なんだ」
「…………ううん、何にもない。おやすみ」
「おう」


 そしてそれを与えてくれたローに、溢れんばかりの感謝を伝えられるだけの言葉がどうしても見つからなかった。
 ありがとう、ではきっと違う。そんな言葉では伝えきれない思い。
 結局何も言うことができず、レキは布団を深くかぶりなおしたのだった。


「ありがとう」


 そして結局月並みな言葉が、布団に埋もれた口から小さくこぼれた。

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