02

―― side L


 もう何度、目を通したかしれない医学書をぱたりと閉じる。一部のクルーたちは久しぶりの浮上だと喜び勇んでいたが、この船の船長、ローは読みかけの医学書を優先した。
 本というのは良い。何度読んでも、新しい発見がある。本の虫とクルーたちに揶揄されているペンギンと、そういう部分においては気が合った。

 酷使した目頭を人差し指と親指でグッと押さえ立ち上がる。窓から差し込む陽光も柔らかい。甲板で昼寝でもするか――そう思い立ち上がると、やけに部屋の外が騒がしいことに気付いた。
 バタバタと廊下を駆け抜けていくクルー。何事だと思い部屋を出ると、俄かに騒がしさが耳を劈いた。
 どうやら騒ぎの中心は甲板の様で、雄々しい掛け声が降ってくる。差し込む日の眩しさに少しだけ目を細め、ローはカンカンと無機質な音のなる階段を登った。

 甲板に上がった途端、真っ白い光に一度目を伏せる。しかしすぐに慣れてきた視界には、クルーたちが何かをロープで引き揚げようとしている様子が飛び込んできた。
 どういう状況だかわからず、今晩の飯でも釣り上げてんのかとぼんやり考えているところに、ちょうどおあつらえ向きに状況を静観している男が目に入った。

 ローは潜水艦の壁に背をつけ、おい、と目深に帽子を被った男―ペンギン―を小突いた。


「ベポがくまを見つけたらしいですよ」
「あ?」
「んで、飛び込んじまったらしいです」


 思った以上に間抜けな声が口を飛び出した。
 クルー達でごった返している輪の中心に目を向ければ、今しがた海から引き上げられたばかりのベポが自分と同様ずぶ濡れの何かを抱えている。

 この大海原のど真ん中にくまなどいるわけがない。大方寝惚けたベポが、何かと間違えて海へと飛び込んだのだろうと結論付けたローは、もはや興味をそそられるものはなく、甲板に背を向けようとした。


「あ、キャプテンキャプテーン」


 大声が後ろ姿のローに投げかけられる。次いでドスドスと甲板を揺らす足音が近づいてきた。
 ローは仕方なくため息をついて足を止め、軽く首を振り視線だけを寄越したが、ベポがその腕に抱えているものが目に入ると、訝しげに目を細めて振り返った。


「……なんだそれは」
「海に落ちてたんだ。女の子だよ」


 そんなことは見ればわかる。それはベポ同様ずぶ濡れの女だった。ローが聞いたのはそんなことではなく、その女のあり様だ。

 長く海に晒されたのか、生気を失った青白い顔に少し長い黒髪が張り付いている。水を吸った衣服は重く汚れ、赤黒い血が染み付いていた。体のあちこち怪我だらけ。放っておけば死んでしまうかもしれない。

 そして最もローの目についたもの。その女の細く白い腕には随分不釣り合いの重々しい錠が二つ。元々繋がっていたのであろう鎖は切れていたが、がっちりと両手首に嵌められていた。

 それに触れるか触れないかというところまで手を伸ばし、小さく舌打ちする。


「海楼石の錠……能力者だな」


 ベポは少し気まずそうに俯いた。

 悪魔の実の能力を封じる海楼石の錠を嵌められ、キズだらけで海を漂っていた女。どう考えても一般人のそれじゃない。
 海楼石の錠は海軍が扱う代物だ。海賊として捕まったという線が濃厚だが――


「キャプテン、この子体も凄く冷たいから……船に入れてあげてもいい?」


 まるで子供のようにおずおずとしながら、ローの機嫌を伺うように呟くベポ。だがローは手放しにそれに応えてやるわけにもいかなかった。

 海賊にせよ、海軍にせよ、敵の可能性の方が圧倒的に高い者を船内に入れるわけにはいかない。それはベポだって分かっているだろう。そして船長であるローが考える当然のことだ。

 しかしベポの腕の中で小さく震えている命の灯は、このままでは当然消えゆくだろうことも事実だ。

 普通の人間よりも体温が高いベポは、少しでもその女を温めようとその体を抱き直す。自分もずぶ濡れで効果なんてないだろうに。

 どうしたもんかとローが考えあぐねていると、ベポはぽつりと言葉を零した。


「このままじゃ死んじゃうよ」


「そ、そうですよ。とりあえず怪我の手当てくらいしてあげましょーよ」
「女の子なんですから」
「海楼石の錠をしてるんだったら能力も使えないし!」
「女の子なんだし!」
「女の子には優しくしないと!」


 その様子をむずむずしながら見ていたのだろうシャチの一言を皮切りに、わらわらとクルー達が堰を切ったように声をあげた。

 最後の方は女に飢えてんのかというような言葉も混じっていて、ローは僅かに一歩たじろいだ。

 懇願するような目をするクルーたち。
 その瞳に耐えられず目をそらし、仕方なしに帽子を深く被りなおして、呟いた


「…………勝手にしろ」
「おぉ!さすがのキャプテンも女にはよわッぐふっ」


 囃し立てるシャチに蹴りを一発入れ、もう一度女の顔を覗く。そのまま嬉しそうな顔をしたベポに一言つけくわえた。


「ただし俺は何もしねぇからな。拾ってきた奴が責任持てよ」
「アイアイー!……あれ?じゃあ怪我の手当ては?」
「お前がしろ。それで死んだらそれまでだ」
「え、え〜〜キャプテンー……」
「あと錠は絶対外すなよ」


 喜びの表情から一点、オタオタしだすベポ。当然だろう、ベポはあの大きい手を見てわかるように細かい作業は苦手だ。

 ローはこのハートの海賊団に加入したものには、簡単な医術を教えている。
 この船の船医は勿論ローだが、厄介な相手と交戦した際、船長である彼は先頭にたって戦わなければならない。その為、怪我人が出てもすぐに診てやることができない。
 だからこの船のクルーは全員、ある程度の医術は持ち合わせているということだ。

 もちろん重症や命に関わる様な怪我をした時はローが診る。しかしこの方針のおかげか、クルー達は随分医者いらずになった。


「とりあえず医務室に運んだらどうだ?」


 ペンギンが固まっているベポに声をかけた。
 まずは体を温めてあげないと!と声を上げた白熊は、ドスドスと大きな音をたててローの横を通り過ぎ、医務室への階段を降りていった。


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