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 この船を降りたくないのは何故だろうって、考えてみた。
 
 捕虜として置かれてるはずなのに、不自由もないようにと配慮してもらい、クルー達皆とも随分親しくなれた気がして雑用などでも、何か役に立てているのが嬉くて。ハートの船での生活は、振り返れば楽しいことばかりだった。

 そんな船を、離れる。鉛のように足が重いのは、諦めて受け入れることにした。

 離れたくない、それでも。自分の決断は間違っていないんだと、言い聞かせた。心のままに従うことは、れきには結局できなかったのだ。


「短かったけど……」


 自分が使っていた部屋を掃除し終え、ドアノブに手をかける。特に何か私物があった訳ではない為、埃を掃き出すくらいしかできなかったが、数日寝泊まりした部屋は既に親しみができていた。

 この身一つ。それしか無いれきに、手荷物なんて無い。空っぽだったれきを受け入れてくれた船、部屋。
 後ろ髪を引かれる様な思いに小さく首を振り、静かに部屋を出たれきは、そのままローの待つデッキへと向かった。



***



「どこに行くの?」
「黙ってついてこい」


 船が停泊した人気の無い岩場とは打って変わり、小さいながらも港町は栄えているようだった。軒先に並ぶ露天で新鮮な食材を選ぶ人々の顔はどれも明るく、道を走る子供はとても元気だ。
 人目を引く長刀を持ったローは、そんな大通りを避けるように1本逸れた脇道を進んでいく。表通りの影になりがちな通りだが、整備が行き届いているのか嫌な臭いもせず、昼間らしい眩しい太陽の光と爽やかな風が通り抜ける様になっていた。
 そういえばペンギンが海軍の駐屯地があると言っていた。治安は良いのかもしれない。


(それって船長さん達には……あんまり良くないよね)


 海賊である彼等と正義を守る海軍。相容れることなどあるはずもない存在同士。いつか、れきのことを海軍将校ではないかと囃し立てられたことがあったが、本当にそうなら、もし記憶が戻れば彼等と対立しなければいけないということになる。
 それはあまりに悲しかった。


「おい」
「あ、は、はい!」


 急に現実に戻されたれきは思わず大きな声を上げ、慌てて口を押さえた。呆れたように一呼吸したローは、表に出る道を進むから離れるな、と言った。まさか迷子にでもなると思われたのだろうかと思ったが、どうやったらこんなに目立つ人を見失えるのだろうか。

 すらりとした長身と、それと同じくらいある長刀。それだけでも十分目立つだろうけれど、ローはやっぱり恰好良いのだ。整った顔立ちと少し危険を孕んだ様にスッと切れる目元に、振り向く女の人が先程から何人もいることをれきは知っていた。


「船長さん、目立つよね」
「まだベポを連れてきてないからマシだろ」
「いや、そういう事じゃないんだけど……」


 置いていかれないようにと、少し小走りでローの隣に追いつく。コンパスが違うのだ、普通に歩いていたらとてもじゃないけど並ぶなんてことはできず、れきはちょこちょこと小走りを繰り返していた。
 パタパタと地を蹴る音。その度にローが僅かに足を止め、また歩き出す。それに気がついた時には、もうれきとローは殆ど距離を空けることなく歩くようになっていた。

 時折ローは立ち止まる。目的はあるのだろうけれど、本人も場所はわからないのかもしれない。
 何処に行くかの詮索なんて最早無意味だと早々に諦めていたれきも、それに習って足を止めた。何となく手持ち無沙汰になったれきは、ふらりと近くの露天商をのぞき込んだ。


「いらっしゃ……お譲ちゃん、海賊かい?」
「え?」


 女の子が寄ってきたと気前良さげに顔を上げた店主だったが、直ぐ様れきの格好を見て驚いた声を上げた。今にして思えば、自分の格好は「海賊です」と言って歩いているようなものだ。咄嗟に見えないと分かっている両手…手錠を後ろに隠して後退ると、店主は大きな掌をこちらにむけて笑った。


「いや、海賊だからって追い返したりはしないよ。海軍の駐屯地があるから、暴れる海賊も少ないからね」
「そう、なんですか」


 グランドラインでは次の島を選べない。ログポースが示す島に海軍がいれば、波風を立てないように大人しく通る海賊も多いのだろう。店主も粗暴な海賊は御免だが、客商売なのだから選り好みはしないのだと笑った。


「それにもう少ししたら凄腕の海兵が、一時駐屯するらしくてな。お譲ちゃん達には残念な話だな」
「凄腕の海兵……?」
「何でも、悪魔の実の」
「おい、行くぞ」
「きゃっ」


 店主の声が遮られたかと思うが早いか、れきの腕はグンッと引っ張られた。驚いて顔を上げると、すぐ目の前には見慣れた背中。れきは今まで喋っていた筈の店主が囃し立てる様に笑っている理由もわからず、引かれた腕とズンズン進む背中を忙しなく交互に見た。


「せ、船長さんっ?」
「何時まで待たせるつもりだ」
「ご、ごめ……わぷっ!」


 怒っているのかと思ったが、怒気というよりは呆れているような声でローは言う。最初待たせていたのはローなのに……とれきが心の中で呟くと同時に、急に視界いっぱいに迫った黄色のパーカーに鼻先をぶつけた。聞こえない筈の呟きが漏れ聞こえたのかと思い、「急に止まらないで」という訴えは、いつの間にか離されていた手で鼻を擦って飲み込むことにした。


「あぁいった類は好きなんだな」
「アクセサリーのこと?」
「あぁ」
「好き……なのかな。でも可愛いとは思うよ」


 ローが何故そんな事を言うのかはわからなかったが、自分の心に問うように確認するように言った。胸に先程の綺麗に並んだアクセサリーを思い浮かべる。華奢なラインのもの、色とりどりの石がついたもの。どれを見てもワクワクする。

 うん、きっと好きだ。


「欲しいのか?」
「めっそうもございません」
「なんだそりゃ」
「だってお金持ってないし、第一……」


 れきは無意識のうちに手首に嵌められた手錠を擦った。こんなものが付いていては、オシャレどころの話ではない。でもそれを言ったところで何の意味があるのだという問いが、瞬時に頭をよぎった。この錠を例えローが外してくれるとして、きっとそれは自分が船を降りるその時だ。

 未だこの腕に嵌まっている冷たい鎖が教えてくれる。自分は目の前の男にとって捕虜以外の何者でもないのだと。思い返せば楽しいことばかりだった筈の海賊達との船旅。心を許してくれてるなんて、ただの思い込みなんじゃないか。
 だって、この手錠は相変わらず腕にあるじゃないか。

 ガラガラと、足元が崩れるような気がした。落ちていく感覚こそないが、れきは真っ暗闇に放り出された気分だった。心のどこかでは、ハートの皆は、ローは自分を受け入れてくれていると信じていた。
 信じていたからこそ、悩んだ。もし自分が残りたいと心の内を訴えれば、受け入れてくれるのだと自惚れていたから。


「……い、行く場所っ分かったの?」
「あ?」
「さっきキョロキョロしてたでしょ」
「……」


 話題を変えたくて、彼の視線から外れたくて、れきはローの横をすっと通り過ぎ、先に行こうと促した。自分がどんな顔をしているか、鏡を見なくてもわかる気がした。きっとこの押しつぶされそうな胸の内が、そのまま露わになっているのだろう。


「そっちじゃねぇぞバカ」




 私はハートの皆にとって、どういう存在なの?

 船長さんは、私のことをどう思っているの?

 バカでもいいよ、だから。


 だれか、教えて……。
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