29

 ローと話をした次の日は、いつもの様に船内を掃除して一日を過ごした。その日は食事の時間にもローと顔を合わせることがなくて、何となくモヤモヤとしたまま終わった。

 結局何も決められないまま。この船を降りたくないと思うも、この船の為には自分はいないほうが良い。もう何度も考えたことを、ふと何かをする時に考えては、答えの出ない自分に苛立つ。

 その度に思い出すのは、ローの言葉。
 「あとはお前次第」という言葉だった。

 何を言い訳しても、自分の気持ちはもう決まってしまっていることをレキは理解していた。ただ何の力もない自分にはその資格が無い気がして、一歩を踏み出せないのだ。初めてローの頬を叩いた時の様な気迫は、一体どこにいってしまったのかと思う。私は、この船で一体何ができるだろう。




***




「……で、なんでこうなるかな……」


 レキは朝の喧騒が少し遠くなる部屋の前で、小さくため息をついた。ここは船長室。 ローの自室だ。
 つい先日、シャチがローを起こしに行くという罰ゲーム……もとい当番をしていたことを思い出す。何故か今朝その当番を任命されたのがレキだった。確かあれは前日の夜にゲームで決めるという話だったが、当番のベポがどうしても行けないからということで朝早くレキに頼み込んできたのだ。
 自分の中で何も整理がついていない状態だったレキは、自然とローを避ける様にしていた昨日一日を思い出す。

 ローの心境が全くわからない。彼は本当は自分をどうしたいのか、わからなかった。

 まさかこんな状況で顔を合わすハメになるとは思わず、しかも寝起き最悪、下手をすれば散々な目に会うと噂される罰ゲームをするハメになるとは。レキは軽く息を吸い、背筋を伸ばした。手には湯気を立てる少し濃い目のコーヒー。寝起きに必ずローが飲むと聞いて持参してみた。


「……船長さん?」


 こんこん、控え目にノックをする。当然ながら返事なんてあるわけがない。やっぱりまだ眠っているのだろうか、と、しばらく間を空けてもう一度ノックをしようと手を上げると、中から「開いてる」と小さく声が聞こえた。


「船長さん?起きてるの?」


 しかしそれに対する返事がない。また遅れて返ってくるのかと思ってみたけれど、その後は一向に部屋の主からの声は聞こえなかった。もしかして偶然起きていて、今の間にまた眠ってしまったとかそんなオチだと嫌だなぁと思う。一度返事があったのだから、このまま食堂に戻っても許されるかもしれないと悪い考えが頭を過ぎったが、せっかく任された役目を放棄したくないという気持ちもあった。
 レキは意を決してドアノブをひねった。


「お邪魔します……」


 部屋の中は相変わらずの本に埋もれたソファが印象的だ。しかし目的の人物はそこにはいなくて、ならばと目を向けたベッドに、容易くその姿を見つけた。
 広いベッドの上にはいくつかの本が散らばっている。その真ん中で上半身を壁にもたせかけていたローは、どうやらドアの方を見ていた様で、すぐさまレキと視線が合った。いつも被っているふかふかの帽子はベッドサイドに投げられていて、それが先日の夜とダブって見える。少しだけ目が泳いだ。


「お、おはよう船長さん……起きてたんだね」
「今から寝るけどな」
「え」
「寝てねぇんだ。本読んでてよ」


 そう言うローは確かに眠そうに大きなあくびをした。しかしそれでは起こしに来たという自分の立場がない。レキは体半分で部屋を覗いていたが、扉をもう少し開けて部屋の中に足を踏み入れようとし、戸惑いに足が止まった。


「入ってもいい?コーヒー持ってきたんだけど」
「おう、気が効くじゃねぇか」
「眠気覚ましに」
「起きたら飲むから置いとけ」


 どうしても寝るのだろうか。仕方なく、ここ、と指を差されたサイドテーブルに湯気がすっかり細くなってしまったコーヒーのトレイを置いた。ローはガシガシと頭を書くと、本格的に寝ようというのか、シーツを引っ張り上げて向こうを向いてしまった。


「起きなくていいの?」
「明日には島だ。ペンギンがいれば大丈夫だろ」
「もう……」


 ペンギンの気苦労を思ってみても仕方ない。シーツに潜ってしまったローを見てため息をつき、ベッドの上に散らばった本を退かそうと手を伸ばした。分厚い本は端がよれていたり、付箋がはってあったりと、何度も読み返されたことが伺える。そこまでマメな人には見えないのだけれど、こういった細やかさはあるのだろうか。
 何気無くペラリ、ペラリと本をめくる。もはや同じ世界の言葉かも分からないその本に軽く目眩を覚え、早々に閉じようとしたが、その付箋のページに幾つも並んでいる単語にレキは目を見開いた。


「記憶、障害……記憶……」


 別の本の付箋がされたページも捲ってみると、そこにも似た単語が記載されていた。また別の本も。そのまた別の本も。ローが夜通し読んでいたというこの本達は、全て記憶に関する本だった。そして今、その知識を必要とするのは、この船で記憶をなくしているレキ以外いなかった。


「っ……」


 明日には自分はこの船から居なくなってしまうかもしれないのに。

 この男がわからなかった。居てもいいと思っているのか、そうでないのか。判断はレキ自身に委ねているのに、もう以前の様に引き止めたりしないのに、自分はこうしてレキの記憶障害のことを調べている。わからなかった。


「何突っ立ってんだ」
「あ、ううん……」
「暇なら添い寝でもするか?」
「なっ、冗談……」


 またいつもの冗談でからかわれたと思ったレキは、慌てて部屋を出ていこうと踵を返した。
 その時、


「ROOM」


 小さく掠れたような声が聞こえたかと思うと、薄水色の空間がレキの足元から彼女を覆った。


「シャンブルズ」
「っ!?!?」


 次の瞬間には、レキの立っていた場所に、ボスンと枕が落ちる音がする。


「えっぁ…へ?!」


 そして当のレキ本人は、暖かいベッドの中、いつのまにかローの腕に抱かれていた。


「海楼石の錠をしててもいけるんだな」
「な、なにっ、せんちょうさっ…!?」
「煩い」


 何が起きたか分からず声を上げるレキを、ローは更に自分の胸に抱きかかえる様に力を込めた。むぎゅう、と音がするのでは無いかというようにローの胸に押し付けられたレキは、目を瞬かせることしかできなくて。彼の息遣いが、体温が呼吸をする度に感じられて、何故か頭が爆発しそうになった。
 落ち着きなく身じろぎを繰り返していると、ローはレキの頭の上に顎を置いてきて余計に動けなくなり、次はもう硬直するしかなかった。


「い、いまのっ、今のは……」
「おれの能力」
「っ……船長さんも、悪魔の実の能力者なの?」
「ん」


 驚いた。自らも能力者であるローは、レキ自身の能力についてどう思っていたのだろう。
 何も無い一般人がその特別な実を食べてしまったなんて可能性は殆ど無くて、その大部分が戦いに身を置いている人物である場合が多い。そして彼が悪魔の実の能力者であるということは、その能力を持つ人間の危険度も扱いにくさも身を持って知っているだろう。
 そう、この船で一番レキの未知数である危険度を理解していたはずなのはローだった。それなのに、彼は自分をこの船に置いてくれていたのだ。


(……そこまで、考えてないのかもしれないけど)


 それとも、そんなことよりも自分をこの船に留めたいと思ってくれたのだろうか。


「……船長さん、私……」
「……」
「船長さん?」


 返事は無かった。心なしか腕に込められていた力が弱まっている気がする。あれだけ眠そうにしていたから、眠ってしまったのかもしれない。規則正しいローの呼吸音が、まだ少し早いレキの鼓動が鳴る身体にアンバランスに響いた。


「……私の能力も、役に立つかな」


 聞こえていても、いなくても、どちらでもよかった。ローに答えを求めたわけではない。でも、言葉にしたかった。もう心の中でだけ呟き、ぐるぐると頭の中を巡っているだけでは進めないのだ。


「役に立てば、まだここに居たいって言えるのかな……」


 この力を、この船の為に使いたいと。
 そんな気持ちになるのは本心なのだと、伝えられるだろうか。
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