その村はとても平凡で、平和な村だった。しかし一夜を境に住人が全て入れ替わるという事件が起きた。入れ替わったという表現が適切かはわからない。住んでいる住人は全て同じだからである。変わったのは住人の生活。
気のいい酒場の店主はホームレスに、仲の良い夫婦は婚姻していた事さえ忘れ、裕福な家の一人娘は、孤児になった。
「……」
レキはぱたん、と本を閉じた。とても信じられないような話が書かれた本は、確かにペンギンが言った様にゴシップ色の強いものだった。不思議なことがあるのが、このグランドライン。そうだとは言え、こんなことが現実にあるのだろうか。
どうして、自分はこの本が気になったのか……。
「入るぞ」
突然の声にレキはパッと顔を上げる。ベッドに入り本に夢中になっていたレキは、いつの間にかドアが開かれていたことに驚いた。そこにはいつものふかふか帽子を脱いだローが立っていて、面倒くさそうに既に開かれていたドアを二度コンコンと叩いたところだった。
「意味あるのそれ……」
「うるさい。してやっただけ良いだろ」
誰もノックなんてものをしないこの船で、わざわざノックをしてほしいなんて言った覚えはないが、彼なりの配慮なのかもしれない。そんな人だっただろうか、と考えてみたが、すぐに思考を止めた。何となく、嬉しくて、そのことに変わりはなかったから。
「本を取りに来た」
「本?」
それだけ言うと、ローはズカズカと部屋に入り、これまた遠慮無くベッドの淵に腰を下ろす。さすがにこれには驚いたレキは、膝をキュッと曲げて、持っていた本を胸に抱く様に丸まった。しかしそんなことを気にもせず、ローはベッドの横に積まれた本の山から一冊を取り、ペラペラとめくっている。
少しだけローから距離を取ってベッドの外に足を下ろしたレキは、ちらりと視線をローに向けた。
「……」
「……」
この船の船長である彼、トラファルガー・ロー。
よくよく見なくても整った綺麗な顔をしているなぁと改めてレキは思った。きっと女の人にも困らないんだろう。そういえば「おれに相手にされて喜ばない女はいない」とかなんとか言っていた気がする。
そこまで考えてレキは視線を逸らした。急に顔が赤くなったような気がしたからだ。あの時の事を思い出すと少し、恥ずかしい。大袈裟に啖呵を切ってしまった自分にも、当然とても近くにあったローの顔にも。
あの時は馬鹿にされたと思って、短絡的な行動を取ってしまったが、今考えればよく海に捨てられなかったなぁとしみじみ思う。敵意と取られてもおかしくないのに、彼はこの船に居場所を与えてくれて、更には記憶障害かもしれないことを教えてくれた。そう、さっきみたいに、新しい一面を気付かせてくれることだってある。それを嬉しいと思う自分が、レキの中には確かにいた。
その全てが彼の気紛れだということは分かっている。移り気なローは、突然現れた妙な女に興味を持っているだけなんだろうことも。だから、ある日突然興味を無くしてしまうなんてことも……あるんだろうということも。
「……ッたぁ!」
急に額を弾かれた様な痛みが走り、レキは思わず声を上げた。何が起こったのか理解しようと、忙しなく瞬きを繰り返すと、その目の前に確認できたのは、今の今まで本と向き合っていた筈のローの視線と、すぐ近くにある彼の人差し指だった。
「な、何で、デコピン……」
「眉間に皺寄せてるからだ」
そんなに険しい顔をしていただろうかと痛む額を擦る。しかしその間もローの視線がじっとこちらを見ていることがわかると、レキは何だか居た堪れなくなった。随分と女らしくない声を上げてしまった……。
「せ、船長さんは、本見つかったの?」
「ん?あぁ……」
この雰囲気を断ち切りたくて、手頃な話題を投げかけた。しかし、軽い返事をしたローは、依然として同じ本をぺらぺらとめくっているだけだ。本を探しに来たというには緩慢なその動きに、レキは首を傾げた。
そしてパタン、と。乾いた本を閉じる音がした時、レキはローが本を探しに来たというのはただの口実であると分かったのだ。
「……あと3日だ」
「……え、……」
「あと3日で次の島につく」
全身が凍るような心地がした。
それは別れのカウントダウンが、既に終わりに近づいていたことを告げていた。