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「キャプテンに随分気に入られたな」
「わっ、びっくりした……」


 操舵室の外に出れば既にペンギンの姿は無く、慌ててその姿を探そうと小走りで角を曲がれば、そこには本と海図を片手に持ちながら壁にもたれ掛かっていたペンギンがいて、唐突に声をかけられた。
 レキの姿を確認すると、ペンギンは食堂の方に向かって歩みを進める。レキは少しだけ彼の後ろを歩きながら着いていった。


「そうですか?」
「キャプテンは甘味以上に、菓子パンやケーキの類いが嫌いで全く口をつけない。まあ元々好き嫌いの多い人だが」
「え?でも、マフィン……」
「だから随分気に入られたなって言ったんだ」


 ペンギンの言わんとしていることを理解した レキは、いつも意地悪なローがしてくれたさりげない行為の大きさに気付いた。レキにとっては苦手なものを食べてくれたというくらいにしか思わなかったことも、ペンギンにしてみれば随分驚いたことらしい。それはそうだろう、まだ数日しか一緒にいないレキでも、ローが自分が嫌なことを進んでするような性格ではないことくらいわかっていた。

 気持ちを、受け取ってくれたのだろうか。そう思うと、きゅうっと胸が締め付けられるような心地がした。


「コーヒー、持って行くときにお礼言わないといけないですね」


 ローは多分そんなつもりはないだの、自惚れ過ぎだの、きっと嫌味ばっかり言われるのだろうけれど、それすらも今のレキには嬉しかった。レキが嬉しそうに頬を緩めている様子をちらりと横目で見たペンギンは、僅かに瞳を泳がせると、言葉を選ぶようにゆっくりと声を出した。


「……あんたはどうして、俺に敬語を使うんだ?」
「へ?」
「キャプテンにも使わないのに」


 思いがけないペンギンの問いに、レキは咄嗟に言葉に詰まる。レキ自身、ペンギンにだけ敬語を使っているのは無意識的な部分があったため、指摘されて改めて気付かされたのだ。自ら彼に距離を置いてしまっていることは確かで、それはこんな些細なことにも表れていて。そしてそんなことは、この頭の良い航海士で無くても気付くだろう。

 レキは項垂れた。返す言葉を探していると、ふ、と息を吐く音が聞こえ、次いで聞こえた声は少し困惑しているようにも感じられた。


「俺が悪いんだろうな。あの時、泣いてたんだってな」
「あ……」


 レキは何故か隠し事がバレてしまった時のように後ろめたい気持ちになった。誰かが言ったのだろうか。できれば知られたくなかったなんて、自分勝手な言い分だけれども。あの時の状況をどうやって言葉にして良いかわからなくて四苦八苦していると、急に前を歩いていたペンギンの足が止まった。
 つられてレキも歩みを止めると、くるりと振り返ったペンギンと視線が交差した。


「悪かったな」
「……ペンギンさん……?」
「俺がきつく言い過ぎたんだろう。泣かせて悪かった」
「っ……ち、違う、違います」


 思いがけない謝罪にレキは慌てて否定をする。
 あの時は確かに怖くて、しかしそれはペンギンに対してではなかった。よくわからない、ローの言葉を借りるなら発作だったのだ。しかしその事で何となく気まずく、ペンギンを避け続けていたレキは、こうして謝罪の言葉を受けて自分が恥ずかしくなった。気にしていたのは、自分だけではなかったのだ。ペンギンも同じ様に気にしてくれていて、むしろ自責の念があるペンギンの方がよほど気にかかっていたに違いない。
 謝ってほしいなんて思っていたわけじゃない。むしろ謝るのは勝手に怯えて、彼を避け続けていた自分なのだ。


「ペンギンさんの立場だと、仕方なかったことはわかっています。だって私、自分でもこんなヤツ怪しいと思いますから」
「自分で言うか?」
「だって本当です。皆がそれでも受け入れてくれたことは嬉しいですけど……泣いてしまったのは……違うんです」


 レキは自分でもよくわからない感情があることを話した。きっと忘れてしまった過去に辛いことがあって、何かの拍子にその【悲しい】という感情が溢れてしまうこと。でも自分は理由がわからないから、どうしようもないこと。ローにはしばらくすれば思い出していくだろうと言われたことも。
 時折どう言っていいか分からない様に言葉を詰まらせるレキに相槌を打ちながら、ペンギンは静かにその話を聞いていた。


「だから、ペンギンさんが悪いんじゃないんです。謝るなら私……この怪我の手当てだって、ペンギンさんがしてくれたんですよね?」
「あぁ……その後の経過はどうだ?」
「もう随分良いです。そろそろ包帯を取りたいんですけど、ベポがまだ駄目だって」
「あいつは完全にあんたの保護者だな」
「ふふ……でも嬉しいですから」


 レキははにかんで笑った。最初こそこの船での居場所に困った時もあったが、ベポやシャチがいつでも一緒に居てくれて、クルー達も皆すれ違えば声をかけてくれるし、コックは甘いお菓子を作ってくれる。そしてわかりずらいけれど、ローは記憶を無くして不安な部分をそっと拭ってくれる。
 だから。これは良い機会なのだと、 レキは思いきって顔を上げた。


「私は次の島で降りますけど……それまでは、ペンギンさんとも仲良くなりたいです」
「俺と?」
「はい!折角同じ船に乗ってるんだから……駄目ですか?」


 不安が無いと言えば嘘になる。「馴れ合うつもりはない」とでも言われてしまうかもしれない。しかしこのまま何も言わずに、蟠りを残したまま自分の短い航海を終えてしまうのが嫌だった。ペンギンが口を開くのがとてもスローに見えて、思わず手に持っていた器を握りしめていたことに気付いた。


「やっぱりあんたは次の島で降りる気なんだな」
「え?あ、はい。それはそうですけど……」
「キャプテンは何も言わないのか?」
「降ろさないって言われちゃいましたけど、私は別にあの人のものではないので。私が船に居てかかる迷惑を考えると、やっぱり居れません」
「それをキャプテンには?」
「はっきり言いました」


 けろりとした様子でそういうレキに、ペンギンは小さいけれど少しだけ肩を竦めて笑った。それがとても自然で、優しい空気を纏っていたことにレキは少なからず驚く。こんな風に笑う人なんだと、そういう一面を彼が見せてくれたことが意外だった。
 少しだけ近づけたのだろうか。そうだと良いなと、レキは心の中で呟いた。


「キャプテンにコーヒーを届けたら医務室へ来い。包帯をとってやるよ」
「え、もう良いんですか?」
「ずっと外気に触れさせないのも良くない」
「そうなんですか……わかりました」

「あと……」


 ペンギンは然り気無くレキの手の中にある最後に残ったマフィンを取り上げた。


「俺に敬語はいらない」


 そう言ってロー同様にマフィンをぱくりと口に入れると、くるりと背を向けて食堂の方へと歩みを進めた。レキは足の先からじわじわと昇ってくるような、この暖かい感情が心地好すぎて、その場に立ち尽くしてしまった。
 手元の空になった器に視線を落とす。
 自分でも気づかないうちに、レキは嬉しそうに破顔していた。
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