21

 チーーン

 軽快な音がキッチンに響けば、鼻腔を擽るのは芳ばしくて優しい香り。レキはすっかり冷えてしまったマグカップを持ってカウンターに座り、コックがオーブンを開けるのをワクワクして見ていた。


「どう?綺麗に焼けた?」
「あぁ。だが嬢ちゃんが分けてくれたのは、すぐ分かっちまいそうだな」
「?」


 どういうことかとコックが持つ熱々の天板を覗き込む。そこにはマフィン達が頬をこんがりと色付かせて整列していた。しかし右端に並んでいるマフィンは、どれもちょうど良いサイズなのに、その他は大きさがデコボコで、お世辞にも綺麗とは言えない。
 レキはそれを見て目を丸くした。


「同じ量で入れたつもりなのに……」
「まあ味は変わらないさ」
「むーん」


 少し納得がいかないと唸るレキにコックは豪快に笑うと、熱々のそれを大きな器にこれまた豪快に盛り付ける。というか、山と盛る。それを受け取ったレキは、マフィンの山に顔が隠れてしまうのではないかという程の量に驚いたが、何とか両手で抱え込み言った。


「みんな、食べてくれるかな」
「可愛い子が作ってくれたもんだから、大丈夫だ」
「もう……冗談はいいから」


 苦笑したレキがいってきますと言って食堂を出ていくのを、コックはにこやな顔付きで見ていた。

 いつも世話になっている皆に、何かお礼がしたいと言い出したレキに、いつものおやつの時間に一緒にマフィンを作って、彼女が配ることを提案したのはコックだった。キッチンは男の戦場だというのがモットーのコックが、レキを中に入れて手伝いをさせたのは、親心の様なもので。常に船では控え目で、誰かに何かを求めたりはしないレキが、初めて自発的に行動したいと言ったことが、コックは嬉しかったのだ。
 コックは手元に残された歪なマフィンを一口かじって、笑った。



***



「何々、レキちゃんが作ったの?!」
「コックが作るのよりずっとうまいー!」
「「やっぱ女の子は良いよなー!」」


 今日は天気も良く、甲板では大洗濯大会が行われている。
 大きなタライに泡という泡がモコモコと出来ていて、一部のクルー達はその泡を擦り付けあって遊んでいたが、レキが両手いっぱいのマフィンを抱えてやってくると、直ぐ様とびついてきた。


「私は手伝わせてもらっただけだけど……いつもお世話になってるから、皆に少しでもお返し!」
「うぉー女の子の優しさ!身に染みる!」
「この不細工なヤツは確かにコックが作ったんじゃねぇよなー!」
「もうシャチ!そんなこと言うならあげないよ」
「じゃあ全部おれが食べるー!」


 取り合いにまで発展するクルー達に、まだいっぱいあるからと言うと更にその手は伸びてくる。
 器いっぱいのマフィンは次々と無くなっていって、その一つ一つが彼らの手に渡り、口に運ばれる度にレキはなんとも言えない暖かな気持ちが胸に湧き出た。少々不細工なのも自分らしいのかもしれないと考えれば、少しだけ過去の自分と繋がれた気がする。レキには自分らしさというものがよくわからなかったからだ。といっても、この出来から考えて器用であったはずもないと苦笑した。

 しばらくして、一番平らげたであろうベポが大きく膨れたお腹を擦りながらレキに笑いかける。


「レキ、キャプテン達にも持っていってあげてよ!操舵室にいるはずだよ」
「あ、うん……でも甘いの、船長さん達嫌いじゃ……」
「甘いのっていうか……」
「ん?」
「いや、何もねぇよ」


 よくわからないといった風にシャチを見れば、残ったマフィンをひょいと口に入れて、モグモグと口を動かしてしらばっくれていた。
 なんとなく。
 なんとなく「いらない」と言われればショックだろう気がして、この甲板に甘いものが苦手な彼らがいないことを確認してやってきたつもりのレキだったが、ベポがやけに勧めてくるものだから、残った二つのマフィンを手にあまり足を踏み入れたことのない操舵室へと向かった。

 道すがらこんなことなら甘くないマフィンを一緒に作れば良かったと後悔しながらも、元々彼らを避けるなんてできなかったのだと反省する。元を辿ればコックに無理を言ってマフィンを作らせてもらったのも、皆に少しでも何かお礼の気持ちを渡したいと思ったからだ。最初は掃除や洗濯を手伝う気だったのだが、まだ包帯も取れていないうちからそんなことをさせて貰えるわけもなく、結果これになったというだけ。
 それなのに、甘いものだから受け取ってもらえないんじゃないかという理由で彼ら……ローとペンギンを蔑ろにするのは間違っているのだ。きっと一番自分が感謝をしなければいけないのはローで、一番迷惑をかけているのはペンギンなのだから。


(気持ち、が大事だよね……)


 そう自分に言い聞かせて顔を上げると、そこはもう操舵室のドアの前だった。

 レキは深呼吸をしてドアをコンコンと叩く。小さすぎたのではないかという程の控え目な音は、しかし中にいる人物にはしっかりと届いたようで、しばらくして足音が近付いてきた。


「……?何か用か」


 開かれたドアの向こうからは特徴的な帽子を被ったペンギンが顔を出した。表情がわかりにくい彼だが、少し驚いているような気がする。軽く外を見回したことも、いつも一緒にいるベポやシャチを探したのだろうことが伺えた。レキはピリッとした緊張が自分の背に走るのを感じた。やっぱりまだ彼と対面するのは身体が強張ってしまうのだと思うと、自分が少し情けなくなる。
 そんなレキに助け船を出したのは、室内にいた男だった。


「お前がここにくるなんて珍しいな。迷ったか?」
「あ、いや……その」


 ペンギンの身体の向こうで海図を広げていたローは、レキを中に入れるように言った。意外にもあっさりとペンギンは身体をズラしたので、レキもおずおずと足を踏み入れる。
 潜水艦であるこの船の操舵室は、よくわからない装置や機械が常に電子音や光を放っていて、まるで非日常の空間のようだった。


「で、何の用だ?」


 用件を促すペンギンの声にハッとしたレキは、腕に抱えたマフィンを二人の前に差し出した。


「いつもお世話になってるから……マフィンを作ったの。船長さんとペンギンさんにもどうかなぁって……」


 最後の言葉はもしかしたら聞こえなかったかもしれない。
 段々と視線も下に落ちていって、マフィンを突き付けた二人の表情はレキにはわからなかったが、緊張していることがわかるくらい、忙しなく瞬きを繰り返している自分がいた。

 どうしてこんなにも緊張するのだろう。レキの心臓は、予想以上に早鐘を打って、重たい靄は肺を圧迫しそうだ。ベポやシャチ、他のクルー達のところにはもっと気軽に持っていけた。当然その中には甘いものがあまり得意でないクルーもいたはずだし、レキもそれはわかっていた。
 なのに何故今だけ、こんなに心がざわつくのだろう。


「あんたが作ったのか?一人で?」
「っい、いえ。コックさんと一緒にですけど……」


 ペンギンの声は何処か怪訝そうで、どきりと心臓が跳ねた瞬間、レキは心の奥で気付いた。「あの二人は甘いものが苦手だから」という理由を隠れ蓑にして、その実、もう一つの懸念が自分にはあったことを今更ながらやっと気付いたのだ。
 ベポ達の様に、ローやペンギンが完全に自分に心を解いていないことはわかっていたから、そんな自分が手を加えた食べ物など受け取ってもらえないんじゃないか。

 ――拒絶されるんじゃないだろうか。

 また自分は怯えていたのだ。
 覚えてもいない、過去の柵に。


「甘ったるい匂いの正体はこれか」


 思った以上に近くで聞こえた声に、弾かれたように顔を上げると、いつの間にかそこに立っていたローがひょいと歪なマフィンを取り上げる。彼は持ち上げたそれを指先でくるくると回して見ながら、口元を吊り上げた。


「酷い見た目だな」
「う……それでも努力はしたの。気持ちはこもってるからね」


 憎まれ口を叩いて、そんな風に言えば恩着せがましいだろうかとか、何だか宜しくないものも入っている風に思われたらどうしようなんて思う自分。

 あぁ、いたたまれない。
 結局ローは手に取ったは良いが、そのマフィンを口には中々運んでくれなくて、ペンギンは手をつけてもくれないわけで。レキはこの場から逃げ出してしまいたい衝動に駆られ、マフィンを乗せていた器を持つ手にぎゅっと力を込め、矢継ぎ早に言った。


「ごめんね、船長さん達甘いもの苦手なのに……やっぱりいらな」
「誰もいらねぇとは言ってねぇだろ」
「へ」


 次の瞬間、目に映った光景にレキは目を丸くした。ローが持っていたマフィンにガブリとかぶりついたのだ。唖然としてその様子を見ていると、その間にもマフィンはみるみる彼の口の中に消えていき、そう時間もたたずに小さなマフィンは無くなってしまった。
 ローが手についた屑を舐め取り「甘すぎる」と呟くと、レキは止まっていた時間が急に動き出したかのようにハッと息を飲んだ。


「せ、船長さん……?」
「ん」
「甘いの、嫌いじゃ……」
「まあな」


 そうぶっきらぼうに言うローだが、やはり甘かったのかコーヒーの入ったマグカップを手に持つ。しかしすぐさま小さく舌打ちをして、そのマグカップを立ち尽くしていたペンギンに押し付けた。


「おいペンギン、食堂まで行ってコーヒーもらってこい」
「は?俺が行くんですか」
「おれに行けってか」
「あの、私もらってくるよ?」


 ペンギンとローの間に慌ててレキが入ると、ローはそれを待っていたとでもいうように意地の悪い笑みを浮かべてレキを見た。


「そうか、じゃあお前が行け。ペンギンはこれを片付けてこい」


 そう言ってローはマグカップをレキに渡すと、今度は今見ていた海図と、いくつかの本を無理やりペンギンに押し付けた。明らかに難色を示すペンギンだが、ローはそんなことお構いなしに早く行けという。
 それをどこに持っていくかなんてレキにはわからなかったが、何となくローが自分とペンギンを揃って外に出そうとしていることは理解できた。手元に一つ残ったマフィンと、ローを交互に見て、レキは「あ」と音にならない声をあげた。


「はぁ……わかった、行ってきますよ」
「あ、私も」


 ため息をついてペンギンがドアを開けると、レキも慌てて後に続いて外に出ようとした。
 ドアが閉まる前に振り替えると、もうローは背を向けていて、どんな表情をしているのからわからなかったけど。


「船長さん、もしかして気を遣ってくれた?」
「勘繰ってねぇで早く行け」


 その声は何処か機嫌が良さそうな気がして、レキは小さく笑った。
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