20

 シャワーヘッドから降り注ぐお湯で顔を洗い、一息つく。

 お風呂の時間がレキはあまり好きではなかった。最初は怪我に滲みて痛いからというつまらない理由だったが、今では入浴の度に両手に嵌められた錠を見るのが嫌だからという理由に変わっていた。普段は借りている大きな白つなぎを着ている為にすっぽりと隠せているが、何も着ていない風呂場では鈍色のそれがやけに主張してしまって、まるで自分が罪人だと言われている様だった。


(本当にそうかもしれないけれど……)


 そもそも、この手錠はいったい何の為に自分の腕に嵌められているのだろう。悪魔の実の能力を封じるという錠を、ただの拘束の為だけに使ったとは考えにくい。
 この海楼石という石はとても困難な加工技術が必要で、錠として使用しているのは海軍のはず。海軍が対能力者様の拘束具として使用しているはずだった。だとすれば必然的に、これを嵌められている自分は海賊だと考えるのが妥当ではないだろうか。海軍に捕まった自分が、脱走を試みて、謝って海に落ちたというところなのだろうか。しかしどうもしっくりこない。例えるなら、パズルのピースを無理やり似た形にはめ込んだ時の様な歪な違和感。自分が海賊ということにか、脱走をしようとしたことについてか、それはわからない。

 じゃあ海軍だったのだろうか?それもどこか違う気がした。答えの出る訳がない自問を何度繰り返したかしれない。そもそも覚えてないのだから、しっくりこないのは当然なのかもしれない。
 そこまで考えて、はたとレキは手錠を見つめた。


(あれ、何でこんなこと知ってるんだろう……)


 海楼石の錠を海軍が保有していることはまだしも、その加工が困難で特別な技術がいるということまで、何故かレキは知っていた。どこで覚えたのか、それを思い出そうとすると、ぐわんと頭が揺れる様な気がしてレキは軽く頭を振る。無理に思い出そうとするのは良くないと教えられたばかりだった。

 ハンドルを捻ってお湯を止める。

 この手にある理由の分からない錠は、身体中の力を吸い取っているみたいに重くて冷たい。それはレキに焦燥感を植えつける。自分は誰だったのか、何をしていたのか。
 錠に手をつけて、引き抜こうと引っ張ってみても、当然ながらそれは外れなかった。無理に力を加えた分、赤くなってしまっただけで、唐突に虚しくなった。


「レキー?」
「あ、うん。あがるね」


 中々出てこないレキを不思議に思ったのか、ベポが扉の向こうから声をかけてきた。その声に軽く返事をすると、もう一度勢いよくお湯を出して被ってから、脱衣場へのドアを開けた。


「わぷっ」
「風邪ひくよ!はい、拭いて!」


 出るなり白い何かを押し付けられ、視界が完全に塞がれる。それがバスタオルだと分かると、次にはわしゃわしゃと髪を……というか頭を豪快に拭かれた。


「女の子は身体冷やしちゃいけないんだよ!」
「は、はい……」


 お風呂に入る時はいつも、ベポが外で見張りをしてくれていた。この広い浴場はクルー皆が使うものであるらしくて、レキが使用中は絶対立入禁止だ。その門番としてベポが命じられているらしいが、そんなことは抜きにしてもベポはいつもレキと一緒にいることが多かった。
 水気を拭き取り、バスタオルを身体に巻くと、ベポがせっせとスツールを出してきて、その大きな身体にはアンバランスな救急箱を抱えて準備万端というように親指をグッと立てていた。


「はい、座って!」
「ごめんねベポ、私に付きっきりだね」
「おれ、レキと一緒だと楽しいから気にしないで」
「……うん、ありがとう」


 スツールに座ると、ベポが大きな白い手で、小さなピンセットを起用に持ってスタンバイしていた。お風呂に入った後に、ベポに消毒してもらい、包帯を巻き直してもらうことが日課になっていた。
 ベポは綺麗に巻けなくてごめんねといつも言うが、一生懸命になっているベポを見るのが好きだったレキは、そんなこと気にならなかった。


「もう包帯も取れるね。初めは死んじゃうかと思ったんだ」
「そういえば、ベポが私を見つけてくれたんだよね」
「メスのクマかと思ったんだ!」


 レキはこの純粋なシロクマが大好きだった。ニコニコしながら自分と一緒にいてくれるベポは、いつだって胸のもやもやを忘れさせてくれる。考えても仕方ないことだとは思うのだけれど、どうも一人になると思い出せない記憶を手繰ってしまうのだ。


(船長さんにも、いつか思い出せるはずって言われたしね)


そう、だから焦っても仕方ないのだ。


「あれ、ここ赤くなってる」
「え?あ……」


 ベポが指したのは、今お風呂場で無理に錠から手を引き抜こうとして出来た痣だった。少しピリピリとした刺激があるのは、薄皮が捲れてしまっているからだろうか。痣というよりも鬱血の痕のようで、それほど強くしたつもりは無かったのにとレキも驚くも、さっと反対の手で赤くなったそれを隠した。


「大変だ、痕になっちゃうかも」
「そんな、大袈裟だよ。放っといたら赤みも引くと思うから」
「女の子は傷痕なんか残しちゃダメなんだよ!!」
「は、はいっ」


 レキが隠した手を取り上げて、ベポが声を上げた。彼はたまに妙に押しが強くて、圧倒される。怪我を人一倍心配してくれるベポに申し訳なくて、この痕は自分でつけてしまったものだとは言えなかった。
 お風呂場で洗い流した筈のモヤモヤがまた甦ってくる気配に少し息が詰まる。しかしレキの気持ちが沈む前に突然扉の向こうから声が聞こえた。


「ベポ、今の声はなんだ」
「あ、キャプテンだ」


 それは紛れもなくこの船の船長のもので、レキはぴくりと反応する。近くを通っていたらベポの声が聞こえたというところだろうか。いつもの彼ならいきなりドアを開けてきそうなものだが、お風呂場ということで多少は遠慮してくれたのかもしれない。レキは急に頼り無く思えたバスタオルの胸元をキュッと握る。するとベポがいきなりとんでもないことを言い出した。


「そうだ、キャプテンに見てもらおうレキ!」
「え?え、えぇえ?!」


 良いことを思い付いたとばかりにベポは手を叩くが、お風呂上がりでバスタオルを身体に巻いているだけのレキにとってはとんでもない話だった。必死になってベポのつなぎを持って止めるも、ベポの思い込みの強さは、レキが遠慮して自分を引き留めるのだと解釈してしまったらしい。「大丈夫だよ!」と笑顔で言われるも、大丈夫じゃないのは自分なのだという必死の訴えは中々聞き入れてもらえない。
 こんな裸同然の格好絶対あの男には見られたくないとレキは服を手繰り寄せるも、今このバスタオルを脱いで服を着るなんてことをしていたら、確実にそのドアが開いてしまいそうで、ただ胸の前でそれを握り締めることしかできなかった。


「二人して何やってんだ」
「まま、待って船長さん、大丈夫だから!何もないから!!」
「だめだよレキ、怪我の痕残ったらどうするの!」
「怪我?開けるぞ」


 ベポの言葉がだめ押しとなり、無情にもドアノブはガチャりと音を立てる。レキの悲鳴が船内に響き渡るのは、この5秒後だった。
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