甘い匂いがふわふわの表面から香るフレンチトーストを前に、レキはわくわくしながらそっとフォークをつける。耳のカリカリの部分とイチゴ、そして少し溶け出した生クリームを一緒に頬張れば、丁度良い甘さと酸味が口の中いっぱいに広がった。
「んー美味しい〜!」
「美味しいー!」
一応レキの見張りという名目でいつも一緒にいるベポと、一緒になって頬に手を当てる。こんな美味しいフレンチトーストはきっと初めてだ。
今朝は食堂へ来ると何故かコックに「甘いものは好きか?」と聞かれた。直感的にそれは好きなものだと感じたレキはコクコクと頷くと、ベポの分も合わせたフレンチトーストを出してくれたのだ。
「何だその手の込んだ朝飯!」
「おれ達のおやつにもそんなの出たことない!」
「テメェらにこんなお洒落なもん出すか!」
コックはブーイングをかますクルー達を一蹴すると、いつもの様にレキにミルクティーを出してくれた。コーヒーを飲む人口が多いこの船で、レキが苦いものが苦手だと知ったコックは、しまいこんでいた茶葉を引っ張り出して朝食の時に出してくれるようになった。
その優しいミルクの香りとコックの気遣いに微笑む。最初はこの強面で見るからに厳ついコックに驚いたが、今では気軽に声もかけられるようになった。
「俺はこの船に乗る前はパティシエを目指しててな。まぁこんな成りじゃあ無理な話だったんだが」
「そうだったんだ。でも凄く美味しい!それに可愛くて食べるの勿体無いくらいで……って食べちゃったけど」
その言葉に嬉しそうに笑ったコックは、豪快にレキの頭を撫でた。
「そう言ってくれるのは嬢ちゃんだけだ。今度またスイーツを作ってやるよ」
「コック!おれ達にもな!」
「テメェ等はポテトチップスで充分だ」
扱いが違うだの、女の子に甘いだのと訴えるクルー達を苦笑しながら見ていたレキだったが、せっかくの生クリームが全部溶けてしまいそうだった為、今はこの甘い朝食を遠慮なく堪能することにした。
隣を見ればベポが既に完食していた。
***
「そういえばシャチは?」
「シャチは今日、当番だからね」
いつも少し遅れてやってきて一緒に朝食を食べるシャチの姿が見えず、最後の苺をフォークにさしながらベポに聞くと、そんな答えが返ってきた。当番、という単語に見張り番のことだろうかと首を傾げる。しかし以前シャチが見張り番だった時は、朝食の時間に眠そうにしながらも出てきていたことを思い出した。
他に何か当番制のものがあるのだろうか。
「何の当番なの?」
「キャプテンを起こす当番だよ」
「へ」
予想もしていなかったその言葉に素頓狂な声を上げたレキに、ベポはまるで日常であるかというように、その当番とやらの説明をしてくれた。
「キャプテンは放っとくとお昼過ぎまで寝ちゃうんだ。で、危険な海域とかを朝に通る時は、誰かが起こす決まりなんだよ」
「へぇ……船長さん、朝弱いんだ」
「弱いっていうか」
「い"やぁぁぁキャプテ、たんまっ待ッぎゃぁぁああ!!!!」
ベポの声を遮ったのはつんざくような多分シャチの悲鳴。レキがその断末魔の叫びに大きく目を見開いて固まると、ベポは何事もなかったかのように涼しい顔で言葉を続けた。
「寝起きの船長の機嫌は壊滅的に悪いから、無理に起こすと暴力、暴力、能力三昧なんだ」
「へ、へぇ……」
「ちなみに当番は前の日の夜にゲームで決めるんだよ!」
「(それただの罰ゲーム……)」
当番とは名ばかりのその役目を担うクルーは、もれなく打撲とローの機嫌次第ではバラバラにされるのだという。無傷で帰ってきた人物は今のところ一人だけらしい。バラバラ……縁起でもない言葉に、一体何をされるのだろうと不安になったレキは、未だ食堂に現れないシャチが少し心配になった。
「レキも船に乗るんだから、いつか当番回ってくるかもね」
「え"っ」
「そんなことまでさせなくて良いだろ」
にこやかなベポからとんでもない発言が出たことに思わず呻いてしまったレキは、突然テーブルの向かいからかけられた声にハッとして顔を上げた。そこにはトレイに少ないサラダとコーヒーだけを乗せたペンギンが立っていた。
「おはようペンギン。またそれだけ?よく持つね」
「朝からそんな甘ったるいものを食べられるお前らの方が凄い」
げんなりした様子でペンギンはそう言うと、ちらりとレキに視線を向ける。レキは少しだけ口を動かすとぎこちなく笑って「おはようございます」と言った。それに小さく返事をしたペンギンは、彼女の斜め向かいの席に座った。いつも座るその席は、彼の定位置なのだろう。
「レキ、おれおかわり貰ってくるね」
「え、じゃ、じゃあ私も……」
「ペンギンのこと怖がらなくても良いよ。ちょっと待っててね」
「う、ん」
ベポが空になった皿をもってコックの元へと行ってしまうと、レキはどうして良いかわからず、とりあえずミルクティーの入ったマグカップを両手で持って口をつけた。
「……」
「……」
何となく気まずい。ペンギンとはあの時以来まともに喋ることはなく、たまに世話をやいてくれる様なところを見るに嫌われているということは無いのだろうと思いながらも、進んで言葉を交わすことはなかった。きっと完全に嫌われているのだとしたら、彼はその席にすら座らなかっただろうと思うから。
しかし気まずいのは事実。ベポが早く戻ってこないかとそわそわしていると、不意に思いがけず彼から声をかけられた。
「怪我の具合はどうだ」
「え、あ……はい、もうそんなに。動くのにも支障ないですし」
「そうか」
短い言葉のやりとりは長くは続かなくて、また沈黙が戻ってくる。他のクルー達とはそれなりに打ち解けられるようになってきていた。この船には次の島までお世話になると既にクルー達に話していた為、短い間とはいえ仲良くなれるのは嬉しい。だからペンギンとも出来れば少しくらい話せるようになりたいと思っていた。それでも一方的に彼に怯えたのは自分で、それが何故だったかと言われると今でもよくわからない。
最初から広がってしまった溝は思ったより深くて、それを無視して近づくことができないでいたレキは、まさかペンギンからこんな風に声をかけてもらえると思ってはいなかった。
だからだろうか。自分も少しだけ歩み寄ろうとしたのは。
「次の島まで、どれくらいですか?」
「……、あと二週間ほどだ」
「二週間……。よかった、ベポやシャチに聞いてみても、わからないって言われて」
「それはそれで問題だがな」
ペンギンは呆れたように溢す。その声に少しだけ、ほんの少しだけ、帽子の下に隠れた表情が和らいだ気がして、レキは自分でも気づかぬ内にほっと息を吐いた。
ペンギンは少し悩むように口を開いたりつぐんだりしていたが、しばらくするとまた再び口を開いた。
「この前の……」
「おかわりもらえたよー!一枚だけだから一緒に食べよ!」
「あ、ありがとうベポ。ごめんなさいペンギンさん、何か……」
「いや、いい」
笑顔全開のベポの乱入にふいと顔を反らしたペンギンは、そのまま新聞を開いて
そちらに意識を向けるようになってしまった。
何を言いかけたのだろうと気になったが、何となく声をかけるタイミングがなくて、結局その席ではもう彼と話すことはなかった。
「そういえばシャチどうなったかな」
「キャプテン起きてこないから、起こすの失敗したのかなぁ」
「また誰かがいくの?危ない航路通るんでしょ?」
「ペンギンがいるから、船が攻められたりとかじゃない限り大丈夫だし」
「(やっぱりただの罰ゲーム……)」