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 目が覚めたら、そこには白い天井。結局昨日と何も変わっていないことに、僅かに気を落としたレキは、しばらく起き上がろうとせずに、緩やかに流れる時間に身を置いていた。また眠ることもせず、ただぼーっとしていることにも飽きた頃。それを見計らったかの様に、ドアがノックされる。短く返事をすると、初めて見る顔の男の人が部屋へと入ってきた。



「俺はペンギン。この船の航海士だ」
「あ、噂の。私はレキです」
「噂?」
「シャチとベポから何度か名前を聞きました」


 特徴的なペンギン帽を被った彼は、はぁ、と溜め息をついた。シャチよりも年上だろうか。表情はその帽子のせいでよくわからないが、大人びた静かな印象を受ける。きっと彼がこの船のナンバー2なのだろうと思わせる雰囲気を持っていた。

 ペンギンが手に持っていたトレイを、ベッド横のサイドテーブルに置くと、ふわりとスープの香ばしい香りがレキの鼻腔をくすぐる。そういえば昨日から何も食べていないなぁと思うと急激に空腹が襲ってくるようで、思わずレキはお腹を押さえた。美味しそうな朝食に自然と目が行っていると、スツールに腰掛けたペンギンが口を開いた。


「あんたを船に乗せるそうだ」
「?」
「キャプテンが決めた」
「……私、でも船長さん……」


 叩いちゃいましたけど。そうとは言えずに、口篭ることにした。彼等にとっては尊敬のできる船長であるローに、そんな無法を働いたことは、できれば伏せておきたい。

 しかしその事実の当事者であるローが、それでもまだ自分を船に置くという。レキはやっぱり理解できないといった風に首を捻った。


「しばらくは捕虜ということになる。動けるなら、後で部屋を案内させる」
「……え?」
「ただあまり部屋からは出るな。言っておくがうちの船に女はいないからな」
「え、あの」
「怪我の経過は」
「ちょ、ちょっと」


 事務的に説明をしていくペンギンの言葉を、レキはやっとの思いで遮る。目深に被った帽子の下から、初めて覗いたペンギンの瞳は思っていたよりずっと冷たかった。


「私、降ろしてほしいって船長さんに」
「あぁ、俺もそれが良いと思っている」


 ペンギンは少し投げやりに言った。それは自分が望んだはずの言葉なのに、何故かレキの胸にズキンと突き刺さる。思わず息を飲む。ペンギンは気付いているのかいないのか、そのまま言葉を繋げた。


「俺達は海賊。いつ戦闘になるともしれない。そんな時に足手まといは御免だし、あんたに自分を守れる術があるようにも見えない。そんな状態じゃあな」
「……」
「キャプテンの気紛れだって、そんなに長く続くものでもない。興味が無くなれば、クルー達の慰み者にされることもありえる」
「そんなことっ」
「あんたの意思は関係ない。その錠がある限り、キャプテンに逆らうことは死ぬことさえもできないと思った方がいい。そんなのはあんただって嫌だろ」


 次々と鋭利な言葉は、レキの胸を突き刺していく。ペンギンは可能性だけを淡々と述べていて、それは現実に確かに起こりうること。そしてその言葉全てが、この場所で目覚めた記憶しかないレキの心を責め立てていた。

 船を降ろしてもらうことを望んだ。それは確かだったし、今でもそれを望んでいる。けれどペンギンの言葉一つ一つが、レキの心を確実に抉っていった。


「それに……、」


 少しだけ躊躇うように言葉を切ったペンギンは、しかし非情な英断を下す裁判長の様に言った。レキは既に空腹であったことなど、とっくに忘れてしまっていた。


「俺はまだ完全にあんたを信じているわけじゃない」



***



 心臓を鷲掴みにされたような痛みに、レキは胸を押さえた。肺は潰れてしまって機能していないのではないかと思うくらい息苦しくて、上手く呼吸ができない。部屋に既にペンギンの姿はなく、サイドテーブルに置かれた朝食から立ち上る湯気が消えてしまっていることが、時間の経過を思わせた。

 心無い言葉で傷付いているわけじゃない。彼はこの船で冷静に物事を考える立ち位置にいる人間だろうから、突然降って沸いてきた様な自分を疎ましく思い、怪しむのも当然なのだ。それはレキも理解できていた。


(どうして、こんなに……悲しいの……っ)


 自分で制御出来ない気持ちが、勝手に暴走している。この感じは、初めてローと対峙した時と似ていた。ドキドキと煩く鳴る心臓の音、背中を伝う嫌な汗。しかし今回はその比ではなかった。ペンギンの言葉一つ一つに、追い詰められていくそれが、怖くて仕方なかった。冷たい瞳から、無機質な声からヒシヒシと伝わる拒絶に、震えた。

 誰もが自分を受け入れてくれるなんて思っていない。むしろ彼らから見て、自分は異質すぎる存在なのだ。頭では分かっているのに。それなのに、止められないこの震えは、一体どこから来ているのか。それを教えてくれる記憶が、レキには無かった。


「レキー!ご飯食べたー?!」
「部屋行こうぜ部屋――って、レキ??」


 突然けたたましく扉が開く音と、大音量の二つの声が医務室になだれ込んできた。しかしその勢いはすぐさま沈静化し、固まってしまう。レキは彼らが入ってきたことにも気付かず、身体を小さくして泣いていた。


「な、泣いてるの??どこか痛い?大丈夫???」
「うっ……、く、ひっく……」


 理由を聞いても答えないレキは、ただただ首を振るだけ。手付かずの朝食に気付いたシャチは、今朝方それを持っていった人物を思い浮かべる。十中八九この涙の原因はペンギンで、彼があまりレキを快く思っていなかったことを思い出した。


「ペンギンに何か言われたのか?……おい、泣くなって」


 その名前に僅かに反応を示したレキは、やはり涙を零していた。何を言ったんだとペンギンに問い詰めてやりたくもなるシャチだが、彼がこの船に不利益なことはしない。きっとこの涙の理由も、船の為を思って言ったことが原因なのだと思うと複雑だった。それでも、やっぱり女の子が泣いているのは嫌だ。


 どう慰めて良いものかとオロオロする二人は、それでもレキが泣き止むまで傍にいた。弱々しい鳴き声は、僅かに開いたドアから、廊下へと漏れ出していた。


「……」


 一つ。
 影が、静かに佇んでいた。
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