05

ーー side H


 次に目が覚めた時、枕元に座っていたのはベポではなく、キャスケット帽を被った男だった。
 ベポが着ていたものと同じつなぎを着た人間の男は、レキが目覚めたことには気付いていないようで、手元の薄い本をぺらぺらと捲っている。

 これはもう看病をして貰っているというより、監視されているのだろう。ぼんやりする頭で次は人間なんだなと、くだらないことを思った。
 男をじぃっと見つめるていると視線に気付いたのか、やっと男は顔をあげた。そして慌てて本を後ろに隠す。豊満な肢体を惜しげもなく晒した妖艶な女性が表紙のエロ本だとはもう知ってしまった後だ。


「お、起きたか、なんか飲む?」
「えっと……あなたは?私はレキ、といいます」
「おれはシャチ。あんたのことはベポから聞いてるよ」


 シャチと名乗った青年は、後ろにある戸棚からマグカップを取り出し、同じ棚に入っているものをざらざらと入れ、とぽとぽとお湯を注ぐ。
 しばらくしてゆらりと湯気立つマグカップがレキの前に差し出された。苦みのある芳ばしい香りがレキの鼻腔をくすぐった。


「コー、ヒー……?」
「ん?嫌い?」
「……苦いのがちょっと」


 しかし出してもらったものを、嫌だという理由だけで拒否するのもどうかと思う。せっかくの温かい飲み物だし、少しずつ飲もうとすると、そのマグカップはひょいと手の中をすり抜けていった。
 驚いてそれを目で追うと、シャチが後ろにあった小振りな冷蔵庫を開け、白い液体の入った瓶を取り出しているところだった。

 【Milk】と書かれた瓶の中身をドバドバと豪快にマグカップに注ぎ、更に冷蔵庫の上にあるポップなドクロマークのついた黒い瓶から、茶色い正方形の物体を三つ程取り出したかと思えば、それもためらうことなくマグカップへ投入した。
 レキが唖然としている間に、シャチはスプーンでそれをぐるぐる掻き混ぜ、またずいっとレキの前に差し出した。マグカップの中身は黒ではなく、薄茶色になっていた。


「ドクロ……」
「あ、あれ砂糖だから大丈夫。キャプテンが甘いの嫌いだからさ、ドクロ貼ってあんの」
「……そう、なんだ」


 先程よりも随分と甘い香りのするそれを受け取り、口をつけた。 冷えたミルクを混ぜ湯気もたたないカフェオレは、少し甘ったるい程だったが、何故か身体中に染み込むように溶けていく。
 随分長い間何も飲まず食べてもいなかったのではないかと思わずにはいられなかった。


「お前、何にも覚えてないってベポが言ってたけど」
「うん……」
「それなのにコーヒーが嫌いとか、そんなのは覚えてるんだな」
「え?」


 言われてみればそうである。
 先程もそうだったが、今までの記憶が無くなっているということに言われるまで気付かなかった。

 まるで日常から突如切り落とされたかの様に、無くなってしまった記憶。何を覚えていて、何を忘れているのか、それすらもわからない程、明確に何かの記憶だけが抜けているのかもしれない。

 そんな都合の良い記憶喪失があるのだろうかと思いながら、まずは手近なもので確認でもしたみようと部屋をぐるりと見渡した。


「それ……はでんでん虫」
「お、正解」
「シャチは海賊」
「うん、まあな」

「ちなみにシャチが後ろに隠したのは、エロ本」
「な"っ?!見てたのかよ!」


 見ていたというより見えてしまったという方が正しいが、この際それはどちらでもいいだろう。別段それに抵抗を見せる様子もないレキに少しホッとした様子のシャチは、こほん、と一つ咳をして、何も無かったかのように会話を続けた。


「日常生活的なことは覚えてるのかもな……。じゃあレキは何してる人?」
「……それはわかんない」
「どこに住んでたとか」
「…………ううん」
「じゃあ俺達海賊が怖くねぇの?」


 最後の少し意図が変わった質問に、レキは首を傾げた。

 ベポから彼らが海賊であること、そして先程医務室にやってきた男−トラファルガー・ロー−がこの海賊船の船長であることは聞いていた。
 海賊といえば、世間一般的な解釈では市民の敵である。それは忌み嫌われる存在で、海の暴れ者達だ。

 しかしレキは彼らが海賊だからといって「あぁ、そうなんだ」と思った程度のものだった。別に敵意も向けられて……いや、向けられてはいたのだが、すぐ様どうこうという風ではないように思う。
 それは今までの自分が、かの人物達に当然の様にそう接してきていたことを思わせた。


「海賊だからって別に怖くはない、かな?」
「ふーん。まあおれもその方が話しやすくていいけどな」
「もしかして私も海賊だったとか」
「能力者らしいから、その可能性もあるとは思うけど」
「能力者……、主に忘れられる能力も不憫だよね」


 レキは苦笑して、自分の両腕を繋いでいる冷たい海楼石の錠に目を落とした。この重い錠は能力者の力を封じる為のもので、現に繋がれている今、レキは両腕から身体の力が抜けていく様な感覚でいた。

 しかしどうしても、自分が何の能力者であるかは思い出せない。自然系なのか超人系なのか、はたまた動物系なのか。根本的なことすらもわからないというのは、少し妙な気もした。
 この錠を外せばそれは解決するのだろうが、そんな危険なことは当然ながら許されるはずもなく、レキもそれを理解していた。


「キャプテンなら外してやれるんだが、さすがにそれはできなくて……悪いな」
「ううん、傷の手当してもらっただけでも十分だよ」


 シャチの『キャプテン』という言葉に、レキは先程少しだけ話したローを思い出した。

 すらりとした細身の男。ふわふわの帽子の下からは、まるで貫かれてしまうかのような瞳が睨みつけていた。わけもわからずドキドキと胸が早鐘を打って、背筋に嫌な汗が流れたことを覚えている。

 シャチには海賊は怖くないとは言ったものの、あの時は正直に「怖い」と思った。深い灰色の瞳に色濃く映る、拒絶を押し出した感情が怖かった。

 きっと記憶をなくす前、ああいうタイプは苦手だったんだろう。
 そんなことを思ってみたが、この船の船長であるのなら、遅かれ早かれ、また対面しなければならない。

 レキはため息をついた。


「私、どうなるんでしょうシャチさん」
「まあ手近な島で降ろして貰えるんじゃね?」
「そうかな」
「って、そういえば。起きたら知らせろってペンギンに言われてた」


 何度か聞いたその名前に、この船でそれなりの位置付けをされている人なのかと思う。

 思い出した様に慌てて立ち上がったシャチに、レキは飲み終えたマグカップを差し出した。
 すっかり冷えて空になってしまったマグカップを自分が持っていては、目覚めた後に長話をしていたことなど明白である。

 どうもこの様子では、知らせは迅速である必要があるようなので、レキはとりあえず、片付けてから行った方が良いとシャチにそれを渡した。


「ま、ちょっと頭固い奴だけど」
「うん、とりあえず見張り中にエロ本読んでたことは黙っといてあげる」
「それだけは絶対頼む、マジで頼む」


 しっかりとエロ本をつなぎの中に器用に隠し、シャチは医務室を出て行った。


 残されたレキは、自分の腕に繋がれた錠をそっと指で撫でる。

 自分の過去、そして能力。

 結局何一つ思いだせることはなく、少しだけ痛む頭を休ませるために、ふぅっと大きく息を吐いた。


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