ヨウコは、暗い廊下を歩いていた。
ゾルディック家の屋敷はとてつもなく広い。
ミルキとこんな時間までテレビゲームをしていたことを少し悔んだ。
慣れてきたとは言え、まだこの暗闇には慣れない。
今にもなにか得体の知れないものが窓から飛び込んできそうだ。
それか、後ろから何者かに襲われるかも…。
そんなことを考えてヨウコは首筋に手をやった。
後ろから襲ってくるなら首を狙うだろうと読んだからだ。
全神経を背後にやって、早く部屋に着くことを祈った。
目印にしている端の掛けた照明が目に入ったとき、ヨウコはその手を下した。
そして細く息を吐く。
顔を上げて前を見た瞬間、ヨウコは凍りついた。
ろうそくの明かりに照らされて、何者かが立っている。
白い服を血に染めて。
「ひっ…!」
それはこちらに足を進めた。
一歩踏み出し、月明かりにその顔が晒される。
黒くまっすぐな髪。
それとは対照に真っ白な肌。
「ヨウコ?」
「え……イルミ…?」
「なにしてるの?こんな遅くに」
「あ、ちょっとミルキと遊んでて…」
「……ふーん」
ダルそうに言葉を発しているのはこの家の長男であるイルミで、ヨウコの隣の部屋の住人だ。
そっちこそこんな時間になにをしているのか。
ヨウコはイルミに聞こうかと思ったが、血に濡れた服を見て仕事だったのだと自己完結した。
殺し屋なのだ。人を殺すのが、仕事だ。
なにをしていたのか、いや、なにをしてきたのかなど、聞かなくてもわかる。
「イルミは仕事だったの?」
「そう」
相変わらずの短い返事にヨウコは苦笑する。
そしてあることに気がついた。
「それにしても…」
「ん?」
「珍しいね、イルミが服汚すなんて」
「……あぁ」
一瞬なんのことか分からずにイルミは首を傾げた。
そして自分を見降ろし頷いた。
ヨウコは何度か仕事帰りのイルミを見たがこんな姿の彼は初めてだった。
「自殺されたんだよね、目の前で」
「え…」
「ターゲットにじゃないよ。その奥さんに」
「自殺…」
「首の頸動脈切って俺に倒れこんできたからちょっと血被っちゃった」
トラックが撥ねた泥水を被ったような言い方にヨウコは身震いせずにいられなかった。
もうここへきてどれくらい経つだろう。
そう長くもないが短くもない。
多くを知った。
それでもヨウコが知らないことはまだまだたくさんある。
ゾルディック家が暗殺一家だということはここに来る前から知っているが、それでもこういう会話には慣れない。
「ヨウコ、寒いの?」
ヨウコの身震いをイルミは寒さからのものだと勘違いした。
話をややこしくするのもなんなので、ヨウコは肯定のために頷いた。
「なら、早く部屋に戻った方がいいよ」
「イルミは?」
「……一人で眠れないの?」
なにをそう捉えたのかはのか分からないがイルミはそう言う。
ヨウコは自分の体温が一気に上がるのを感じた。
「そ、そうじゃなくて…」
慌てて否定すると、イルミは軽く笑い声を上げる。
「冗談だよ。ほら」
そう言って彼はヨウコの部屋の扉を開けた。
こういうのは、どこで覚えたのだろうか。
レディファーストの精神など持ち合わせていそうにないこの男の意外な一面にヨウコは戸惑っていた。
もしかすると、紳士な友達でもいるのだろうか。
「おやすみ、ヨウコ」
「おやすみなさい…」
閉じられた扉。
その向こうで遠ざかる足音がした。
イルミが部屋の前から去ったのだ。
今度は本当に寒さから震えを起こし、ヨウコはベッドに潜り込んだ。