隣で唸っている男を無視して私は歩き続ける。
自分の家くらい一人で帰れるし、そもそも二年間一人で帰り続けたのだから帰れないわけがない。
それでもこの男は送ってやろうと言って現れる。
魂胆なんて分かってるがそれに応えてやるつもりもない。
明日のテストが心配で腹痛を起こしているミチルなんて無視だ。


「ぐおぉぉぉ…腹が…」


「お腹痛いならさっさと帰りなよ」


「洋子が優しくしてくれたら治るかも」


「じゃあ一生痛いね」


「冷たいやつめ!」


そう言ってミチルは口を尖らす。
そう、この男の魂胆はこれだ。
が、絶対に応えてやらない。
そう上手くいくと思うなよ、ダメ策士め。


「明日のテストの為に早く帰って勉強すれば?」


「ぐはッ!その単語でまた腹が…!」


同じことしか言わないミチルに呆れて溜息しか出ない。
どうしても送りたいわけは分かっているが送ってもらわなくても一人で帰れるのだ。
むしろ横で腹が痛い痛いとぶつくさ言われては余計に帰るのが遅くなるだけ。


「私が送って帰ろうか?」


「そんなカッコ悪いこと出来るか!」


「今も現在進行形でカッコ悪いよ…」


「なんて言い草だ…」


私の言葉に落ち込んだ様子のミチルを横目で見てまた溜息が出た。
黙っていればそこそこイケメン。頭も悪いわけじゃない。
ただ、なんというか。空回りしているのだ、この男は。
弱気なくせに上から目線。胃腸も弱い。
まぁ、それでも…。


「ミチル」


「……ん?なによ」


突然立ち止まった私を怪訝な顔で見てミチルも止まる。
腹が痛いとのたまっていた癖に、私が真剣な顔をすると彼は痛むはずのそこを押さえていた腕を離して真剣な顔になる。


「好きだよ」


「なっ…!なんなんなッ!」


私がそう言った瞬間、後ずさったミチルの顔は真っ赤で口をパクパクさせてまるで金魚の様。
動揺しているのが一目で分かる。


「なんなんだ!突然!」


「突然って、ずっと好きだけど?」


「そそそ、そんな軽々しく言うなよ!」


お互いにお互いの気持ちは承知しているはずなのにこの照れっぷり。
告白なんかよりも恥ずかしいことをしようと思っている人間だとは思えない。


「ミチルはどうなの?」


「ど、どうって…そりゃッ…」


「……言って?」


私が小首を傾げると彼の顔は尚更赤くなった。
私から視線を外して口元を手の甲で押さえている。
照れを隠しているようだが、隠し切れていない。
地面を睨みつけながら細く息を吐くと消えそうな声で呟く。


「………ょ…」


「聞こえないんだけど」


「だから、……だって」


「肝心の部分が全然聞こえない」


「好きだって言ってんだろ!」


「やっと聞こえたわ」


「あー恥ずかしい!なんてこと言わすんだ、お前は!」


「私も言ったし」


「恥じらいはないの!?ねえ、恥じらいは!?」


「ミチルが好きなのはホントだし」


「おおおおぉぉぉ!何回も言うなァ!」


「じゃあもう二度と言わない」


「やっぱり言ってください」


「好き」


「う、うん。やっぱりいいな」


口元を緩めて満足そうにニヤニヤしているミチルが可愛い。
僅かに悩んで覚悟を決めると私は彼の手を取った。
そしてそのまま歩きだす。


「わ!おい!」


突然のことでミチルは付いてきていない。
彼の手を引いて、まるで私が連れて歩いているようだ。


「手!手っ!」


「いいじゃん、付き合ってるんだから」


私のものと繋がれている手が握り返そうかどうしようか迷っている。
私の手を握ろうとする際に触れるミチルの指がくすぐったい。


「そ、そんなこと言ったら…言ったらなぁ…」


繋がれた手をギュッと握られて、半ば無理やり後ろを向かされる。
ミチルを正面に捉えたときにはすでに彼の手が私の頬に添えられていた。
しかし、それ以上行動を起こさない。
しっかりと私の目を見ていたはずなのに徐々に逸らされて、仕舞いには完全に目を逸らしてしまった。
今、彼の瞳には地面が。


「“言ったら”…なに?」


なかなか動き出さないミチルに痺れを切らして先を促した。
地面を見つめたまま彼はぼそぼそと言葉を探しているようだ。


「ミチル」


名前を呼んでも行動を示さない。
やるならやる。やらないならやらない。
期待、させないでほしい。


「ミチルが悪いんだからね」


私の言葉に顔を上げたミチルは次の瞬間、目を見開いた。と思う。
わずか数ミリの距離。顔の一部は接触中。
世間一般で言うところのキスだった。
薄く目を開けてみれば、思っていた通り彼は目を見開いている。
触れたままの手がぴくぴくと動いてくすぐったい。
目を瞑りながらその手を取った。


手を握ったままキスをする。触れるだけのものを数秒間。いや、数十秒。
もう一度薄く目を開けると今度は彼も目を閉じていて、すぐそこで彼のまつ毛が揺れていた。
彼はどうするだろうか。
しばらく待ってみたもののそれ以上なにもしてくる気配がない。
いい加減背伸びするのも疲れてきたので彼のそれから唇を離した。


キスの余韻に浸るミチルをじっと見ていたら、またもや彼の顔に赤みが差す。
照れると目を逸らす彼のことだからまた私から目を逸らして喚くんだろうな、なんて思っていた。
まさか、抱きしめられるとは思っていなかった。
だから今は私が目を見開いている。


「あーー、クソ。俺からするつもりだったのにー!」


私の体をぎゅうっと抱きしめてミチルが言う。
ゆっくりと彼の背中に手を回して抱きしめる。
その瞬間に溢れだすのは好きという気持ち。


「ずっとしようって思ってたのに!」


「うん、知ってる」


「っ!!知ってたなら…」


「してくれなかったじゃん」


「うっ…まぁ、そうなんだけど。それは俺なりにタイミングを見計らってだな…」


「うん、分かってる」


「なんでもお見通しかよ…」


「ミチルのこと好きだからね」


「…洋子」


「ん?」


「もう一回するぞ」


そう言って彼は私の肩を押す。
そして距離を取ると私の目をじっと見つめ顔を近付けた。
が、


「ダメ」


「むー!」


近付いてきた唇を手の平で押し返して拒否の意を示す。
さっきのは特別だ。そう何度もさせてたまるか。


「お腹痛いの治ったでしょ」


「うっ、ま、まぁな」


「私、明日のテスト対策したいから今日はもう帰る」


「あぅ、また腹が痛く…」


「はいはい」


ぐだぐだと私を帰そうとしないミチルを置いて私は足を進める。
しばらくすると観念したのか後ろからトコトコと足音が聞こえた。
隣に並んだミチルの手が私の手を取る。
今度はちゃんと手を繋いで。


「なぁなぁ」


「なに」


「明日も一緒に帰れる?」


「明日、部活じゃないの?」


「いや、そうなんだけど。サボっちゃおっかなーって」


「ダメだよ。ミチル、部長でしょ」


「そうなんだけどさー」


そう言って空いている手の人差し指で自分の唇をなぞっている。
彼の言いたいことはその行動に託されていた。


「私、テニスしてるミチルも好きだよ」


「だ、だからあんまり…。いや、言ってくれるのは嬉しいんだけど…」


ぶつぶつ言いだしたミチルを無視して言葉を繋げる。


「明日、テニス部見に行く」


「へ?」


「そんで部活が終わるの待ってるから」


「ホ、ホントに?」


「うん。だからね、部活終わったら一緒に帰ろ」


「…あ、あぁ」


「っていうか時間遅くなるから送って」


「しょ、しょうがないな…送ってやるよ」


なぜか強気になったミチルは浮足立っている。
きっと頭の中は明日の部活後のことで一杯だろう。


「言っとくけど、送ってくれただけじゃキスしないからね」


「ええぇ!!」


「部活もしっかり頑張って送ってくれたら一回。明日のテストの点数がよくて二回」


「え、ご褒美制?」


「いやならしない。二度としない」


「それは嫌だ!」


「じゃあ頑張って」


繋いでいた手を離して私はミチルの肩を励ましの意味を込めて叩く。
私の家までもう少しだ。ここまで送ってもらえればあとは安全に帰れる。


「送ってくれてありがとう」


「洋子」


「ん」


なかなか帰ろうとしないミチルが私の名前を呼ぶ。


「ちゃんと送った」


「……………」


先ほどの私の発言を指しているであろう言葉。
しかし、そんなに甘くはない。


「さっきしたから無し」


「ええええええええ!」


「はい、じゃあ明日頑張ってください」


「え、ちょっ、洋子!?」


「じゃーねー」


手を振って足早に玄関へ入る。
がちゃりと音を立てて閉められたドアにもたれた私も先ほど彼がやっていたのと同様に唇をなぞっていた。
私の思いもそこに託されている。
願わくば、明日の彼が全てにおいて全力投球してくれますように。





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