電話を切った私が振り返った先には不思議そうな顔の恵ちゃん。
なぜ私が彼とご飯を食べて帰ると言ったのか分かっていないからだろう。
私の家はお隣。
普段のこの家の賑やかさを知らないわけはない。


ただでさえ男の子三兄弟で賑やかだ。
その上、全員が格闘技をやっているということでその騒音は賑やかを超えて喧しいくらいである。
そんな家が今日は恵ちゃん一人だけ。
とてつもなく静かだ。
そんな中、一人でご飯なんて寂しいにもほどがある。
口では寂しくないと言っていても、寂しいかも知れない。
だから私は残ることにしたのだ。


「というわけで、ご飯食べて帰るね」


そんな経緯を説明するわけはなく、母との電話を終えた私はそう言った。
電話を切る間際の母の言葉。今は忘れよう。


「それはいいけど…」


言い淀んだ恵ちゃんの隣を抜けてキッチンへ行く。
だいたいどこになにがあるかは分かっているので適当に漁る。
が、少し配置が変わっているようだ。
箸とコップと茶碗は見つけたが、小鉢がない。


「恵ちゃん、小鉢どこー?」


「こっちだ」


そう言って恵ちゃんは少し高い棚にひょいと手を伸ばして小鉢を取ってくれる。


「ありがとう!」


茶碗にご飯をよそって、一旦それをテーブルに運び、また戻ってくる。
恵ちゃんはなぜかキッチンに突っ立ったままだ。
失礼します、と一声掛けて冷蔵庫を開ける。
しゃぶしゃぶに使えそうなタレを探す。
ポン酢と胡麻ダレを見つけた。


「恵ちゃん、これでいい?」


二つとも取り出して隣に立つ恵ちゃんに見せる。


「なんでもいい」


「好みがあるでしょ、好みが!」


「どっちでも食べる」


同じような答えしか出さない恵ちゃんに溜息が出る。
溜息ついでにそれを彼に渡す。
あとはお茶だ。これはすぐに見つかった。
というより冷蔵庫を開けた瞬間、目についたのだ。
片手でそれを持つと空いている手で突っ立ってる恵ちゃんの背中を押す。


「はいはい、じゃあ、準備出来たから食べよっ」


食卓まで恵ちゃんを押してって、彼の向かいに座った。
真ん中には鍋。恵ちゃんが用意していた濡れ布巾を手に蓋を開けると食欲をそそる匂いと共に湯気が上がった。


「うん、良い感じだね。じゃあ、いただきます」


「…洋子、手洗ったか?」


「…あ、そう言えば…って恵ちゃんは?」


「もう洗った。洗ってこい」


「はーい」


恵ちゃんに促された私は席を立つとキッチンまで行って手を洗う。
結構几帳面な恵ちゃんの一面に「昔からだったっけ?」と考えながら。
掛けてあったタオルで手を拭いて戻るとすでに私の器には野菜が盛られていた。


「あれ?」


恵ちゃんは涼しい顔ですでに食べ始めている。


「入れてくれたの?」


「あんまり火が通ってるのは好きじゃないだろ?」


「うん…よく覚えてたね」


いつだったか、世間話程度にそんな話をした。
まさかそれを彼が覚えているとは思っていなくて、言葉を失ってしまう。


「洋子、冷めるから早く食べろ」


「あ、うん。いただきます」


しばらくは無言のまま時間が過ぎて行く。
お肉のパックは二人前あった。
食べざかり育ちざかりの恵ちゃんの為だろう、ということで私は数切れだけ貰ってあとは全部恵ちゃんに差し出す。
最初は遠慮していたが、母同様に押しまくっているとその内彼は諦めた。


ふと気が付くと恵ちゃんの茶碗が空になりそうだ。
それのまま見ていると、彼は最後の一口を口に入れた。
反射的に手を差し出す。
そんな私を恵ちゃんは不思議そうな顔で見ている。


「食べるでしょ?ご飯」


「あ、あぁ」


「入れてくるから貸して」


彼は私の言葉を聞くと素直に従った。
炊飯器まで行って茶碗にご飯をよそう。
食卓まで戻ってそれを恵ちゃんに手渡すと、彼は照れた様子を見せる。
それが可愛くて思わず微笑んでしまった。


そのまま特に会話もないまま食事を終えた。
鍋はそのまま置いておくことにして、とりあえず使った食器をシンクへ置いていく。
袖口を捲ってスポンジを手に取ると恵ちゃんが制した。


「オレがやるからいい」


「え、いいよ。恵ちゃん割りそうだもん」


「お前の方が割りそうだよ」


「失礼な」


「ドアを足で開けるような女、どう考えたって割りそうだろ」


「割りません。いいからゆっくりしててよ」


そこまで言われれば私も女らしいところの一つでも見せてやろうという気になる。
洗い物くらいでそんなものを見せたことになるのかは分からないが。
私がスポンジを持ったまま離さないでいると彼は諦めたのか、大人しく居間へ戻って行った。
かと思いきや、数分後戻ってきて再び私の横に立つ。


「なに?」


「やっぱり手伝う」


どうやら居間へ戻ったものの手持無沙汰だったのか、それとも良心の呵責か。
彼は手伝いを申し出てくれた。
といっても、やることなど限られている。
結局彼は私が洗った食器を濯ぐ係となった。


洗っては恵ちゃんの手元へ、洗っては恵ちゃんの手元へ。
始めはぎこちなかった私達だったが、だんだん息が合ってきた。
私はふと思いついたことを口にする。


「なんか新婚さんみたいだねー」


その瞬間、恵ちゃんが濯いでいた食器を落とした。
シンクの中だったことと、低い位置で濯いでいたことが幸いして割れることはなかったがそれなりに大きな音が鳴った。
私が驚くには十分な音だ。


「な、なななな…」


驚いた私以上に、その音を出した恵ちゃんが動揺している。


「なにを言うんだ、お前は!」


少し顔を赤らめた恵ちゃんが落とした食器を再び濯ぐ。
私はそれを取り上げてもう一度洗った。
シンクの中とは言え、念には念を。


「そんな驚くことかな?」


それほど変なことを言った覚えはない。
男と女が二人並んで食器を洗っている様子なんてどう考えても男女のそれだ。
新婚か、もしくは同棲初期といったところか。
それでも彼にとっては大事だったらしい。


「当たり前だろ!」


「新婚さんみたいって言っただけなのに…」


洗ったものを手渡すと、いかにも動揺していますといった様子で濯ぎ始める。
再び落とされてはかなわないのでそのネタはそこで終わりにしておいた。
もう一度彼を動揺させれば今度こそ割りそうだ。
しばらく二人無言で作業を繰り返す。


それほど多いわけではないのですぐに終わってしまった。
これだけ終わらせておけば、あとは恵ちゃん一人でも出来るだろう。
そろそろお暇しよう。鍋も冷めただろう。


「じゃあ、恵ちゃん。私、帰るね」


そう言って鍋の取っ手を触る。
思ったとおり冷たい。
洗わせてもらったボールを鍋の上に被せて持ち上げる。
中身はほとんど入っていないため持てる重さだ。
家の玄関はここに来たときと同様に足で開ければいいだろう。


「オレが持ってくよ」


「いいよ。持てないわけじゃないし」


「いいから。甘えとけ」


そんな大層なことでもないのになんだか偉そうな恵ちゃんに苦笑する。
まぁ、好意で言ってくれているのだろうから彼の言う通り甘えておこうか。


「じゃあ、お願い」


「ああ」


鍋を手渡して、上に被せたボールだけ取る。
私だけ手ぶらだというのも気が引けるのだ。
今度は片手が空いているので手でドアを開けて閉める。
たった数歩の距離だが恵ちゃんが隣にいると思うと心強い。


「やっぱり安心感が違うねー」


「どうした?」


「中学チャンピオンが隣にいると思うと暴漢が来ても安心だよねって話」


「襲われないだろ、走れば一分も掛からずに帰れる距離で」


「分からないよ?襲われるかも…」


「ないない」


どういう意味だと問い詰めようと思ったがそんな暇はなく私の家に着いてしまった。
そこではたと思い出す。電話での母の言葉。
きっと母は私とあの話をしたくてうずうずしているだろう。
このまま恵ちゃん一緒に帰ったところを見られたのではあらぬ誤解を招くことになる。
彼にはここで帰っていただこう。


「ありがとう、恵ちゃん。ここでいいよ」


「ちゃんと玄関まで送るって」


「いや、ホントにいいから」


「なんだよ…」


私があまりに必死だったからか恵ちゃんは渋々と言った様子で私に鍋を手渡す。
蓋をしてある鍋に更に蓋をするようにボールを被せて受けとる。


「じゃあ、おばさんに礼言っといてくれ」


「うん。あ、恵ちゃん」


「ん?」


踵を返そうとした恵ちゃんを呼び止める。
一緒にご飯を食べるまでどこか寂しそうだったけど、今はそんな様子がない。
私の気のせいかも知れないが、それでもその気のせいを取り除けたのが嬉しい。


「また一緒にご飯食べようね!」


そう言って私は玄関へ向かう。
あぁ言っておけば遠慮することもないだろう。
寂しくなったら呼んで、などといっても彼は聞かないだろうから。
足で玄関を開けた私はその中へ足を踏み入れた。


「“また一緒に”…随分と意味深だな」


今日も恵ちゃんの呟きは聞こえない。
鍋を持ち帰った私は待ち受けていた母にどんな様子だったか、なぜ一緒に食べたのか、などあれやこれやと聞かれたが、なにを言っても同じ方向にしか解釈されない気がしたのでのらりくらりとかわすのだった。






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