寒さで悴んだ手を擦り合わせる。
吐く息は白く、じわりと空に滲んで消えた。
はあっと手に息を掛けると一時の暖かさを得た。
しかし、それは瞬く間に消える。
かれこれこうして半時間はここに立っている。


彼が遅れているわけではない。
私が早く来すぎたのだ。
約束の時間は三十分も後であり、きっと彼はその時間より遅く現れる。
今は部活動の真っ最中である。
エースであると同時に、それに人生のほとんどを捧げている彼が部活動を早々に切り上げるとは考えにくい。
むしろ誰よりも遅くまで残っていそうだ。


いつもは彼の部活が終わるよりだいぶ早くに終わる委員会だが、今日は柔道部の活動が終わるのと同じくらいの時間まで委員活動があった。
事前にその情報を得た私はダメ元で彼の教室に行き一緒に帰れないか尋ねてみた
すると、思ったよりあっさり了解の返事を貰うことが出来たのだ。
あまりにあっさりした了解に、思わず二三度聞き返してしまった。
そういうわけで、私は柔道場を出て真っ直ぐのここで彼を待っている。


約束の時間になった。やはり彼は現れない。
五分、十分が過ぎた頃。
柔道場の方から彼が走ってくる。


「悪い。待たせた」


「ううん、待ってないよ」


急いで着替えて来てくれたのだろう。
いつもはきっちりと着こなしている制服が少し乱れている。
小さく笑って整えてやると彼は照れ笑いを浮かべて礼を述べた。
とっさに待っていないと言ったのは、彼のそんな姿もあるが、約束の時間より三十分も早く待っていたのが私自身だったからだ。
藤田を責める道理はない。元よりそのつもりもないけど。


ふいに下していた手を藤田のそれが掴もうとした。
いつもならきっとそのまま掴まれるのを見守っていただろう。
しかし、私は反射的に避けてしまった。
案の定、彼の表情は困惑に満ちている。
当然だ。恋人に手を繋ぐことを拒否されたのだから。


「ち、違うからね!」


彼がなにか言うより早く言った。
決して彼を嫌いなわけじゃない。怒っているわけでもない。
ただ、待っていたことを知られたくなかった。
きっと彼は気を使う。もしかすると今後一切一緒に帰ってくれないかも知れない。
毎日一緒に、とは言わないがたまには一緒に帰ったりしたいのが乙女心だ。
その機会を逃したくはない。


「まだ、関谷とかいるんでしょ?」


「あ、あぁ…」


「…見られたら恥ずかしいから…」


自分で、自分の演技を褒めてあげたい。
確かに、見られて恥ずかしくないわけではない。
だが、藤田と付き合うきっかけになったのは関谷なのだ。
私と藤田の関係を知らないわけではないし、それをネタに茶化すこともしない男だ。
そんな男に見られたからといってなにか変わるわけでもない。
それでも不振がられない為にはそういうしかなかった。


「さ、早く帰ろう。見られないうちに」


「…そうだな」


藤田はまだなにか引っかかっているようだが、私の促しに乗ってきた。
校門を出るまでお互い無言で歩く。
が、校門を出た辺りで足音が一つになった。それは私のものだ。
振り返れば、藤田が数歩後ろで止まっている。


「どうしたの?忘れ物?」


「洋子」


下を向いていた彼が顔を上げて私を呼ぶ。
名字から名前で呼ばれるようになったのは決して遠くない過去。
まだそう呼ばれることに慣れていないので、彼に呼ばれる度にドキリとしてしまう。
それを悟られないように口を開く。


「なに?」


私の言葉を無視した彼は足を進める。彼の意図が読めない。
私のところまで来ても彼は止まらずにそのまま私を追い越す。
と、思いきや、すれ違いざま私の右手は彼の左手の中。


「や、ちょっ」


「待ってたんだろ?」


「………………」


もう否定することは出来なかった。
だって彼は私の手の温度を感じてしまっている。
私が彼の体温を感じているのと同じように。
それは彼の言い方からも察せられる。聞き方が付加疑問文だ。
彼が気付いていると知ってすぐに肯定の意を示せなかったのは、未だ私に恥じらいの心があるから。


「あー、待ってたって言っても十分だし」


「これが十分程度待っていた人間の手か」


彼の言葉から怒気のようなものを感じた。
なにかに対して怒っているようだ。
私が嘘を吐いたことだろうか。
というか、それ以外に心当たりがない。


「なんであんな寒いところで待ってたんだ?」


「なんでって…」


素直に言うのが一番いいのだろうが、そうなる為にはもう少し時間と勇気が必要だ。
彼の言う通り、待つのなら教室なりなんなり暖かいところで待てばいい。
それをあの寒いところで待っていたのにはちゃんと理由がある。
しかしそれを口にするのはためらわれた。恥ずかしすぎる。


「教室は閉められちゃうし…それに、ねえ?うん…えーっと…」


適当にはぐらかそうとしたが、彼は許してくれないようだ。
しどろもどろ、のらりくらり、どうにか適当な理由を見つけなければ。
そう思って思考を巡らせていると突然彼が立ち止まる。
そしてこちらを振り向いた。思わずたじろいでしまう。


藤田はじっと私の瞳を見ている。やがて、恥ずかしくなって私は俯いてしまった。
視界には私と藤田の足元しかない。まだ藤田から視線を感じる。
一つ息を吸った彼が言葉を紡ぐ。


「…ボクに会いたかった?」


見ないようにしていたのに、その言葉に思わず顔を上げてしまった。
決して冗談で言っているわけではないようだ。
かち合った目がそう言っていた。彼は、真面目に言ったのである。
彼の言葉は図星だった。
私は彼に会いたかったのだ。


学校にいても私と彼の接点は驚くほど少ない。
故に、私と藤田が交際していることを知る者も少ない。
それくらい接点がないし、私と彼も接さない。
更に登下校も別となるといよいよ私達の共有する時間はない。
ひどい時は遠くから彼を見掛けて終わりだ。


それが今週はずっと続いていた。
そして今日、チャンスが訪れたのだ。
普段なら絶対近寄らない藤田の教室へ行き、関谷と話す彼に話しかけたのは付き合ってからも数えるほどしかない。


恥ずかしくて死にそうだ。きっと私の顔は赤い。
先ほどまで寒くて仕方なかったのに、彼の一言で体が熱くなる。
繋いだ手から彼の体温が伝わってきて更にそれを加速させた。


私の様子を見た彼は満足したのか再び歩み始める。
引っ張られるように足を進める私。
なんとなくもどかしくて繋いだ手をぎゅっと握る。
僅かな間も置かずに握り返された手を見つめて少し距離を詰めた。
隣に並ぶと少し歩調を緩めてくれる。
ちらりと彼を盗み見ると彼も僅かに頬を赤らめており、私の頬も赤みを増した。
それを誤魔化すように私は彼の手を強く握った。





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