森の入り口に馬を繋いだ。
ここから先は徒歩だ。
あらかじめ準備していたランプを手に私達は森へ入る。
といっても私は明かりを持っていない。
「ヨウコ、ランプは?」
「いらない」
暗闇に目をならしておかないと不安だった。
いつ、なにが、どこから飛び出してくるかわからないからだ。
もちろん、人が住んでいるのだからそれほど危険なわけではないのは分かる。
それでも、手に取ったランプを私は荷物カバンに戻した。
「少し先に行くね」
「ヨウコ、あまり離れたら危険ですよ」
「大丈夫よ。身を守る術は知ってる」
一緒に行動したくないというわけではない。
こういう場合、エイリの言う通りあまり離れない方がいい。
それでも私が彼らから離れたのは近くに光源があると闇に慣れないからだ。
腰の辺りで誓剣が音を立てる。
エイリ達のランプの光が届かない位置まで小走りで進み、辺りを見回す。
今日は雲が多い。
月光が時折現れては消えていく。
木の根が不気味に絡み合っていて、思わずつまずいた。
「ヨウコ、大丈夫ですか?」
腰の誓剣が少し派手な音で揺れたため、エイリに気付かれたようだ。
「平気。この辺、足元危ないよ」
「ランプ持ってないからつまずくんだよ…」
ユージュの言葉を無視して足を進める。
さっきのは上を見ていたからだ。
もう大丈夫。だんだん闇に慣れてきた。
その時、右に動く影を見た。
いや、気のせいかも知れない。
さっと身を屈めて様子を窺う。
……なにもいない。
…警戒しすぎたか…?
「ヨウコ、なにかあったのか?」
近くまで迫っていたユージュの問いかけに私は立ち上がった。
なにもいないようだ。
私は首を横に振って答えた。
「気のせいだった」
「まぁ、警戒するに越したことないがな」
その言葉には頷いておく。
確かに、全く警戒してないよりはいいだろう。
もうちょっと先に行ってみよう。
「エイリが近付く前に行くわ」
「その言い方だとエイリのことが嫌いみたいに聞こえるぞ」
ククッとユージュが笑った。
その後ろにエイリの姿が見える。
聞こえてはいないようだ。
「そういう意味じゃないけど…」
「分かってるよ。まぁ、前線は任せるわ」
「うん」
エイリのことが嫌いなわけではない。
ただ、話していて苛立つことは多い。
ワイアットにナンパされている方がイラつかないくらいだ。
私のことを気遣ってくれているのだろうが。
私には無用だ。むしろ侮辱に思えてしまう。
反面、ユージュは私のことを良く理解していると思う。
私も彼も誓騎士の中では少しはみ出し者だ。
いや、ユージュは“だいぶ”はみ出し者だが。
それでもきっと彼は私の望みを知っている。
頼ってくれるのだ。
そんな考えごとをしながらでも警戒は解いていない。
むしろ気を張り直した。
そのおかげだろうか。
不穏なものを感じ取った。
「ユージュ!預かって!」
そう言って、私はその場に腰の誓剣を置く。
剣の先が私の進行方向になる様に。
「お、おい!ヨウコ!!」
前方少し右。
殺気を感じたのだ。
私に向けられているわけではない。
私達以外のなにか、いや、誰かを殺そうとしてる。
「きゃーー!」
甲高い悲鳴が聞こえた。
こんな森に女性が住んでいるのだろうか。
確か“隠者”は一人身で同居人もいないと聞いた。
迷い込んだのか。
なんにせよ、私達の使命は市民を守ることだ。
少し拓けたところに出た。
そこに男が二人、それから…ホタル?
まぁ、森の中だ。虫の一匹や二匹はいるだろう。
男二人は対峙している。
片や剣を手に、片や丸腰だ。
殺気を放っているのは剣を手にした男。
ならば叫んだのは丸腰の男だろうか。
それにしては女性のそれだったような…。
まぁ、いい。
どこかに隠れているだけかも知れない。
剣の男が悪だということは確かだ。
幸いこちらには気付かれていない。
ざっと攻撃プランを立てて、私は地面を蹴った。
闇に乗じて、男に接近した私は男の後頭部を狙って蹴りを放つ。
だが、あっさりと避けられる。
予想していた通り、素人ではないらしい。
つまり、物取りの類ではないということだ。
「誰に雇われた?」
「言うと思うか小娘が」
“小娘”とは考えるまでもなく私のことだろう。
背格好から言って、私を男性と見間違う者はいない。
残念ながら。
「ならば吐かせる」
「やってみろ」
挑戦的な視線。
ここで怒りに身を任せてしまえば負ける。
冷静に。
私はそう言い聞かせた。
誓剣とは別に私は小刀を所持している。
それをさっと取り出して間合いを取った。
男の狙いは丸腰の男だ。
ジリジリとそちらへ足をずらし、二人の間に立った。
これで、剣を構えた男は私を越えなければならない。
まぁ、その代わり、私も男の攻撃を避けられなくなったが。
ユージュとエイリが来るまで時間が稼げればいい。
「そんな小刀でどうするつもりだ、お嬢ちゃん」
明らかな挑発。
そんなものはこれまで何度も受けてきた。
もっと屈辱的なものも含めて。
こんなことで動揺したりはしない。
かといって、挑発されっぱなしも腹が立つ。
今度はこちらが挑発してみようか。
私は口角を上げてわざと嫌な笑みを作る。
「口ばっかり動いてるけど、腕に自信がない証拠ね」
「なんだと…!」
男の怒りが膨れ上がる。
ここまであからさまに乗ってくれると挑発のしがいがあるというものだ。
男の目には私しか映っていない。
挑発成功だ。
後ろの男が逃げる様子はない。
ここが戦場ならさっさと逃げろと怒鳴っているところだが今は、一対一。
こういう時に逃げられるとかえって困る。
男の注意を引きつけた意味がなくなるからだ。
「その口、二度と聞けなくしてやるよ!」
言葉と共に男が踏み込んでくる。
まっすぐ頭に振り下ろされた剣を私は持っていた小刀で右へ弾く。
男はすぐさま横へ振ってきた。
今度は下から上へ掬いあげるように弾く。
……そこそこ腕は立つようだ。
こっちも仕掛けなくては。
あまり受け流してばかりもいられない。
後ろには男の目的が突っ立っている。
彼を切らせるわけにはいかないのだ。
私はすばやく踏み込んで男の腕を狙う。
やはり簡単には切らせてくれない。
あっさり後ろへ飛んで避けられた。
「やるねぇ、お嬢ちゃん」
「そりゃどうも」
誓騎士に向かって言う台詞ではないと思う。
が、今の私は誓剣を持っていない。
私がそれだと分かるはずもないか。
突如、横からナイフが飛んできた。
私にではない。男に向かって、だ。
ようやく二人が追いついたらしい。
さすがに驚いたのだろう。
男はバランスを失い体制を崩した。
狙うなら今だ。
地面を蹴って男との距離を詰めた。
小刀を横に振る。
それは男の足を掠めた。
私の小刀を蹴り落とそうとしたらしい。
あの体制から、よく蹴りが出たものだ。
ふいに何かが風を切る音がした。
慌ててしゃがむ。
後ろの木に矢が刺さっていた。
男は一人ではなかったらしい。
私が木に目を向けたと同時に男が体制を立て直して駈け出した。
追いかけようとするも矢が目の前を通過する。
低く構えて矢が飛んできた方向に体を向けるがすぐにザザザっと音がして静寂になった。
小刀を構えて警戒する。
はるか向こうでフクロウの鳴き声。
それ以外はなにもない。
他に聞こえるのは自分の呼吸音だけだ。
完全に奴らはここから去ったらしい。
姿勢を起こして振り返ると、少し離れたところにユージュとエイリが立っていた。
木に刺さった矢を回収しておく。
なにかの手掛かりになるかも知れない。
「大丈夫ですか、ヨウコ!」
近付いた私にエイリが心配そうな声で言う。
「平気。怪我もしてない。大した怪我も負わせられなかったけど…」
「お手柄だな、ヨウコ」
そう言ってユージュに渡された誓剣を腰に付ける。
「ただ、これは置いて行くなよな。看板みたいな扱いしやがって」
「ああした方が分かりやすかったでしょ」
「だからってなぁ…」
「それにお手柄じゃないよ。……市民を守るのが私達の」
剣をその辺に置くなは、もう何十回と聞いている。
お説教モードに入りかけているユージュの言葉は遮っておくことにする。
しかし、今度は私が遮られた。
「いや、お手柄だよ。お前が助けた人こそ、隠者殿だ」
ユージュの言葉に私は顔を上げた。
ちょうど雲が切れて月光が辺りを照らす。
“隠者”と呼ばれたその人が、そこにいた。