「やー!」
「はー!」
「うるさいんだけど」
「すみません」
「すみません」
優也君とイチちゃんが伊織君に謝っている。
能力安定の為の訓練を行っているのだが、彼らはなぜか掛け声を上げる。
伊織君に注意された今も小さな声で「やー」とか「とー」と言っていた。
もちろん、そんなことをする必要はない。
十中八九、蒼がデマを教えたんだろうけど…。
「もう、だからうるさいってば!」
「でも五月部長がこうした方がいいって…」
「嘘だからそれ」
「えー!」
「えー!」
やっぱり…。
小さく溜息を吐いた。
本当にこういうことが大好きだ、蒼は。
その蒼と姫ちゃんは部活動のなにかをしに生徒会に言っている。
部長が不在なので、副部長に任命された私がこうしてここに座っているわけだ。
一体なにをしに生徒会へ行っているのやら。
きっと仕方なくなんだろうけど。
生徒会顧問は源先生だから。
そういえば、ちゃんと帰ってこれたんだろうか。
「失礼する」
「おぉ、五十嵐」
源先生の身を案じ始めたとき、扉がノックされて開かれた。
M研部長の五十嵐裕次郎がそこに立っていた。
「どうしたの?」
「いや、五月蒼に呼ばれたのだが」
「蒼なら生徒会に行ってるけど?」
「そうか…待たせてもらってもいいか」
「うん、もちろん」
五十嵐はそう言うと私の向かいの席に腰掛けた。
「あ、お茶飲む?」
「いいのか?」
「うん。って言っても茶葉は全部蒼のだけど」
席を立ってお茶セットが置いてあるところへ行く。
本当に彼は、蒼は自由だと思う。
ここは放送室だ。精密な機械も多く置いてある。
にも関わらず、ポットを置くなんて…。
我が彼氏ながら自己中心的だ。
「なんでもいい?」
「あぁ、よく分からんしな」
「実は、私もよく分からないんだけど」
適当なのを淹れることにする。
こういうのは姫ちゃんか蒼でないと分からない。
あの二人はこういうことに詳しい。
育ち…だろうか。
「はい」
「すまんな」
「いいえー。ほら、三人も休憩しなよ」
伊織君にブツブツ言われながら訓練を続行している優也君とイチちゃんを呼ぶ。
その途端二人は顔を輝かせ、一人は溜息を吐いた。
「わーい!」
「やったー!」
「やっと静かになる…」
それぞれ思い思いの席について私が入れた紅茶を飲み始める。
「おいしいです!」
「まぁ、茶葉にお湯注いだだけだし…」
「あー、まぁ、そうなんですけど…」
優也君が目を輝かせて、途端にしゅんとする。
彼の表情はコロコロ変わって面白い。
動物に例えるなら犬だな、と思っている。
…五十嵐も大型犬って感じがするな。
「そういえば…」
イチちゃんがおもむろに口を開く。
「なんで、洋子先輩って五十嵐さんのこと下の名前で呼ばないんですか?」
「下の名前で?」
「花姫さんは、五月部長が『姫』って呼ぶから『姫ちゃん』なんですよね?」
「うん」
そのことを彼女に話したことはないが、きっと気付いたのだろう。
基本的に人を呼ぶ時は蒼の呼び方に『ちゃん・君』を付けていることに。
「五月部長は五十嵐さんのことを『裕次郎』って呼ぶのに、洋子先輩は名字で呼んでますよね」
前記の法則でいけば、私は五十嵐のことを『裕次郎君』と呼ぶことになる。
なぜそれをしないのか。
それには単純明快な訳がある。
「五月蒼が嫌がるのだ」
私の代わりに五十嵐が言った。
そう、蒼が嫌がるのである。
「元は呼んでたのよ、『裕次郎』って」
「呼び捨てで?」
優也君が身を乗り出す。
目がきらきらと輝いているのは気のせいだろうか。
彼の脳内で三角関係が展開されているような気がした。
「言っておくけど、三角関係じゃないからね」
「なんだ…」
残念とでも言いたげに彼は引っ込む。
私と五十嵐の間にそんなものはない。
言うなれば友情ただ一つ。
「呼ぶのを止めたのは蒼と付き合い始めてからなんだけどね」
「あぁ、そうだな」
「機嫌が悪くなるの。私が五十嵐を名前で呼ぶと」
「へー、それって」
「嫉妬ですか?」
優也君の後に続いてイチちゃんが言う。
五十嵐と目を合わせて小さく息を吐いた。
「あいつにもそういう感情があるらしい」
「というか、結構嫉妬深いよ。蒼は」
「えー、意外です!」
イチちゃんの言葉はもっともだ。
蒼はいつも余裕そうな顔をしているから。
だから私も油断していた。
気にしていない、と思い込んでいたのだ。
「まぁあいつも人間だったということか…」
「五十嵐、それは失礼すぎると思うよ」
「一体何の話をしているのかな?」
前置きなしに扉が開かれて蒼と姫ちゃんが入ってきた。
「あ、お帰りなさい。五月部長!」
「今、蒼部長の話をし…んー!」
「僕の話?」
「部長がなにをしに生徒会に行ったのかって話っす」
イチちゃんが慌てて優也君の口を塞ぎ、すかさず伊織君がフォローした。
本当に連携が取れている。
感動物だ。
「あぁ、そのこと。合同合宿の許可を貰いにね」
「合宿だと?」
「そう、S研とM研の合同合宿」
「き、聞いてないぞ!俺は!」
ガタッと席を立ち、五十嵐がうろたえる。
彼が聞いていないということは完全に蒼の独断だろう。
五十嵐が私を見るが私とて初耳だ。
まぁ、蒼のこういう行動は今に始まったことではないから驚きはしないけど。
「私も初耳よ」
「夏休み始めの一週間は合宿だからそのつもりでいてね」
五十嵐が呼ばれたのはこの為だろう。
彼はM研の部長だ。
つまり皆に話しておけ、ということらしい。
それを聞く姫ちゃんの様子がどこかおかしかった。
不安げに顔を伏せているのだ。
まぁ、気持ちは分からないでもない。
彼は前回の試験で能力が暴走して、噂になっているからだ。
私も五十嵐も蒼もそんな噂に踊らされたりはしないが、皆が皆そうではない。
M研の中には姫ちゃんを良く思わない人もいる。
「姫ちゃん、紅茶の淹れ方教えて」
「え、あ、はい」
私に出来ることなんてこれくらいだ。
これ以上、余計なことを考えないようにこの場から離すこと。
姫ちゃんと一緒にお茶セットが置いてあるところへ行き、簡単に説明を受ける。
「木村さん、ありがとうございます」
茶葉の缶を開ける手を止めて、姫ちゃんが言う。
知らないふりをしておこう。
彼はいらないことを考えてしまう節がある。
「……なんのことだか」
「助かりました」
珍しく、力を入れて言われたそれには軽く頷いておく。
その方がいいだろう。
「……で、姫ちゃん。次は?」
「はい。これを…」
S研とM研の合同合宿。
多分、これは姫ちゃんの能力を安定させる為の荒療治合宿だ。
彼は試験には受かったが、能力を上手く使うことが出来ない。
それは過去にその能力で人を傷つけてしまったことが関係してるのだが…。
彼自身が乗り越えなければ、周りにはどうすることも出来ない。
「ところで。この紅茶、誰が淹れたの?」
「洋子先輩が淹れてくれました!」
「ふぅん。裕次郎のも?」
「あ、あぁ…」
「目が泳いでるけど、なにかやましいことでもあるの?」
「そ、そんなわけ…」
「あやしいなぁ。裕次郎ちょっと外行こうか」
目の端に廊下へ連れ出される五十嵐と彼の襟元を掴んで外へ出る蒼が入った。
私は知らないふりをしてその二人に背を向ける。
今回のはきっと嫉妬どうこうではないはずだが、やつ当たりされる五十嵐は少し可哀想だなと思った。