あの人がとても綺麗に嗤うから、私はそれを止められずにいる。
一度犯してしまえば、二度も三度も同じで。
罪の意識などというものは回数を重ねて薄れて行った。
そんなものよりも、私はあの人のあの笑みが見たくて。
それを繰り返しているのだ。


座り込んだ廊下の床は思っていたよりも冷たい。
昼間に触れた時はこれほど冷やかに思わなかったのだが、一体どういうことだろう。
きっとそれは人がいたからだ。
大勢の生徒が周りにいたからそれほど冷たさを感じなかったのだろう。
更に、あの時は太陽がこの廊下を照らしていた。
それが一番の要因と考えられる。


軽く閉じていた瞼を開いたのは、廊下の向こうから福沢玲子の高笑いが聞こえたからだった。
それとほぼ同時に駆ける足音が廊下に響く。
福沢玲子の持ち場と私の持ち場はちょうど“く”の字になっており、対象がこのまま福沢玲子から逃げて廊下を曲がれば、それは私の獲物に変わる。


抱きかかえるようにしていた日本刀が小さく音を立てる。
どこからどんな形で手に入れたのか分からないそれは、ある日あの人がくれた。
「お前にはこれが似合う」そう言って渡されたとき、言いようのない幸福を感じたものだ。
あの人に貰ったものはこれが初めて。
そして最後だろう。


私は対象の無事を祈った。
ここまで無事に辿り着いてくれ。
出来れば無傷であの角を曲がってこちらへ走って来てくれ。
そうすれば、全ての傷が自分の仕業だとあの人に報告出来る。


段々とその足音は大きくなる。
近付いているのだ。
更に福沢玲子の声も近くなる。
対象はすぐそこまで来ている。
私はおもむろに立ち上がった。


真っ直ぐに廊下の先を見据える。
そこから影が飛び出した。
廊下を照らす月が対象を私に、そして対象に私を教える。


「あーあ!今度も洋子先輩の手柄かぁ!」


心底落胆した声で福沢玲子が言う。


「洋子先輩!派手にやってくださいよ!?」


彼女の言葉に一切のなにも返さずに私は日本刀を抜いた。
刃が月の光を跳ね返す。
そんな光景を見て対象は驚きの声を上げた。


「木村…?そんな、お前まで…そんな」


横に首を振りながら信じられないという顔で私を見たのは男子生徒だった。
彼は私のことを知っているようだ。


「嘘だろ…さっき“また明日”って別れたじゃないか!?」


彼のいう“さっき”とは放課後のことだろう。
彼は睡眠薬か何かで眠らされていたか気絶させられていたに違いない。
今の時刻はすでに夜の九時を回っている。
とても“さっき”などという表現では放課後に辿りつけない。


彼の発言から察するにどうやらクラスメイトのようだ。
確かに何人かのクラスメイトと挨拶を交わした覚えはある。
だが、その中に名前を言える者などいない。
一年ほど前から私が知っている同級生は殺人クラブのメンバーだけだ。
その他の記憶は欠落してしまった。
必要ないから。


「なんでお前まで、こんな…、嘘だって言ってくれよ!」


一歩足を引いて、構えの姿勢を取る。
まずはどこを狙おうか。
なるべく血が吹き出るようなところを切りたい。
とすれば、首か。
しかし、すぐ絶命するのも面白くない。
少しいたぶってから…。


「聞いてんのか!木村」


しつこく話し掛けてくる彼に思考を中断させられた私は、少しだけお喋りすることにした。


「私はあなたに恨みはないけど、あの人達が恨んでるの。だから死んで」


「おいおい、なんの冗談だよ…!」


「冗談なんかじゃない。本当の話」


「おかしいよ。俺がなにしたっていうんだよ…。お前ら狂ってるよ…」


彼は少し鼻声になった。
泣いているようだ。
しかし、それもどうでもいい。
泣いたからと言って許されるはずないのだから。


「私があなたを怨む理由は、“私と目が合ったのに挨拶しなかったから”よ!」


廊下の端で様子を窺っていた福沢玲子が叫ぶ。


「他の人にも色々やらかしてたみたいねー!」


キャハハと楽しそうな笑い声が廊下に響いた。


「洋子先輩があんたを殺す理由はもっと簡単!」


彼は私を警戒しながら少し後ろを振り向く。


「な、なんだよ…」


「決まってるじゃない。日野様が望んだから!」


より一層声を高くして彼女は笑う。
彼は目を見開いて私を見た。
そのとき一粒涙が落ちる。


「そ、そんな理由で…」


その言葉にイラつく。
彼にとってはくだらないかもしれない。
それでも私にとっては最優先事項なのだ。
あの人の望むことを全て叶えたい。


「ちなみにねー、日野様があんたを怨んでるのはね」


そこで彼女は言葉を切ると再び笑う。


「あんたが洋子先輩を好きだからっ!」


彼は私の存在を無視して福沢玲子を振り返った。
私も、彼と同じで彼女を見ている。
胸がじわりと暖かくなる。
彼女の言ったことが本当ならば、それはこれ以上にないほど嬉しいことだ。


「な、なんでそれを…」


「あんた、機会窺っては洋子先輩に声掛けてたんだって?」


そういえば、と私は思い出す。
この男はよく私に声を掛けて来ていた。
朝、帰りの挨拶はもちろん、誰に聞いても分かりそうなことをわざわざ私に聞いてきたこともあった。


「それが気に入らないんだってー!」


またキャハハと笑うとそれっきり福沢玲子は黙った。
男はなにかぶつぶつ言いながら私へ向き直る。


「…俺を殺すのか」


「もちろん。あの人が望んでる」


「日野の頼みだから殺すのかよ」


「そう。あの人以外はいらないから」


「狂ってるよ…お前も、殺人クラブとかいうやつらも」


私はなにも言わずに再び構えなおした。
あの人の期待に答えなくては。
覚悟を決めた様子で男はこちらへ突進してくる。
勝負は一瞬だった。
殺しには慣れてしまった。


悲鳴を上げて男が倒れる。
腕からドクドクと血を流して。
廊下が一瞬にして真っ赤に染まった。
血だまりに踏み込めば、血が上靴に染む。


倒れた男を蹴って仰向けにすると少しずつその体に傷を付ける。
最初は薄く長く。段々と深くしていく。
廊下の血だまりがかさを増し、私も返り血に濡れていく。
男の腕や、足、指が皮一枚で繋がったり、千切れたりしている。


しばらくそうやって傷つけていると、男が動かないことに気付いた。
目に光が宿っていない。
しまった、傷つけるのに夢中で生かさず殺さずを忘れていた。
いつの間にかすぐ傍で福沢玲子が見物していた。


「グッローい」


楽しそうな声が廊下に響くと同時に、他のメンバーが廊下の端に姿を現した。
笑っているもの、私に獲物を取られて憤慨しているもの、落ち込んでいるもの様々だ。
だがそのどれも、どうでもいい。
私の目に映るのは最後に姿を見せた彼だけだ。


「今回も洋子か」


「はい」


「よくやったな」


そう言って彼は私の頭を撫でる。
動かない男の皮一枚で繋がったものを細田友晴が悔しそうに千切っていく。
その様子を見つめる彼の顔が綺麗に歪む。
ツイっと私に顔を向けると彼は、


「お前には、日本刀と血がよく似合う」


そう言ってそっと私の髪を掬うと口付けた。
こうして貰えることが嬉しくて、私は出来るだけ血を浴びる。
彼は私を正面から抱きしめると肩口に顔を寄せて大きく息を吸った。
血の匂いを嗅いでいるのだ。


彼は香水でもシャンプーの香りでも石鹸の香りでもなく、血の匂いが好きだ。
首筋に吸いついた彼は、私のそこに舌を這わせる。
男の血をゆっくりと味わうその舌に思わず声が漏れた。


「いちゃつくのは後にしてとりあえず片しちまおうぜ」


新堂誠が呆れたように言うと、彼は私から離れた。
舐められたところが空気に触れて寒い。
そして少し残念に思った。


「そうだな。じゃあお前達あとは頼む」


「片付けは僕たち任せですか」


荒井昭二が嫌みったらしく言う。


「一人だけお楽しみかい?羨ましいね」


風間望の言葉を彼は鼻で笑うと私の手を取り歩き出す。
行き先は保健室。


「洋子」


「はい」


「これからもお前のその姿を俺に見せてくれ」


「…はい」


艶っぽくそう言われれば、否定することは出来ずに頷く。
元より、そんなつもりもないけれど。
…私は殺人を繰り返す。
罪の意識などない。
あるのは愛。






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