あれ以来。
成歩堂とは逢っていない。
巷で噂の弁護士か…。
バサッと雑誌を放った。
以前、成歩堂と来たカフェ。
テーブルには、コーヒーと幼なじみが載っている雑誌。
いつの間にか、季節は梅雨になっていた。
今も、雨は降っていて道行く人は皆、傘を差している。
一向に止まない雨から、雑誌に視線を移した。
奇跡の逆転。
成歩堂弁護士。
被告人、無罪へ。
真犯人を逮捕。
そんな言葉が見開きに躍っていた。
どうやら、あの幼なじみは弁護士として活躍中のようだ。
それも、逆転の弁護士などという異名付きで。
「洋子」
今度は雑誌から、声がした方へ目をやった。
「お、御剣。お疲れ様」
こちらも噂の凄腕検事。
ただ最近は、成歩堂に負け続けているようだ。
「…ゴシップ雑誌か」
店員にコーヒーを注文した御剣が言った。
「…あぁ、これ?」
「くだらない」
「あんたならそう言うだろうと思ったよ」
「洋子、大丈夫か」
「なにが?私はいたって健康だけど」
「…そうか」
御剣は微妙な顔で俯いた。
言いたいことはなんとなく分かっている。
成歩堂とのことを気にしているのだ。
あのキス以来、成歩堂には逢っていない。
向こうから連絡もないし、私からもしていない。
彼は忙しそうだ。
だから、きっと、あの夜のことは些細な出来事でしかないのだ。
「後悔はないのか」
検事という職業柄か、御剣の言葉は容赦ない。
的確に、聞かれたくないことを聞いてくる。
「後悔?、後悔だらけですよ」
ここで悲しい顔をするのは、私のプライドが許さなかった。
だから私は笑ってみせた。
痛々しい笑みだった、と思う。
御剣が顔を歪めたから。
「…いつもありがとね」
御剣は、私が本心を見せられる唯一の相手だった。
小学生時代に知り合った三人。
矢張、成歩堂、そして御剣は20歳を越えた今も繋がっている数少ない友人だ。
御剣は、途中で転校してしまったが、それでも連絡は取り合っていた。
直に逢って喋らない分、御剣には色々な相談をした。
しやすかった。
そして成歩堂のことも、その中に入る。
「私はなにも…」
否定しかけた御剣に、首を横に振って答えた。
「話聞いてくれるだけで、助かってるよ」
御剣は「そうか」と呟いて黙った。
「御剣の方はどうなの?」
私は話を切り替えた。
そうしないと、いけない気がした。
検事として活躍する御剣の時間は限られている。
わざわざ、貴重な時間を自分に使ってくれていることが嬉しかった。
好きになったのが、御剣だったら。
そう思うことが往々にしてあった。
しかし、それは御剣に対する侮辱に思えた。
そして、いかに自分が勝手な人間かを思い知らされて、成歩堂をいかに好きか、痛感させられた。
「今日はごめんね、御剣」
「…なぜ謝る」
「…ありがとう」
それは、御剣なりの「気にするな」だと解釈した。
「あ、一つお願いしていい?」
会計を済ませた店の前。
雨は、奇跡的に止んでいた。
止む気配などなかったのに。
だから、私はずっと考えていたことを実行に移した。
「なんだ?」
「裁判所、連れてって」
あいつが頑張ってる場所を見ておきたくて。
そう付け足す勇気は、なかった。
「分かった」
御剣は快く了承してくれた。
駐車場に止められた御剣の車に乗り込み、裁判所を目指す。
近付くことも拒否していた。
怖かった、なにかの拍子に出会うことが。
怖かった、他人のフリをされるのが。
「洋子、着いたぞ」
車から降りて伸びをする。
雨が降ったお陰で気温が下がったのか心地よい風が吹く。
「中に入るか?」
「え、入れるの?」
「う…ム、問題ない」
「…問題ありなんでしょ?」
「まぁ、な」
「じゃあ、いいよ。私は一般人だもん」
裁判所を見上げる。
ここであいつは、成歩堂は頑張っている。
「帰ったらトノサマン見るんだからねっ、なるほどくん!」
「えー、ぼくはいいよ。真宵ちゃんだけで見なよ」
耳を疑った。
聞き覚えのある声、聞き覚えのある名前。
裁判所から出て来る二人。
知らない女の子と……成歩堂龍一…。
「成歩堂…」
そう呟いたのは、私ではなく御剣だった。
「…………洋子…」
「あれ、みつるぎ検事と…なるほどくん、知り合い?」
ああ、そういうことなんだ。
こいつが、成歩堂が連絡を寄越さないのは…。
彼女がいたから、なんだ。
「…久しぶりだね、成歩堂」
少々上擦りながら、絞り出した声。
どうか、普通に聞こえていてほしい。
「…あ、あぁ」
「ごめん、御剣。帰るわ」
「…洋子、送って」
「いいっ!」
御剣の言葉を振り切るように駆け出した。
後ろから、私を呼ぶ声と、女の子が成歩堂を叱る声が聞こえる。
なんだ、なんだ。
そんなことか。
賭けだったのかも知れない。
私のあの行動は。
あのキスは。
友人の一線を越えたがっていることを、成歩堂に伝えれば状況が変わると思っていた。
でも、成歩堂にはそんなこと、全然伝わってなかった。
それどころか、気にもかけてもらえていなかった。
だって、あんなに可愛い彼女がいたんだもん。
歳はかなり下みたいだったけど、親しそうだった。
最初から、私の場所なんてなかったんだ。
自分があまりに滑稽で、私は笑っていた。
周りから見たら、不審だっただろう。
笑うと同時に、泣いていたから。