目の前の男は自分の身に起こっていることを理解出来ていないようだった。
そして私はその反応を見て、やめておけばよかった、と自分の行動を後悔した。


成歩堂は、現役で司法試験に受かってみせた。
応援しながらも、心のどこかで無理だと思っていた私は予想していなかった喜びの電話を受け、あろうことか泣いてしまった。


電話を掛けてきた成歩堂はもとより、公園のブランコ付近にいたこども達にも泣いていることを心配されて、電話を切った後もひとしきり泣いた。


いつもならブランコ争奪戦を繰り広げる近所のこどもが私の背中を摩り、争奪戦を見学している親達も寄って来て心配してくれる始末だ。


心配されたものの、私の涙は嬉し涙で心はとても晴れやかだった。
成歩堂が司法試験に受かった。
弁護士になれた…!
今ならなんだって許せそうだ。


「……洋子姉ちゃん。言いにくいんだけどさ、ブランコ代わって」


いつもなら、ブランコ争奪戦開始を告げるその言葉にも


「お安いご用だ!」


そう言って威勢よくブランコを譲れるほどだった。


弁護士となった成歩堂に逢ったのは、あの電話から一月経ったころだった。


成歩堂は大学時代からは考えられない服装をしていた。
馬鹿みたいなピンク色の服が印象強いせいか、真っ青なスーツを身に纏った成歩堂は本当に別人だった。


「………へえ、意外とありだね」


「久々だってのにご挨拶だな」


喋り方も落ち着いた気がする。
適当なカフェに入り、適当な席に着いた。
向かいには当然、成歩堂が座る。
浮ついていた男子学生から、社会人の男に成長していた。
たった一月で。


まるで、取り残されたようだ。
私だけ、学生時代に。
なにも成長していない。


「どうなの、弁護士は」


「うーん、まだなんとも」


そりゃそうか、なったばっかりだもんな弁護士。


「洋子は?」


「なにが?」


「なにがって…」


呆れたような言い方だった。


「変わりないよ。公園でのブランコ争奪戦も」


「まだやってるのか、あれ…」


「まだやってますよ、あれ」


そうやって他愛ない話をした。
学生時代の思い出も語り合った。
あの事件の部分を除いて。


「うわっ、もうこんな時間か!」


「あーホントだねぇ」


「そろそろ帰るか」


「…そうだね」


本当はもっと居たかった、一緒に。
いくら成歩堂の服装や話し方が変わっていても、私の気持ちに変化はない。
むしろ、火に油を注いだだけだ。


カフェを出るとすでに日は落ちていた。


「洋子、送って行くよ」


「………………」


「なんでそんなに怪訝そうなんだ」


「…いや、だってねぇ」


「誰に同意を求めているのかは分からないけど、送り狼になる気はないよ」


「…………」


余計に眉間のシワを濃くしてみれば成歩堂は、矢張とは違う、とはっきり主張した。


成歩堂に一切の下心がないことは分かっている。
むしろ、そんなものがあるならば私にとっては願ったり叶ったりだ。


そして、下心を持った成歩堂龍一は私の知っている成歩堂龍一ではない。


「じゃあ、送ってもらおうかな。愛車で」


「ぼくが免許持ってないの知ってるだろ」


「冗談よ。ゆっくり歩いて帰りましょ」


幸か不幸か、私の家はここから近い。
成歩堂の優しさに付け込んで、普段よりゆっくり歩いてみた。
思った通り、彼は私に合わせてくれる。


「そういえば、」


思い出したように成歩堂が呟いた。


「なにか、話がある、とか言ってなかったか」


「…そうだっけ?」


「ああ」


確かに言った。
当初の私の計画より些か早いが、成歩堂は司法試験に受かり弁護士になった。
そして、それは私が彼に想いを打ち明けることを意味していた。


「なんだったかなぁ」


「まさか、忘れたのか?」


「いやいや、まさか。ちょっと出て来ないだけよ」


「それを世間では“忘れた”って言うんだよ」


あはは、と笑いながら私は必死に考えていた。
言うべきか、言わざるべきか。
恋愛事に自分がここまで慎重だとは思わなかった。
当たって砕けるタイプだと自負していた。
砕けるどころか当たるのすら躊躇している。
そんな自分に苦笑した。


「洋子」


「ん?」


「ここだろ、家」


「あ、」


いつの間にか、家に着いていた。


「遅くなって悪かったな」


「ううん。忙しいのに、今日は時間作ってくれてありがとう」


「いやぁ、こちらこそ」


学生時代は、たった一言の別れの挨拶で済んだのに。
なんとなく可笑しくてまた苦笑する。


「どうかした?」


「…ううん、私達も大人になったなぁと思って」


成歩堂も苦笑した。
尚更、愛おしく感じる。


「じゃあ、ぼくはこれで」


「うん、送ってくれてありがとう」


背中を向けて歩き出す成歩堂を、見送るつもりだった。


「成歩堂!」


特になんの案もなく呼び止めてしまった。
当然、彼は振り向く。
まだそれほど遠くには行っていない。


もう、本能の赴くままだった。
小走りに駆け寄り、


「…!!!」


私は成歩堂の首に手を回してキスをした。


時間にして五秒足らず。
短いキスだ。
成歩堂は目を丸くしてひたすらに私を見ていた。
そして、私はそんな成歩堂を見てなんとも言えない気持ちになった。


これでは、送り狼ならぬ“送られ狼”だ。


キスを終えて、しばらく私達は見つめ合った。
彼は必死に考えている様子だった。
いや、上手く思考が働かないのかも知れない。
突然のことだ、無理もない。


私は、謝ろうとして、やめた。
どう言っていいか分からなかったからだ。
嬉しさより、後悔の方が強かった。


踵を反すと家まで駆けた。
このことを御剣に話したらどんな反応をするだろう。
怒られるだろうか、顔を真っ赤にして。


御剣の反応を想像して少しだけ笑った後、唇に手をやった。
確かに、私は成歩堂とキスをした。
同意は得てなかったけど。
今度は嬉しさが後悔を上回ったが、それは一瞬のことで再び後悔が戻った。


私の行動が正しかったかどうかは、分からなかった。





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