外に出ると心地良い風がすり抜ける。
「あー呑んだなぁ」
数歩先を行く龍一くんが伸びをした。
十数年の間に彼は大人になり、背も伸びた。
目の覚めるような青いスーツが似合う大人に。
「ごめんね、矢張がうるさくて」
「えっ、ううん。…仲良いんだね」
素直にそう言うと、龍一くんは「あぁ、うん。まあね」と言葉を濁す。
「もう腐れ縁みたいになってきてるよ」
「長いもんね、仲良くなって」
「…あの学級裁判以来、か」
思い出すように言った龍一くんはそれっきり黙り込む。
それは私も同様で、あの日を思い出していた。
怜侍くんの給食費が盗まれたことから行われた学級裁判。
疑われたのは龍一くんで、誰もそれを疑問に思わなかった。
怜侍くんと政志くん以外は。
表向きはそうなっているが、疑問に思っていた人はもう一人いて…。
そしてそれは、龍一くんに思いを寄せていた私だ。
もちろん、誰も覚えていないだろう。
小学時代の私は、目立たない生徒だったから。
私一人の意見など、全く問題視されていなかったはずだ。
「あの事がなかったら、御剣とも矢張とも仲良くならなかったんだよな…」
「……………」
彼は、覚えていない。
私も彼の無実を信じていたことを。
予想はしていたが、その事実は私の胸に悲しみを広げた。
「洋子ちゃんさ」
「うん?」
「覚えてる?あの裁判」
「…覚えてるよ。あれからあの先生嫌いになったもん」
生徒を信じなかった教師。
今でもはっきり思い出せる。
龍一くんを見る疑いの目。
思い出して一人で悶々としていると、龍一くんが笑いだした。
「洋子ちゃん、顔に出てるよ」
「えっ」
慌てて両頬を手で挟む。
どんな顔をしていたんだろう。
「ホントに嫌いなんだね」
彼が苦笑する。
「ありがとう」
ポツリと龍一くんは呟いた。
「“ありがとう”?」
「うん。ぼくの無罪を信じてくれてただろ?」
沈黙が流れて、聞こえるのは自分達の足音だけだったが、それすら聞こえなくなった。
「覚えてたの?」
「…うん。だって、数少ない味方だったし」
すっかり忘れていると思っていた。
彼は一人立たされて泣いていたし、あの学級裁判の後で怜侍くんや政志くんと仲良くなっても私には話し掛けて来なかったから。
彼が覚えていてくれた、それだけで私の心には花が咲く。
だからかも知れない、
「どうしてぼくを信じてくれたんだい?」
その質問に、
「だって私、龍一くん好きだったから」
素直に答えてしまったのは。
「え、あ…」
戸惑う私をじっと見たまま彼は目を丸くしている。
「……そうだったんだ」
何十秒も経過して、ようやく彼は柔らかく笑い言った。
「…うん」
昔の思いを本人にぶちまけるのは、思っていたよりも照れてしまった。
そこからはもう、どうやって話せばいいか分からなくてひたすら足を進める。
「…あの、さ」
突然、龍一くんは足を止めて振り向いた。
向き合う形になった私達は身長さから彼は私を見下げて、私は彼を見上げて見つめ合っている。
「…今も、それって有効かな?」
言われた意味が分からなくて、同じ言葉を脳内で何度も反復する。
そして、その意味を理解してからは騒ぎ出す心を収める為にひらすら数を数え出した。
「………なーんてね」
優しく笑った彼はくるりと背を向けて歩き出す。
一瞬反応が遅れたが慌てて足を前に踏み出した。
よくよく考えれば、あれから十年以上経っているのだ。
普通に考えれば心変わりしているだろう。
そして彼もその結論に至ったようだ。
「さすがにそれはない、か」
自嘲した彼の背中を見つめて、言うべきか言わざるべきかを考える。
永い間秘めてきた思いを、打ち明けるなら今だ。
「…どうして、そんなこと聞くの?」
考えた私が彼に思いを打ち明ける為には、もう少し自信が欲しかった。
「“そんなこと”…ああ、今も有効かって質問?」
「うん」
「ちょっと恥ずかしいんだけどね」
「…うん」
「好きだったんだよね、洋子ちゃんのこと」
「……えっ?」
「それも、結構長い間」
思わず歩調を早めて、彼の顔を覗き込む。
頬が赤く染まっていた。
「…それってどのくらい?」
「んー、五年くらい…かな」
「ご、五年…。……長いね」
「うん、だいたい小学五年から中学卒業までだから。っていうか、恥ずかしいからあんまり見ないで」
龍一くんが頬を染める様子は意外と可愛くて魅入ってしまっていた。
まじまじと見つめる私から顔を背けた龍一くんが尚更可愛くて笑みが零れる。
今なら言えそうな気がする。
「…あのね。それって今も有効?」
「え…」
「それとも、過去のことなのかな?」
今度は龍一くんが足を止める番で、少し追い越して振り向いた私は畳み掛ける。
「私の方は、今も有効だよ」
照れて俯きそうになるのを無理矢理堪えて笑みを作った。
「今でも、あなたが好きです」
お互いに見つめ合う。
私は笑顔で。
彼は……………。