行きつけの居酒屋。
そこに広がる喧騒。
盛り上がる左右の席。
泣いている向かいの友人。


「洋子〜、俺のどこが悪かったんだよォ」


正直に「全部」なんて答えたら涙を撒き散らして憤慨されそうだったので適当に相槌を打った。


「うう…」


机に突っ伏して泣き続ける矢張を他所に私はため息をつく。


この男は懲りずにまた振られたらしい。
女運がないのかなんなのか付き合う女はみな、矢張をいいように使っていなくなる。
矢張も矢張でいい加減気付けばいいのに、数日経てば「運命の人を見つけた」と連絡を寄越し、私はこの居酒屋で今度は惚気話を聞くのだ。


「聞いてるのか、洋子ー!」


「えっ…うん、ちゃんと聞いてるよ」


ホントは聞いてなかったけど。


「ちくしょう…もう女なんて信じねえぞォ。好きだって言ったくせに…」


何度目か分からないそのセリフを右から左に聞き流し、入口に目をやった。


そろそろ次のイケニエが来てもいいはずだ。
呑み始めてすぐ、矢張は電話を掛けて呼び付けていた。
私も知っている人物を。
矢張の電話を受けた相手は私と同じように最初は拒否していたが、矢張の絶叫に渋々了解したようだ。


「遅いね、成歩堂」


「…あ、そういやそうだな。でも今はそんな話してないぞ!」


ひたすら喋り続けていた矢張は私の呟きに反応したものの、すぐに軌道を修正した。
矢張の話は、昨日まで付き合っていた女の話から私に対する文句に変わっていく。


「いっつもそうだ。洋子は話聞いてるフリばっかり!!」


これまで黙って聞いていたが、そろそろ飽きてきたので言い返すことにした。


「…でもちゃんとやけ酒に付き合ってやってるじゃん」


「うっ…まぁ、そうだけどよ」


「惚気話も黙って聞いてるし」


「そ、その通りだよ」


「相談にだって乗るよ」


「……た、確かにな」


「あれ、今日は矢張を黙らす会なのか?」


突然、飛び込んだ第三者の声。
「だったらもっと早く来るんだったなぁ」と呟いている人物こそ、待ち侘びた次のイケニエ。


「な、成歩堂〜」


「わっ」


座っている矢張の隣に成歩堂が立っていたため、矢張はいとも簡単に成歩堂の腰へ抱き着いた。


「洋子がイジメるんだぜー」


「わ、分かったから離れろよ」


成歩堂はベリベリ、と音が聞こえそうな勢いで矢張を引っぺがすと唯一の安全地帯である私の隣に腰を落ち着ける。


「遅かったね」


「電話来たとき仕事中だったからな。なかなか中断出来なくて」


成歩堂は店員を呼び止めてビールを注文した。


「で、また振られたのか?」


店員が持って来たビールを一口飲んで言った成歩堂の言葉を皮切りに、矢張はさっきまで私に語っていたことを成歩堂に聞かせ始めた。


「俺のどこが悪かったんだよ〜」


やっぱり最後はそれで締め括るのか…。
全て一度聞いた話だったので聞き流していたが、最後まで同じだった為に失笑してしまう。
話を聞いていた成歩堂は同情を表すような頷きを見せただけだったが、それが本心からではなく単なるフリだということは同じ話を聞いた私にはすぐ分かった。


「もう、死ぬしかないんだァ」


「またか」


「なんで死ぬ必要があるんだよ」


呆れる私とつっこむ成歩堂。
相変わらず矢張は泣いている。
そのまま半時間ほど話を聞いた。


「さあ、そろそろ遅いし帰ろうか」


立ち上がった成歩堂に習って私も立ち上がると、


「なんだよぉ、二人して。俺を置いて行く気かァ?」


矢張が涙でぐちゃぐちゃの顔を上げ、すがるように私達を見る。
実際、隣にいたらすがられていたのだろう。


「置いて行くわけないだろ。お前がついてくればいいんだよ」


冷たく言い放った成歩堂はすれ違いざま腰の辺りに絡み付く矢張を振り切りレジに向かって歩く。


慌ててそれを追い掛ける私も同じように絡み付かれそうになったが、相手は酔っ払いだ。
かわすのは簡単だった。


「ごめんね、成歩堂。払わせちゃって」


「いいよ。どうせ矢張はそのつもりでぼくを呼んだんだろう」


「…えっ。な、なにが、どうなんだよ」


「…………」


「ほらね」


隠し事が下手な矢張がしどろもどろになっている様を横目で見た成歩堂は得意げに言った。


「とりあえず、矢張を家に送り届けないとな」


「自分で帰れるんじゃない?」


「ほっといたらその辺で寝ちゃうよ、きっと」


「あ、じゃあ」


私は道路まで駆けて手を挙げる。
幸いなことに通り掛かったタクシーが道路脇に停車してくれた。


「タクシーにお願いしよう」


「……それもそうだな。ほら、矢張。タクシーに乗るぞ」


「そんな金ねえよ!」


キレ気味に言った矢張に一万円札を握らして、成歩堂は矢張をタクシーに放り込む。


「とにかく、これで帰れ」


「い、いいのか、成歩堂ゥ」


再び瞳をうるうるさせ始めた矢張に適当な頷きを返して、成歩堂はタクシーの運転手に住所を教える。


「お、俺、お前と友達で良かったよ…本当にありがとなっ」


「ちょっと、私は?」


「あ、洋子も話聞いてくれてありがとな!」


そう言い残して矢張を乗せたタクシーは発進した。


「ぼくの友達としての価値は一万円なんだろうか…」


「…私なんておまけだよ…」


「それにしても、何回目だ?あいつが振られるの」


「もう数えるのやめちゃったよ。……早くあいつの価値をちゃんと分かってくれる人が現れればいいのにね」


私の言葉に成歩堂の返答はなかった。


「成歩堂…?」


「ん?」


「いや、黙ってるからさ」


「…考えたんだけど。矢張の価値を分かってやれるのって…今のところ洋子だけなんじゃないか?」


「……………なんで!?」


顎に手を当てて考える素振りを見せる成歩堂に冗談を言っている様子はない。
それだから尚更全力で聞き返した。


「友人としての付き合いも長いし、上手く行くんじゃないかとぼくは思うんだけど」


「い、いやいや。私の気持ちを無視してるじゃない」


「…洋子、好きな人いるの?」


「えっ」


「いないんなら丁度いいんじゃないかな」


「や、矢張は問題外でしょ…」


「なんで?」


「……なんで、って言われても困るんだけど」


その問いに正確な返答は出来なかったが、基本的に矢張の話を右から左に流している私と矢張が上手くいく理由は見当たらない。
いくら考えても答えは出ず、考えるのをやめた時だった。


「……あ、でも、もしそうなったらぼくが困るな」


「“困る”…?」


成歩堂が理解に苦しむ言葉を呟いた。
私が聞き返しても意識の半分は上の空なようで、私と話しているというより独り言を呟いているように見える。


「三角関係じゃないか」


三角…。


「…どういう?」
「…ぼくが矢張に横恋慕か…嫌な構図だな」


耳を疑った。


「…成歩堂…?」
「………なに」


隣に立つ私に目をやり、固まる成歩堂。
私がじっと聞いているとは思っていなかったようで、僅かな焦りが見える。


「それ、どういう意味…?」


恐らく、私が弾き出した答えは正解なのだろうけど、確証がない。


成歩堂は私の問いに答えを出す気はないようで、焦りの色を消してしまうと口角を吊り上げて笑う。
そして、こう言った。


「どういう意味だろうね?」


そのまま彼は歩き出す。


追い掛けて問い詰めても知らんぷりを決め込む彼に、私は頬を染めて見え隠れする迷宮の出口に立たされたのだった。





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