結局、私はそんな彼が好きで堪らない。
「なるほどくん、行くよ!」
「………どこに?」
事務所に現れた真宵ちゃんは朝の挨拶もそこそこに突然そんなことを言った。
当然、書類整理をしていた成歩堂も、それを見学していた私も頭上にクエスチョンマークを浮かべる。
「ひょうたん湖だよ!」
頬を膨らませた真宵ちゃんは、非常識な人間を見る目で成歩堂を見た。
「ひょうたん湖?」
「なにがあるの、真宵ちゃん」
成歩堂の言葉を引き継いだ私がそう聞くと、真宵ちゃんはようやくソファに腰を落ち着ける。
「なにって…トノサマンだよ!トノサマン!!」
「トノサマン?」
これこれ、と真宵ちゃんは着物の袂からチラシを出し成歩堂に渡す。
受け取った成歩堂はそれを読み上げた。
「なになに。“ひょうたん湖にトノサマンがやって来る”…“ひょうたん湖でトノサマンと握手!”……なんだ、これ」
「今、ひょうたん湖にトノサマンが来てるんだよ」
「トノサマンが来てるって、どうせ着ぐるみだろ?」
「ロマンがないねー、なるほどくん」
呆れた顔で言う真宵ちゃんに同意を示す為、私は頷いた。
私の反応を見た真宵ちゃんは嬉しそうに続ける。
「例え背中のチャックを発見しても、見間違いで片付けるのがこどもの良心だよ」
…いや、私達は二十歳を越えた大人なんだけど。
成歩堂も同じことを思っているようだ。
眉間にシワが寄っている。
「とにかく、早くひょうたん湖に行くよ!」
ソファから立ち上がった真宵ちゃんは成歩堂の腕を掴むと引っ張って無理矢理椅子から立たせようする。
「いやだよ。書類が溜まってるのに…」
「いつもやってないんだし、今日だっていいでしょ!」
「いやいや!いつもやってないからやってるんだよ!」
「今日はなにがなんでも行くんだからっ」
「一人で行けよ…」
「まぁまぁ。仕事はいつでも出来るけどトノサマンは今日しかこないんだから行ってあげれば?」
私の後押しに成歩堂は眉をしかめた。
「洋子まで…」
「ほら、恋人の提案を受け入れるべきだとあたしは思うけどね」
「……真宵ちゃんが行きたいだけなくせに」
ブツブツ言いながらも成歩堂は掛けてあった上着を手に取り、
「しょうがないなぁ、もう。ただし、今日限りだからね」
仕方なく、といった様子で息を着く成歩堂とは対照に真宵ちゃんは飛び上がらんばかりに喜んでいる。
「やったぜ、ありがとう洋子さん!」
「私?」
「だって、洋子さんの一言がなかったら、きっとなるほどくん動いてくれなかったよ」
だから、ありがとう。
重ねてお礼を言った真宵ちゃんは、ペコリと頭を下げて笑う。
きっと、成歩堂は私の一言がなくてもひょうたん湖に真宵ちゃんを連れて行っただろう。
今もブツブツ文句を言っているものの、真宵ちゃんを見る目は暖かい。
成歩堂は、真宵ちゃんだけでなく春美ちゃんや私にも甘い。
それは私達が女性だからというわけではなく、矢張や御剣に対しても昔から甘かった。
多少の無理は聞いてやっていたし、矢張なんか今でもなにかあると成歩堂に泣きつくくらいだ。
そして、私が彼に惹かれたのはその優しさがきっかけだ。
もちろん、その優しさを一人占めしたい頃もあった。
しかし、恋人としての時間を重ねる度にいつしかその思いは変わり、多くの人に彼の良さを知ってほしいと思うようになった。
「洋子さん」
真宵ちゃんの呼び声に反応してそちらを向けば、事務所の入口から二人が私を見ていた。
「なにしてるの?行くよ」
「…私も行くの?」
留守番がてら書類整理をする気でいた私は思わず聞き返す。
「当たり前だよ。洋子さん以外の誰がなるほどくんの面倒を見るっていうの?」
「面倒って…失礼だな」
二人の会話に苦笑しながら、とりあえず必要そうな物だけを持って事務所の入口に向かう。
「あたし、ひょうたん湖に着いたらトノサマンに集中するんで。なるほどくんの相手、お願いしますね」
「了解」
施錠する成歩堂を尻目に真宵ちゃんが静かな声で言い、私もそれと同じ声量で返す。
「二人でコソコソなに話してるんだ?」
成歩堂の質問には二人して「秘密」と返し、私達は事務所を後にした。