賑やかな朝を迎える前に

 夜明け。空が白む。
 世界が色を取り戻すと同じようにして、少女の意識もこちら側へと戻ってくる。彼女はゆっくりと瞳を開き、次に静かに起き上がり、ふうと一息ついた。
 黙ったまま少し首を動かせば、もう一つの人影が未だ夢と戯れていた。特徴的な左右で異なる髪色、そして長さ。耳に掛けられる程度の白い房は今は頬の下に敷き込まれているから、彼女はそれをいじくる代わりに短く切り揃った黒い頭を撫でた。
 寝床から抜け出し立ち上がって小さなあくび。寝起きは良いが、そもそも彼女は周りに誤解を生ませてしまう程物静かだった。だから理由もなく部屋に光が差し込む様をしばらくじっと眺め、それから思い出したように後ろを振り返る。
 まだ目覚めそうにない男と、その脇に置かれた彼の衣類があった。緩く折り畳まれた上段の紫を見つめる彼女の眼差しは先程よりはっきりとして、目の前で座り込むまでの足取りに迷いはなかった。
 そっと羽織を広げ、軽くかざす。袖口が広いため涼しそうでもあり、しっかりとした生地のため暑そうでもあり。湧いた興味に逆らわず、彼女はそれを自らに着せた。

(やっぱり大きい)

 彼が着ても指先まで隠れるのだ。両腕を前に伸ばせばおかしなところでぐたりと折れる。それごと自身を抱き込めば、花と紙の青い香りが上ってくる。

(…ゲンのにおい)
「あー、可愛いことしてる」
「!」
「おはよ、真珠ちゃん。こっち向いて?」

 男がいつからかうつ伏せに頬杖をついた格好になり、少女を見上げていた。半身を捻って応えてやれば、再び可愛い、と歓声が上がった。

「おはよう…意外と重いね」
「色々仕込んでるからねー。…あっ、企業秘密だからそれ以上はいやん」
「そこに並べてるので全部じゃないの?」
「じゃないんだな〜いやんいやん」

 けらけらと笑いながら彼は身を起こし、彼女の背面まで回って胸元へ引き寄せた。袖の内で小袋を受け取り、元の位置に戻してから腕ごと拘束。

「肩凝らない?」
「どうだろ?ドイヒー作業の翌日ぐらいかなあ」
「そう。……嗅がないで」
「んん〜…じゃあおててにぎにぎする」

 頭頂部に密着させていた鼻を遠ざけると抵抗がやんだので、拘束を緩めて彼女の左手を取った。ちゃっかり指も絡めたが、何も言われることはなかった。
 ずれた肩口を直そうと少女が動く。男が助けてやる。
 長い沈黙の中、衣擦れの音が鳥のさえずりにかき消される。

「気に入った?」
「まあ」
「んじゃ中身と比べたら?」
「……中身あっての」

 そこで、これまでの穏やかな空気が一変。

「くーっ!今日も最っ高の一日になりそう!どしたの真珠ちゃ〜ん、朝からデレ全開だねえ」
「デレってなに?」
「めっぽう可愛いってことだよ。ちなみにツンはくぅたまんなーい、だからね」
「分かんない…」
「流していいトコだから大丈夫。さってと、そろそろ中身になろっかなー」

 ぱっと両手を上げ、彼が一つ笑顔を作ってから移動し残りの衣服に手をかけた。前開きの長い丈の上着、帯代わりの腰布、それらをまとめて紐で留める。
 その間に、少女が"そこに並べている"と表現した得体の知れない小物が少しずつ消えていく。詮索しないよう願われたので、それらが一体何なのか、どうやってしまい込んでいるのか、一番近しい間柄の彼女も把握していない。そもそも彼女は関心も薄かったが。
 身支度を終え、男が顔を上げた。視界に映った紫の小さな背に心臓の一部が溶け出る思いを味わう。とうの昔に、この内臓は形を失くして血液と共に全身に散っているのにな、と同じく溶けた脳で彼は考える。変な方向にひん曲がる自覚のある唇が、今だけは美しい曲線を描けているな、とも。

「くーださーいな」
「ああ、うん」
「……はいっ、お待たせ〜」

 次は正面からの抱擁。

「お仕事頑張ろうねえ」
「うん」
「ね、ね、終わった後デートしよ?」
「どこか行くの?」
「腕組んで歩いて皆に見せつけんの」
「じゃあやだ…」
「ドーイヒー…じゃなかった、くぅたまんなーい」

 二人きりの世界はしばし途切れ、次は賑やかな朝がやって来る。






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