ひみつにして

 真珠の石神村での役割の一つに怪我人の手当てがあった。同世代で行動を共にするクロムとコハクが生傷の絶えない猛進な性格だったことが起源であり、彼女にとっての村人との交流手段であり、やがて千空の知識を吸収して強みとなった。
 そのため、司の手術という重大な場に彼女も立ち会い、杠の縫製技術を二度と別の用途に使わずに済むよう習得に励んでいる。軽く基礎をさらった後は千空の下で実技訓練を繰り返しており、勤勉な彼女の飲み込みは早かった。

「…やるじゃねえか、真珠テメーはよ」

 後ろから覗き込む千空が賞賛の呟きを漏らした。
 彼女の寡黙で感情が表に出づらい性質は、治療の場においては度胸という良い方向へ作用している。針を刺す手つきにためらいはなく、積み重ねた経験を正しく信用し、素早く模型の腕を縫い留めた。

「おし、休憩にすんぞ」
「……」
「…集中したら聞こえなくなるタイプだったな」
「……」
「真珠」
「千空ちゃん次の取って」
「おー……お?」
「早く」
「待ちな、休憩だっつの」
「えっ」

 ぱちりとスイッチを切り替えのか、彼女の纏う空気が明らかに柔らかくなった。水差しを取り上げ歩んでくる千空をじいと見つめている。しかし、彼が道具一式を端に寄せ、手元に湯呑みを置く間に少しずつ顔を伏せていき、最後にはふるふると身を震わせ出した。

「……わ、私…」
「ククク、メンタリストの野郎に引きずられたな」
「っ」

 自分が何を口走ったかはっきり自覚させられ、真珠の両頬は羞恥で真っ赤に染まっていた。

「……」
「……」
「……せん、くう」
「んー?」
「……」
「……」
「…終わ、る。今日は」
「あ?」

 がたん。ぱたぱたぱた。
 椅子から勢いよく立ち上がり、背を向け、ほとんど走りそうな早歩きで彼女は逃げ去ってしまった。
 残された千空が、呆気に取られながらもふは、と一つ笑う。彼女の反応が単純に微笑ましく、件の台詞をもう一度思い出しながら水を飲み干した。

「引きずられる程俺の話聞かされてんのかね」

 と。
 だだだだだ。

「あ゙ークソ、お早ぇお着きで」
「ちょっと千空ちゃんウチの真珠ちゃんに何してくれやがったの!!?」
「してねえ〜」
「何か真っ赤になって泣きそうで黙りこくっちゃってゴイスー可愛かったんですけど!?俺の理性がまだ千空ちゃんを信じている内に全部吐けこのケダモンがァ」
「負けてんぞ理性」

 ずさりと滑り込むように到着した当事者のメンタリスト、あさぎりゲン。どうやら彼は逃げる真珠を見つけ、呼び止め、様子がおかしいことに気づき、元凶を責めに行動したらしい。請け負った作業もおそらくいっとき放り出して。

「テメーの影響でうっかり俺を"ちゃん"付けしただけだっつの」
「は?……いやいやいや……いやいやいやいや…」

 千空の襟元を両手で握り引っ張っていたゲンがそれきり固まった。やがて限界まで顎を反らし上げ、深呼吸を始める。

「離せ、帰れ、仕事しろ」
「……千空ちゃん片方でいいから俺に網膜ちょうだい」
「は?」
「んでここに移植して!だってだってだって!!そんなギャンカワな真珠ちゃんを収めたのはその二つの眼だけなんでしょー!?いやこの場合やるべきは口封じか?」
「くたばりやがれ恋愛脳」
「やーだー!!俺も見たかったー!!うわぁー!!」
「気っ色悪ぃんだよゲンテメー!」
「アァ〜〜脛はルールいはーん!」
「ヒール上等だオラ跪け!」
「ベビーな千空ちゃんはそんなこと言いませーん!」

 悶え、足蹴にされ、よよよと泣き声を上げてゲンが地面にしなだれた。袖口で目元を拭い、脚を組んで心底面倒そうに睨みを効かせて座る千空を見上げてから、一変真面目な口調に切り替える。

「口外しないでよ」
「するか」
「からかってないでしょーね?」
「…ねえ」
「交わした会話全部再生して」
「"ククク、メンタリストの野郎に引きずられたな"。こんだけだ」
「んん〜〜判定ビミョ〜〜〜…気にしてたら謝ってあげてよね」
「へいへい」
「はーあ……で?連れ戻す?」
「いや。ぼちぼち飯支度だろ。そっちに行ったならいい」
「りょ〜」
「テメーは戻れよ」
「りょ〜…。…あーそこの箱、カセキちゃんとこ持ってけばいい?丸ごと?」
「ん?ああ…丸ごと」
「はーいんじゃまた後でね〜おっ疲〜」

 出来たばかりの完成パーツを目ざとく見つけられ、ゲンは確実に一つ労働をこなし、出ていった。
 だからこれ以上は強く言えなかった。彼は間違いなく恋愛脳に侵されていて、真珠やコハクから制裁を受ける程開けっ広げに振舞うが、その様は人々の退屈を紛らわせ、一切誰にも支障をきたさない。

「…いやさっき真珠が被害に遭ってたな」

 即座に撤回しつつ、千空がぽつんと残されたもう一つの湯呑みを見やる。石神村の住人に加え、彼もゲンと出会う前の真珠を知る一人だ。今の方が彼女も楽しく生きていることは彼でも窺える。
 それなら、まあ、彼女のために許容しようか、とは思う。真珠と同じぐらい、彼もまたあさぎりゲンという男を認めているのだ。
 あのメンタリストは、恋愛はトラブルの元と主張する自分を裏切り続けるのだと。

*

 本日の"お悩み相談室"も店じまいとし、ゲンがいそいそと自室へ向かう。そこに彼女がいれば二人きりの時間をご所望で、いなければ友人たちとの時間を過ごしている。

「あっ、真珠ちゃ〜んただいま!」
「…おかえり…」
「どしたの?しょんぼりしちゃって」
「……」
「ぎゅ〜っ♪ほら、俺にだけ教えて?こんな風にみ、み、う、ち…」
「いや!」
「あーメンゴメンゴ、怒んないで」

 抵抗する彼女から距離を取り、彼はにこりと笑いかけた。

「あのね、今日千空ちゃん…」
「!!だめ!」
「えっ」
「き、今日は他の人の名前呼んじゃだめ!」
「!!!」

 ゲンが飛び出た言葉に驚き目を丸くする。
 それからゆっくりまぶたを下ろし、同時に両手を合わせ拝む姿となり。続けて真横へ傾いていき、重力に従って倒れ込んだ。
 状況をとても理解出来ない真珠が途端にうろたえる。

「ゲ、ゲン…!?」
「ジーマーでバイヤー」
「…?」
「独占欲剥き出し疑似体験ハイ昇天生きててよかった」
「?…??」
「あーどっこいしょ。そうなの、あの千空ちゃんぐっ」
「っ!」
「んむむ〜っ!……ぷぁ、ミジンコちゃんに事情は聞いてるからだいじょぶだよ」
「!!」

 青ざめ、必死に彼の唇を手の平で押さえ込んでいた彼女だったが、次は一気に赤くなった。そのまま黙って睨みつけているが、瞳は頼りなく揺らぎ、全身で動揺を表している。

(かんわいい〜〜っ!)
「ん、分かった。今日は真珠ちゃんの名前しか言わない。だから真珠ちゃんも俺の名前だけ呼んで?」
「……」
「それでおあいこだよ。ねっ?」
「…う、ん…?」
「あーっバイヤー!キュンキュンし過ぎて死んじゃう俺!」
「!ばか!」
「あいたっ!メンゴ、間違えた。たまんなくなっちゃうぐらいキュンキュンしてる、真珠ちゃんのおかげで」
「知らない…!」
「可愛いねえ可愛いねえ、大好きだよ〜♪」
「可愛くない!」

 その後もゲンは、真珠が完全にへそを曲げてしまわぬよう完璧に制御しつつ、眠るまでしつこくしつこく愛で続けたのだった。

*

「…あ゙?んだよこれ」
「昨晩オイシイ思いをさせていただいたので感謝の上納品デース」

 翌日。千空の前に差し出されたのは小さな平カゴに入ったいくらかのマンガン電池だった。彼はひとまず受け取り一つを摘まみ上げる。

「……ほーーん」
「あっコラ!俺はともかく真珠ちゃんを故意に巻き込むのはガチのド鬼畜!線引きを知りなさいこのミジンコ!」
「何も言ってねえだろモヤシ!」
「ハァー?肉眼で捉えらんない微生物如きが栄養たっぷりのこの俺に口答えしないでいただけますぅー?」
「あ゙ー?栄養たっぷりに育ててやった恩も忘れてなーにをのたまってやがる」
「け、けんかしないで…!」
「!?真珠ちゃんいつから!?」
「そうかテメー今日もこっちか。心配すんな、お戯れてやっただけだ」
「またそういうこと…っと、メンゴ、言葉で遊んでただけだからね、ジーマーで。それじゃあ行くけど、そこのミジンコちゃんに何か言われたらすぐ俺のとこ来るんだよ?いいね?」
「続けんなオイ。ったく…ホラ、入れ」
「……せん、く、う」
「おー」
(意識し過ぎるとかえってアレだが…言わねえでやっか)

 真珠が関わると過剰な反応を示すゲンが、千空には無条件で預ける理由がここにあるのだが、本人は知る由もなく。
 湧いた考えを胸の内にしまい込み、彼は平かごを彼女の視界に入らないよう移動させ、何食わぬ顔のまま自らの仕事に取り掛かった。






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