地続きの感情

 先日の話。
 図面を真剣ににらみ続ける千空がかっこよくて、うっかり"好きだよ"って零したら、眉間に皺を寄せ視線を落としたまま"俺も"って言われた。
 お互い独り言のノリで口にしてしまったものだから、始めの数秒間は受け流し、それからあの強力磁石みたいにばっと顔を向け合った。

「…………テメー」
「いや………そっちこそ」
「テメーだろ、どう考えても」

 だらだら、冷や汗が流れる。少し向こうで座る千空も同じ。
 多くの後悔と、それ以上の喜びがあった。ほんのり感じていた彼からの熱は、自意識過剰ではなかったと。
 ある日突然私たちの村に現れた彼は、"科学"に唆る眩しい眼差しを惜しげもなく振りまいた。そして合間にほんのわずか、泡のような寂しさをその赤に灯し、次の瞬間には弾けて消えた。その様をずっと見てきた。

「………うれ、しい」

 じわじわ、恥とは違う熱さが体を巡り、再び独り言みたいに呟いていた。千空は目を泳がせ、やがて視線ごと背け、唇を尖らせながら小さくん、と返事した。
 そして今。
 あれから数日経ち、初めて二人きりになった。なってしまった、の方が正しいだろう。ずっと龍水とゲンと千空の三人で話し込んでいたのに、私が差し入れのパンを持ち部屋に踏み込んだとたん、きりがいいから続きはまた明日ねって、ゲンと龍水は出ていってしまった。ちゃっかりパンを頬張りながら。
 千空も二人の行動に面食らい、渋い表情を浮かべていた。

「……食べる?」
「いや、いらね、今は」
「そう」

 気まずい沈黙が部屋に満ちた。
 好き同士だって知った後は、どう過ごせばいいんだろう。好きって伝えるための助言はもらったことがあるけれど、その先の相談なんてしたことない。あの日も、あと何をすればいいか分からなくて、場に残るための用事も思い付かなくて、挨拶だけして去ってしまった。
 パンの入ったかごを机の端に寄せながら、千空を盗み見た。科学に夢中な時によくやる人差し指を立てた仕草と共に、思考にふけっているようだった。
 ぱち、と目が合う。彼の肩が大げさな程跳ねた。

「見んなバカ!」
「あ、ごめん」
「っ…」
「……じゃあ、戻るね」
「あ゙?いや、それ、は」
「……」
「………いろよ、用事ねえなら、ここに」
「ん…えっと?」
「だから!どうせなら!暇ならいろ!」
「う、うん」

 動揺で背後の椅子に足をぶつけ、かくんと腰が落ちてしまった。千空がまた目を丸くする。流石にこれはまずいと、慌てて立ち上がり言い訳した。

「ち、違うの、ぶつかっただけ。分かってる、今そっち、行くから…!」

 全身熱いままずかずか歩んで、さっきまでゲンが座っていた位置、千空の右隣に収まった。顔を上げられない。千空も雑に足を組んで、そこに肘を立ててそっぽを向いているのが気配で感じ取れる。

「……」
「……」
「………あの、ね」
「ん…?」
「言うつもりなかったのに…言っちゃったけど、嘘じゃないし、でも、邪魔したい訳でもなくて」
「……」
「べ、別に、無理して何かしなくていいよ。本当に…!」
「……」

 返事がなくて、そろりと窺ってみたら、いつの間にかしっかり見つめられていた。今度は私の肩が揺れる。
 千空は耳まで赤くして、でも厳しく両目を細めていた。怒っているように見えて、私は反射的にその瞳から逃げてしまう。

「しちゃ駄目なのか」
「へっ?…な、何を?」
「言わせんのかよ。趣味悪ぃな珪テメーはよ」
「ううぅ、そ、そうだねえ…」

 ぱし。
 空中で彷徨わせていた両手のうち、片方を握り取られていた。じっとり知らない熱に包まれて、かっと体温がまた一段階上がるのが分かった。

「……ひゃっ…」

 やや強引に、指が絡まっていた。きゅうんと胸が絞られて、鼓動が痛い程響き出す。縋るように握り返せば、かすかな振動が伝わってきた。
 赤い瞳が迫ってくる。誰にも許したことのない距離でただ黙って見つめ合う。もう片方の手も自然と繋がって。
 このまままぶたを下ろしてキスするのが普通なのかもしれない。だけど、何だか違うなと思ってしまった。恥ずかしいとか、早すぎるとか、そういうのじゃなくて。
 今、きっとこの人と共有したいのは、この汗ばんだ指の震えだ。甘い心を乗せた眼差しだ。千空、あなたはどうなの?唇の内側で、聞いてみる。

「……好きだ」
「!!」
「あ゙ー、言えたわ」
「わっ」

 こつ、とごく軽く頭突きを食らわせ、喉の奥で笑いながら千空が背を正した。思わず苦笑が漏れていた。さっき指を立ててまで悩んでいたのはこのことだったのかな。
 あぁ、好きだな。いとおしい。
 きっかけはしくじりだったけど、ここからはちゃんと順番に一つずつ、進んでいければいいな。今までより近い"隣"で、あなたを支えられたらいいな。

「はは…ありがと、千空。じゃあ、次の時はぎゅってしようね」
「あ゙?……あー、まあ、そのうちな」
「うん。ね、パン半分こしよ」
「おー」

 するりと自然に指が解けていく。寂しさなんてなかった。私たちのこの感情は日常から地続きで、時々跳ねるぐらいで満足だ。
 …なんて、今は、そう言い聞かせているだけだろうけど。満足出来なくなってしまったら、きっとまた、零れてしまうんだろう、うっかりと。






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