破片で肉を裂いてくれ

 夢を見ている。
 私は多分、何も身に纏っていなくて、深い水の中をたゆたっている。
 気づいたら目の前に龍水がいた。彼も恐らく私と同じ状態だ。上半身しか見えていないけれど。
 彼は金の髪をふわふわ漂わせながら私に近づき微笑む。両手を取って、それから腰に片腕を回して抱き寄せる。きゅんと胸が鳴った。温かさは感じない気がする。
 反対の手で私の頬を固定し、彼が唇を重ねてくる。それを受け入れ、密着して気持ちがいい。とても抽象的な気持ちよさ。おへその少し下がひくり、ひくりと小さく震えている。ただしそれだけで、なぜそうなるのか、何にそうさせられているかは分からないまま。だって夢だから。
 それでも私は嬉しいと思っている。龍水といつもより少しだけでも深く触れ合えているから。
 そしてひどく独りよがりだ。

*

 交際が始まってから、私は度々龍水の自室へ招かれた。順調にその回数は増えているものの、決まって一流のお店や一流の執事さんが用意したお茶とお菓子をつまみ、静かなひと時を過ごすだけ。相変わらず普段の彼はびっしりスケジュールに支配されていて、休息と逢瀬を同時にこなしているんだろうなと予想する。
 そのこと自体に不満はない。彼を癒してあげられるのは私だけという自覚や優越感が十分ある。それでも、今日、全く満たされない気分に陥ってしまっているのは、ひとえに今朝の夢のせいだった。
 龍水は私の頭を優しく撫でる。ゆっくり肩に手の平を滑らせる。支えるためだけに腰に温もりを添える。
 秘めていた想いをお互い吐露し、私たちは恋仲になったけど、結局のところ私は鑑賞対象から愛玩物に切り替わっただけなんだろうか。おへその少し下に溜まったままの熱は、特異なものじゃないはずだけど、私には許されないものなんだろうか。

「珪?どうした?」
「ううん」
「何だって言え。貴様の"欲しい"を全て叶えたい。それこそ俺が貴様に示す特別であり願望だ」
「…それは嬉しいけど…私、貢がれてばかりだよ。あなたの"欲しい"は何なの?」
「こうして膝に貴様を乗せ、折を見て口づけることだが?」
「んむ」

 リップ音を立て、少し距離を取り、彼がうっとり目を細めて私を見つめている。隠す気が一つもない蕩けた眼差し。
 だけど、やっぱり今日の私は考えてしまう。あなたの体温はここまでずっと、私の表面をさらうだけ。
 もっと芯まであなたの熱が欲しい。あなたの愛していると私の愛しているはぴったり同じ意味なのだと信じさせてほしいよ。

「幻滅したか?」
「…何でそんな単語使うの?」
「ん?」
「する訳ないよ。私もたくさん…してほしいもん、キス、とか」
「ああ」

 ちゅっと子どもっぽい音が再び鳴った。切なさが募り、ついに私は衝動的に龍水の両頬を掴むように固定する。夢の中でされたみたいに、それよりもっと荒っぽく。そして唇を押しつけた。
 彼は目を丸くして固まってしまう。ああほら、思考や想定の範疇外って顔。
 やだ、あなたこそ幻滅しないで。私は欲深い女だって、あの時もう伝えたじゃない。

「……何で…何で出してくれないの……手」
「っ」
「子どもみたいなキスばっかり」
「!!?………貴様」
「え?」
「経験があるのか?俺以外と」
「は?え、わあっ!?」

 どさ。
 いきなり顔色を変えた龍水が私を引き離し、広いソファの上に投げていた。素早く馬乗りになり、さっきよりもさらに目玉を見開いて私を見下ろした。
 ひゅっと喉が引きつる。本物の"圧"に蹂躙されるのは、生まれて初めてのことだった。

「あるのかと聞いている」
「…!?……!?」
「珪」
「…な、に…が…?」
「口づけも、その先も、貴様はすでに誰かに捧げていたのか…!?」
「!」

 地を這う重く低い声。弾かれたように首を振って否定した。

「違うってば!全部龍水が初めて!でも知ってるもん、それぐらい!」
「……」
「やっぱり龍水は私のこと、赤ちゃんとか犬猫みたいに思ってるんだ!」
「違う!」
「じゃあ何!?奥ゆかしい令嬢!?物語の聖女様!?自分からキスなんてしちゃダメだもんね、そういう女の人って!」
「っ、珪…!」
「私はそんなのじゃないって言ったのに…!これがっ、私だもん…!」

 はしたない。恥ずかしい。ただずっとあなたが好きなだけなのに、どうしていつも上手く出来ないんだろう、私は。
 頭の中が言葉にならない騒音でいっぱいで、涙ばかりが溢れて、顔を覆っていた。
 龍水の気配は動かない。私も嗚咽を漏らすことしか出来ない。
 そこからどれぐらい経ったのだろう。多分、全然だろうけど、とても長く感じて。
 不意に手の甲に温もりが重なって、びくりと体が跳ねた。握られ、下ろされる。陰る龍水が眩しい光と共に視界に入ってくる。

「……」

 大きな手に頬を撫でられた。それは耳のすぐ横に移動し、続けて陰った顔が近づいた。
 褐色の瞳にピントが合う。雫が零れそうな程潤んでいた。喉奥が、締めつけられる。
 ずっと黙ったままの龍水と吐息を混ぜ、まぶたを下ろすと共に温もりが重なった。
 長く合わせた後、離れ際に舌先で舐められた。されたことのない行為にまた震えてしまう。それで、合わせた上下の歯が開いていた。
 知らない感触が侵入する。ゆっくり、でも的確に私の内側を擦り、舐め、存在を押しつける。

「っ……んぅ…!」

 ぞくぞくと全身が痺れ、鼻から吸うべき空気がどんどん減っている。たまらず口からも取り込もうとしてもがけば、その代償と言わんばかりに熱がより私を蹂躙する。

「んっ…んんっ……!…っ、ぁ…ん…!」
「…ふ……はぁっ…!」

 気持ちいい、苦しい、気持ちいい。龍水の背中に手を回してぎゅうぎゅうしがみついた。ぷは、とようやく息継ぎを許され、でも今度は唇を開いたまま舌を絡められて、お腹の底がじんと切なくなってしまった。

「…ん……ぁ……」

 一連の責めを何度も繰り返され、やっと解放された頃にはぐったり力が入らなくなっていた。ちかちかと霞む世界。息を上げた龍水がまた寄ってきて、握りしめた拳がさらに強張ってしまう。

「……愛している」
「ぁ…」
「欲しい、珪、貴様が。だが…貴様を汚すのを恐れていたのは事実だ」
「……」
「恐いんだ。愛しているから、何もかも恐い。こんな醜い業火を…貴様に知られたくない…」
「…りゅう、すい…」
「だが……あぁ…珪……」
「…うん……気持ちい、ね…」
「っ」
「好き、龍水……嫌いにならないで…」
「なるものか!」
「うん…」

 龍水が泣いている。私と一緒に、心がめちゃくちゃになっている。
 なんて愛おしいんだろう。この人に全部あげたい。燃やされたいし、燃やしたい。

「私も醜いよ……ごめんね、あなたの理想と違って…」
「そうじゃない…!」
「ん…ありがと…」

 主張し、身を起こすのを手伝ってもらう。涙を拭いて、手を握り合って、精いっぱい笑ってみせた。

「もうさ、諦めよ。私も、あなたも、綺麗な絵なんかじゃないよ、始めから」
「ああ…」
「……それで、龍水、あの…」
「抱かせてくれ、珪」
「!」
「今でも、今夜でも、いつだっていい。貴様の全てを、俺のものにさせてくれ」
「……ん、じゃあ……今夜」
「分かった」

 見せたい自分。見たい相手。そういうものに私たちはずっと囚われていた。昔からそばに居続けただけに。
 振り切らなきゃいけない、関係性を変えるなら。あの告白の日だけじゃ足りなかった。だからもう一回、今夜までに。きっと龍水も同じことを思ってる。
 あぁ、その前に、家になんて言い訳しようか。






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