PHEROMONE?

「ねえ、千空はなんで私のこと好きになったの?」
「あ゙ぁん?」

 軽蔑の感情すらこもっていそうな返答だった。
 でも怯まない。普段の私は科学を優先され構われなくたって我慢出来るいい子だから。こうして面倒くさい彼女になるのはほんの時々だけで(と信じている)、故にこの人も付き合ってくれる。
 それに、存外この人は、私を放置するくせして私が愛想尽かすことを恐れているのだ。無自覚に。
 つまりワガママ度合いはどっちもどっちなのだ。

「……」
「ふーん、答えられないんだぁ〜そっかぁ〜」
「違ぇわ。アレだ、体臭、テメーの」
「は?」
「相性のいい遺伝子情報を嗅覚から感知するっつう検証結果があんだよ。人間もご立派な動物サマだからな。テメーの愛読雑誌でも特集組まれてたんじゃねえか」
「…まあ読んだかもな記憶がなくはないけど。人間は高等知能と複雑な感情や言語体系を持つ生き物じゃん。こんなシチュエーションで、恋人に向かって"体臭"て」
「……」

 あ、しくじったかも。
 千空の眼差しは私から外れ下方を向き、眉間には皺が出来ている。ここは、私が譲らなきゃいけないところだった。不快に臭うって言われた訳じゃないんだし。
 …でも、何か、科学に結び付くことしか示す気がないみたいで、やっぱり、ちょっと嫌だ。
 狭いなあ、心。それが個性、それで千空なのに。
 喉の上の方が詰まる。

「……っ」
「わっ…!?」

 お互いうつむく中、不意に腕を引かれていた。丸椅子に座る彼はいつの間にか体ごと私に向き合っていて、背後に立つ形だった私はバランスを崩し、目前の彼に突撃しそうになる。ならなかったのは、しっかり抱きとめられたから。
 座ったまま、千空が私の首筋に顔を埋めていた。大きく息を吸ってから止め、頬を擦りつけてくる。ぞわりと半身の細胞が暴れた。

「せ、せんく…?」

 はあ、と溜めた息を吹きかけられ、次はびりびり電流が駆け巡っていく。

「マジでクるんだよ、テメーのにお……香りってやつ」
「ひぁっ」
「他のオスに渡してたまるか」
「!」
「そう思った。…ダメか?」

 これはキスじゃない、頸動脈を食まれている。なのに私の口から飛び出たのは明らかに嬌声。

「ぁっ……ダメ、じゃない…けど…」
「……」
「に、人間、だから、一つぐらいは…高等なこと、言ってほし…」
「……ん」

 千空が顔を上げた。湧いた唾液が唇の端から零れそうになって、私は思わずそこを手の甲で隠していた。
 反対の手を絡め取られ、またどくんと心臓が跳ねた。

「テメーがいると、何でも達成出来る気になる。物理的にも、根性が足りねえ時の一押しにもなってる」
「…うん」
「テメーに触れるとアホほど頭が沸く。…あ゙ー違ぇ、まんまの意味じゃなく」
「うん」
「……安心、だと思う、これは。安堵、しっくり、快、高揚…」
「うん、うん…」
「なんで泣くんだよ」
「好きな人にいいこと言われたから…」
「泣くな、それなら」
「うん…じゃあ、ダメ押しでチューしよ」
「ククク、キッチリ取り立てる図太てぇ神経してるくせによ」
「……ん、なに、んわ」

 溢れかけていた唾液を掬い取られ、流石にちょっと恥ずかしくなった。

「甘ぇ」
「……それは飴舐めてたからかも」
「!?」
「かわいそう、千空。私のせいで、恋愛脳になっちゃった」

 胸元に招いてぎゅうっと抱きしめる。この乱れ続ける心音を聞いてほしい、もっと私に惑わされてほしい。

「今日だけだよ。明日からまたしばらくは、科学の方にぞっこんになって」
「……珪、別にテメーを」
「いいの。科学大好き少年も大好き。ホントだよ。今めちゃくちゃ顔面の温度上がってるじゃん。そういうので十分な訳、私。…ねえ、いい匂い?」

 もぞもぞ動き、千空が私を見上げる。炎みたいに揺らめく瞳。私が火種。
 科学少年と恋愛脳の間を反復横跳びするのって疲れるだろうね。でも休ませてなんかやらない。私に惚れたからには。

「クるっつってんだろ。取れよ、責任」
「あは、喜んで」

 がたんと丸椅子が倒れた。抜け出した千空が、火照る頬には少々合わない湿った笑みを浮かべて見下ろしている。私も同じように目を細め、とどめに赤い舌を見せつけてやった。






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