それはそれとして

「ねえ観た!?昨日の『恋コイ』!」
「観たよ〜」
「あの壁ドンからの顎クイ、ベタだけどやっぱいいよねえ!原作と構図同じにしてきてたし、かなり頑張って作ってるよね!」
「分かる、あの実写化は当たり」
「へ〜そうなんだ」
「漫画読む!?貸すよ!?」
「ドラマ終わってからの方がよくない?」
「ん〜任せる〜」

 女子三人のおしゃべりが耳に入ってくる。
 話題の通り、少女漫画を原作とした今期のドラマは評判がいい。私も昨夜視聴しながら思わず小さく声を上げたものだ。
 視界いっぱいに好きな人の顔があって、私だけを見つめている。疑似的とはいえ、身動きが取れないよう強引に捕らえられ、他ならぬ"彼"に意識を向けろと示されときめかない女子がいるだろうか。

「…ねえねえ珪、ちょおっとお願いがあるんだけど…」
「いいよいいよ、みなまで言うな」
「やったー!」

 席から立ち、こちらへ赴いてきた子の腕を引いて壁まで歩む。ちょっとだけ乱暴に押しやり私は両手をつく。

「"あんまフラフラしないでほしいんだけど?"」
「ひょわ…」

 彼女の表情は、戯れに笑う女友達の要素とこのシチュエーションに心惑わされる乙女の要素がきれいに混ざっていた。私ですら可愛いって思うんだもの。100%の乙女を好きな男に晒せばどれだけの武器になるだろう。
 まあ、これぐらいの体型の子なら、だけど。

「え〜!想像以上にやっばいんですけど!ありがと、珪!」
「どーいたしまして。二人は?する?」
「いやアタシは別に」
「やってやって〜」

 喜んでもらえるのは嬉しい。かっこいいって言われるのも他意のない褒め言葉だから受け止められる。
 スニーカーは歩きやすいから好き。シュッとした洋服は私に似合ってると思う。理不尽な標的にされづらいのは得をしているかもしれない。
 けれど、でも。それはそれとして。
 期待に沿えられるよう気を配っているところがある。男みたいな扱いは流石に面白くない。
 突出することになるからハイヒールは手を出さない。あのブランドのワンサイズのワンピースを着たかった。一度ぐらいはか弱い存在として世話を焼かれてみたい。
 しょせんは誰かと対の、ないものねだりなのだ。

*

 何となく晴れない気分のまま放課後になった。今日は部活がないので図書室で時間を潰す日だ。千空の所属する科学部は彼が乗っ取った?せいで?毎日活動しているから。
 千空とは保育園からの縁で、境界線を引くことなくそういう"お付き合い"に変わっていた。思春期に入った私たちは、もっと健やかで甘酸っぱい関係の大樹と杠に当てられたのか、ある時吸い寄せられるように唇を重ねていた。全然嫌じゃないね、じゃあ付き合っちゃおっかという私の言葉に、彼は全て"おう"という一言だけ返した。
 最初の頃は、お互い異性に興味を持っただけかなとか考えてた。でも他の男の子を眺めたり、それまでより近い距離で共に過ごすうちに、私はちゃんと千空が好きだって自信がついた。向こうが全く同じかどうかは分からないけれど、少なくとも興味を持ち続けているで違いないだろう。

「……あ、ぼちぼちか」

 チャイムが耳に入り、私は机から顔を上げた。参考書を戻そうと荷物をまとめて席を離れる。
 棚まで移動して、元の場所へ本をすいと押し込んでから上体をひねった。そうしたら視界に木製の踏み台が入ってきて、いきなり歩き出す気が失せていた。
 そうか。女の子はこれに乗り最上段へ手を伸ばすのか。私と違って。
 不便なことじゃないか、とも思った。どうしてこんな、変な位置の神経が過敏になっているんだろう。少しの間考え込んで、仮説が浮かんだ。
 高校一年生になって、久々に好奇の視線を受けたからじゃないか?ひと月もあればそんなものは自然となくなるし、そもそも悪意がない。だから、こんな気分になるのは今日だけなんだ。
 千空に会いたい。私は駆けそうな速度でためらいを振り払った。
 上がりかけた息を整えてから、化学室に踏み入った。白衣姿の部員が数人。どうやらいつもより早く着いたらしく、千空以外は帰り支度をしているところだった。

「あっ、失礼しました…」
「いーよー、もう終わってるし。石神君はあっち」
「…!」

 先輩が指差した先には、背を向けた千空…が真隣の小柄な女生徒と話す光景があった。彼の首は角度がついている。私の時と違う姿。
 彼女を含めた部員たちが続々と帰っていく。会釈ぐらいは出来ていただろうか。

「もうちーとかかっから座っとけ」
「……」
「珪?」

 全部腑に落ちた。
 さっき思ったこともその通りだけど。一番はきっと。
 私は、新しい環境に身を置いた今、千空の興味が新しく出会った異性、例えばさっきみたいな私と真逆の子に移ってしまわないか、それが不安なんだ。だって、自分のことはある程度折り合いをつけられる。でも他人はそうじゃないから。

「なーにボーっとしてやがんだ、珪テメーはよ」
「…千空は、私の背が低かったらいいのにって思ったことある?」
「は?んなたられば話する意味あんのか?」
「……だって、さっきの子との身長差……お似合いだったし」
「知るかよ。テメーが俺より小さかったことはねえ。それが事実で、俺にとっちゃそんだけだ」
「……」

 なんて突き放した言い方。なんて真っすぐな言葉。
 こんな鋭利な物言いに貫かれず抱き込める女は、あぁきっと私だけ。
 胸がぎゅうっと熱くなる。いくらか楽になるまで耐えてから姿勢を正すと、その間に彼は体ごとこちらを向きじとりと睨んでいた。

「縮みてえのか、テメーは」
「えっ……それは…」
「理由は?」
「………あっ!せ、千空のこと不満になんか思ってない!一つも!私の問題!」
「ほーん?」
「ただの未練だよ…。その、ヒールとか厚底サンダルとか履いてみたいし、着れる服のデザインも増えそうだし、ド、ドラマみたいな体験…しやすそうだから…」
「ドラマ?具体的に言ってみろ」
「スルーしてよ!恥ずいんだから!」
「今さら恥もクソもねえだろ。オラ早くしやがれ、片付け進まねえだろが」
「もーっ!壁ドン!昨日の『恋コイ』!言っとくけどそういうのにワーキャー言いたいのは私だけじゃないからね!需要があるから供給されている訳で…!?」

 ばさり。唐突に千空が白衣を脱ぎ捨てずかずかと近づいた。私の手首を勢いよく掴み、力任せに誘導する。そして、黒板前に配置された先生用の椅子に私を座らせ後方に回った。

「ちょっ、何なの!?うわ待っ!」
「足上げろ、挫くぞ」
「ひっ」

 キャスター付きのそれをがらごろ押し、乱暴に運ばれる。窓と窓の間の壁が迫って、恐怖から腕全体で顔をかばう。すると遠心力を感じ、続けて背もたれ越しに衝撃が走っていた。

「いたっ!ちょっと千く…」

 がつん、と彼が両の肘を私の頭上の壁に押しつける。その肘で支え、深く折り曲げた上半身全てが檻となり、ほとんど真上から見下ろされる。
 そんな、これって。
 どくどく心臓が速くなる。頬、目尻、耳のてっぺんの順に温度が上がって煮えていく。
 陰った千空が、好きな人が、私を閉じ込め私だけを見つめている。記憶に覚えのない、どこか差し迫った表情で。

「目的に至る手段なんざ何通りでもあんだろが。止めてんじゃねえぞ思考」
「はひ…」
「……履けよ、ヒールでもサンダルでも。その辺の男よりでかくなっちまえ」
「はっ…!?」
「テメーは見上げるよか見下す方がお似合いだわ」
「な……に、それ……ひど…」
「……」
「…鋭利にも…限度ってもんがあるでしょ…!?そんなこと言うために!こんな!」
「あ゙ぁ゙クソッ!」

 一瞬目を逸らして私以外の何かに悪態をついて。彼の利き手が私の頬ごと顎回りを覆った。

「んぐ!?」
「このアホ面角度を俺以外に晒すなっつってんだよ!」
「!!」

 あ、だめ、だめ、また痺れる。変なとこまで。
 千空の手、汗かいてる、力んでる、ほっぺた痛い。

「………手ぇ…いひゃい…」
「ん、おう…」
「優しく…顎に添えるの。…ん、そう。それで…チューするの」
「なっ。……調子乗んな」
「じゃなきゃ…私よりおっきい人に…乗り換えるもん…」
「本気か?テメー」
「本気じゃない…。でもしてよ……だめ?」
「……ならその顔とっととしまえ。もう軽々しく出すな」
「へえ?…んっ」

 顎にあった手が後頭部を支え、限界まで上を向いた状態で唇を受けた。
 初めての体勢に全身が茹って、ごくりとつばを飲み込みそれで繋がりが外れてしまう。

「はあっ」
「…腰きっちぃ」
「うん…」

 意図を察しよろよろと立ち上がれば、千空が椅子を足裏で蹴り、さらに私に寄った。体重までもをかけながら、少し隙間のあった腰に腕が回る。私は腋の下から彼の背を抱く。全部が密着する。
 とにかく熱い。そして苦しい。でも楽にはなりたくない。
 絡めた舌が信じられないぐらい気持ちよくて、前と後ろのどちらに体を預ければいいのか分からなくなってしまった。舌を重ねて震えたと思ったら天井をなぞられ、鼻奥に音のようなものが引っかかり、息と共に抜けていってしまう。
 これ以上は、多分、いけない。

「んーっ、んんんっ…ん〜!」
「っは……何だよ…」
「も、あとは…ぎゅってしてて…」
「…あ゙ー…」
「好きだよ、千空…」
「知ってる」
「やだ、ちゃんと言って…」
「好きだ」
「ひゃう!」
「…ククク、あ゙ぁ、好きだ」
「うーっ、耳、バカぁ…!」

 何が面白かったのか、千空の特徴的な笑い声を至近距離で流し込まれ、ぞわぞわぞわと半身に鳥肌が立った。もがく私、追いかける彼。そして全く関係のないがたんがたんという騒音。
 えっ?

「むっ!?千空ー!帰ったのか!?」
「!!?」
「……ふー…」

 長く息をついて、緩慢な動作で離れていき、逃がした椅子に私を戻してから、千空は身を反転させた。

「いる!ちーと待ちやがれ!」
「おお千空!分かった!」

 白衣を羽織り、いつの間にかけていたらしいドアの鍵を外して、この場に新たに現れた友人、大樹を招き入れる。彼はすぐ私に気づいた。

「珪もいたんだな」
「目にゴミが入ったっつって騒いでな。じっくり診てた」
「大丈夫かー!?」
「…やー、目薬何回も差してもらってやっと流れたよ!もう平気、行こっか」
「まだこれ片してねえっつの」
「ありゃ、ごめん私のせいで。だったらさ、大樹、杠を迎えにいってあげてよ。それで校門前で落ち合おう」
「そ、そうか、では行ってくる!」

 やって来たのも束の間、大樹は再び派手に去っていった。残った私たちは真面目に作業をこなす。と言っても素人の私は器材になるべく触らないようにして、戸棚を開ける程度なんだけど。

「…ね、ね、さっきの。確認だけど、大樹は例外だよね?」
「いや?」
「ほっ!?…ど、努力してみる…。や、でも無理じゃない?見上げずに話すの」
「止めんな思考」
「んんー?……んーやっぱ納得いかないってば!」
「ぐえっ」

 隣に並んで、わき腹に軽くパンチをお見舞いしてやった。ミジンコの千空にはそれでも効いたみたいで気が済んだ。
 本当に挑戦してみようかな、ヒール。ワンピースも、杠に手伝ってもらって一着縫って、それで似合わなければ未練は成仏するし、いけそうなら続ければいい。そうして千空との背丈に差が開いても、デートの時は一番色っぽいハーフアップにしてってお願いするんだ。
 だって彼は、自身が思っている以上に私を好いてくれてるみたいだから。
 恋する女の子は無敵って言うけれど。加えて愛される女の子は宇宙で一番強くなれるかなあ、なんて想像して、私は千空の手を取った。





*****
「千空よりも背が高いことを気にする夢主と気にしていない千空(両想い)」でした。
リクエストありがとうございました。




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