狩りの極意

「珪ちゃん、この実って食べられるんだっけ?」
「えーどれ?……食べられるけど時期が早いよ。熟して黒くなるまで待たなきゃ」
「そっか。じゃあ何日か後にもう一度来てみないとね」

 …何で私、羽京と二人きりで森を歩いているんだっけ?ああそうか、本人に誘われたからだった。
 私たち科学王国と、羽京たち司帝国は戦いを経て仲直りをし、一緒に暮らすようになった。マグマみたいな大柄で高圧的な男が嫌いな私はしばらく馴染めなかったんだけど、羽京はそんな私の不安を見破り積極的に関わってくれて、他の仲間への橋渡しもしてくれた。おかげで誤解は解け(同時に際立つマグマの横暴さ!)、今は楽しくやっている。
 そして、初めて経験する"お休み"を持て余していた私を彼はやっぱり見逃さず、森を探索したいと声をかけてきたのだった。
 羽京。不思議な人。体格が恵まれている訳でもないのにとても腕が立つ。それなのに眼差しは誰より優しい。元司帝国の中でも指折りの狩り手と聞いて納得だ。直前まで殺気を抑えられるその性質は、獣も楽に騙せるだろう。

「珪ちゃん?どうしたの?」
「あ、ううん、ちょっと考えごと」
「ええ?何を?」
「羽京が狩りをしているとこ見てみたいなーって」
「ああ、まあ、何か見つければ獲って帰るのもいいね」
「その弓ってやつ、ホント便利そう。私も習いたいぐらい」
「……」
「?」
「……もう少し、環境が落ち着いてから考えさせて」
「えっ、いいんだそこは。女の仕事じゃないとか言うと思った」

 後ろの彼が止まった気配がしたので振り返る。めずらしく眉間に少し皺が寄っていて、何故か口元を手の甲で隠していた。
 またどうしてだか分からないけれど、そんな彼を目にして胸の奥がごつんと一つ内側を小突いていた。

「しないよ、そういう区別は。危ないからやめてって思うけど」
「何だ、やっぱりダメなの。残念」
「そうじゃなくて」
「なに?どういうこと?」
「終わり終わり。ダメに違いないから、今は。ね?」
「む…じゃあ覚えててよね、ちゃんと。獲物の捌き方のコツ教えてあげたことも。それの対価!」
「ふふ、そうだったね、分かっ、………!!」
「!?」

 ぞわり。唐突に全身に悪寒が走る。
 豹変した羽京に口を塞がれていたと一拍遅れて把握する。

「隠れて」

 彼の覇気に当てられたのか、ほとんど腰が抜けたように崩れていた。彼は右手で唇を覆ったまま器用に反対の手で私を支え、一緒に草むらの中へ身を潜めた。

「獣…多分、ライオン。じっとしてて」
「!」

 何とか小さくうなずき、口だけ解放された。私なりに探ってみたけれど、全く見当がつかない。でも、彼のただならぬ状態からして間違いなく危険が迫っているのだろう。
 そう理解したとたん、ぶるりと全身が震えていた。もしもこの場が私一人だったなら。そうじゃなくても、相手にここを嗅ぎつけられてしまったら。羽京は絶対に私だけを逃がす。それはすなわち、私のせいで彼を恐ろしい目に遭わせてしまうということ。

「……っ」

 引きつる呼吸が声に変わってしまわないよう、今度は自分の両手で息を止めた。ほぼ同時に、腰に回っていた彼の腕に力がこもった。こんなに密着するなんて、得策じゃないのは分かりきっているのにその存在と熱に安堵を覚えてしまう。

「………行ったみたい」
「…ほ…ほんと…?」
「うん。…でも、不安ならもう少しここにいようか」
「わ…」

 ぐいと寄せられ、さらに近づく。胸の中に押し込められていた。

「うきょ…!」
「周りは僕が見てるから。大丈夫、怖くないよ」

 いや、確かに怖いのはあるけど、私だけこんな無防備になるのはどうかと…!
 そういう意図を乗せて身じろいでみたけど、彼は何を勘違いしたのか、いよいよ本格的に私を拘束し始めた。
 な、何で私、頭を撫でられているの!?がっちり両腕で囲まれて目の前の胸板にもたれかかるしかないし、でも膝立ちでしゃがみ込んでいる訳だからあんまり傾くと支えられなくなっちゃうんだけど…!?

「う、きょ、待っ…!」
「しーっ」
「ばか、も、ムリ…!」
「えっ?」

 前方を警戒する彼には懸命に踏ん張っていたことが伝わらなかったみたいだ。さらに頭を押しつけられ、あっけなく限界を迎えてしまった。

「うわあ!」
「わっ…とぉ!?」

 べしゃり。二人してみっともなく地面に倒れ込んだ。
 私に土を浴びた衝撃はなかった。先に転がった羽京の体にのしかかる形になったからだ。

「大丈夫!?」
「…っ」
「どこか痛めてない!?」
「……いて」
「え?」
「いいからどいてってば!もおぉ!人の体ベタベタ触って!」
「わーっごめん!今すぐ!」
「ってかライオンは!?」
「逃げたよ!今ので驚いて!」

 素早く、でも律儀に丁寧に私をどかしてからようやく彼は離れていった。地べたに正座し、何故か帽子を取って胸の前で握りしめ、叱られた子どもと変わらず許しを請う上目遣いを送ってくる。
 ……もう!さっきからドキドキして喉が痛くてたまらないんですけど!?羽京はただ私を守ってくれただけなのに、何でこんな!やらしい!私のばか!

「…珪ちゃん、あの、本当にごめんね」
「別にいい!不可抗力でしょ!?」
「……」
「何で黙るの!?」
「うーん…思ってた以上に手応えあって」
「はあ!?」

 困った眉毛で、でも、眼光をたたえた見たことのない表情で、にこ、とあくまで微笑まれる。

「今の珪ちゃん、すっごく真っ赤だから」

 捉えられた、と本能が悟っていた。さっきまでは姿の見えない獣のもしも。今は、この狩人に確実に。
 そうだ、狩りは時と場合なんか問わない。獲物とチャンスが揃えばすぐさま行動に移すもの。ぎりぎりまで無害と主張して、巧みに手の届く位置まで潜り込み牙を剥くべき瞬間を待つ。
 あぁ、私はとんだ人に心を許していたんじゃないだろうか。
 これは後悔?分からない、ただひたすらあちこちが痺れてる。

「しっ…下心はどこからどこまで…!?」
「あはは、どストレート」
「っ!」
「ごめん。誘ったところから。身を隠した下りは全部事実だよ。君を安心させる手段は…正しい選択肢をわざと捨てちゃった」
「……」
「見損なった…よね」
「…どうだろ…私だって、その、二人きりって判明した時点で逃げてない訳だし…」
「うん…まあ、そうだから僕も調子に乗っちゃったんだけど」
「……」
「……」
「……ねえ」

 今度は気まずそうにうつむく羽京の真ん前で膝を折る。太ももに肘を立てて、手の平で顎を支えて。
 この人は大柄じゃないし、高圧的じゃないし、親切で、狩りも上手で、何より。
 私を選びたいって思ってくれているんだよね。なあんだ、私今、全然嫌じゃないや。

「あなたにだけ教えてあげる。私ね、雄鹿を獲ってくれる人が好みなの」
「!」
「一番美味しいし、皮も角も色んなものに使えるから」
「……」
「だから諦めて」

 男らしいとは言えない大きな緑の瞳がさらに丸くなっている。それからくしゃりと崩れた笑顔に取り替わって。

「うん、任せて!」

 自信満々の噛み合わない返答に、やっぱり普段は完璧に隠す彼こそ私が望んでいた人なのかも、などと改めて実感したのだった。






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