WELL DONE,HONEY

「ちょっとちょっと千空、ひっどい顔してるよ〜」
「……」
「そんな状態で図面とにらめっこしたって何も閃かないって」
「……」
「ねえってば」
「黙ってろ」
「あっ、暴言。暴言ですよこれは」
「は?」
「隙あり!とうっ」
「あ゙!?珪テメー!」

 千空の手にあった大きな紙をひったくり、細長く丸めて向こうへ投げる。それは美しい放物線を描き、壁にすこんと衝突して不格好に広がりながら落ちた。
 彼は厳しく私をにらんだものの、立ち上がる気力も湧かないらしい。がりがりと後頭部を掻いてから、大きなため息をついて大の字に寝転んでしまった。思考の堂々巡りから無理矢理解放させた私への、彼なりの感謝の表現だった。

「どん詰まってるねえ」
「そもそも使える素材が少ねえんだよ。代替案に辿り着くまでにまた別の代替案で妥協する必要がある」
「うーん、分かんない」
「ハナから期待してねえわ1mmぽっちもよ」
「はいはい、さっきから余計な一言出てるよ。私以外の前で口滑らす前に休みな」
「……」

 普段よりさらにきつい物言いになっているけど、私には疲労から来る判断力の低下のせいだって分かってる。雑な扱いをするのは警戒心を解いた信頼の証の一つだ。この程度ならそうやって流せるし、一線を越えたり私の方も余裕がなかったりすると大喧嘩に発展して、それでも後々切り替えて謝るし、謝らせて仲直りする。だから私たちは上手くやれているんだと思う。
 心が広い彼女だって?どうせなら損したくないし否定しないけど、この先の見返りがあるから許容してあげてるだけ。

「マッサージ?ひざ枕?子守唄?」
「……」
「どれか一つだよ」
「……二つ」
「んー、じゃあ何かお返しちょうだいね。はい、うつ伏せ」

 千空が従い、寝返りを打つ。私は小さく笑ってから彼に近づいた。
 案の定、彼の身体はガチガチに凝り固まっていた。早速跨り、背中に手を当て、ゆっくりと押していく。まずは力を抜いてもらうところから、ね。

「…お返し、私にもしてよ、マッサージ。明日でいいからさ」
「んー」
「だから早めに切り上げてよね」
「しゃあねえ、な」
「約束破ったら、言いつけるから、コハクとかに。……よし、じゃあいくよ、覚悟して」

 そう宣言して首の根元に両親指を当てる。何も言わず身構える千空は、自分がこれからどんな目に遭うかよく知っている。知っているのに繰り返すなんて、お馬鹿なのかマゾっ気があるのかどっちなんだろうね。
 ぐりぐり親指を押し込むと、いつも通りの声無き悲鳴が上がった。ここからはもう何かの戦いだ。千空は痛みに耐える。私は指先に集まる負荷に耐える。首が終わったら肩甲骨、腰。仰向けにさせて鎖骨周り、胸と肩の境目。どこも大概だけど、ここは本当にやばい。千空は呻き声を抑えられなくなるし、私も指じゃ歯が立たなくて足で踏み込むことすらある。そこまで行くと二人でぎゃあぎゃあ罵声を浴びせ合って、息を上げて、最後はもはやおかしくなり笑ってしまう。今日はそこまでにならなくて済みそうだ。

「っでぇ〜〜…!」
「悔しかったら普段からご自愛下さいまし〜」
「クソがあぁだだだ」
「はい、これで、最、後っ!」
「ぐぁっ!……あ゙〜〜〜」
「起きれますかぁ?お加減どうですかぁ?」
「…覚えてろよ、明日」
「えー、恩を仇で返さないでほしいんですけど」

 のそのそと千空が起き上がり、何度か首を左右に傾けた。それから一度大きく長く伸びをして、がくんと脱力する。最後に恨めしげな上目遣い。
 でも、それに私はきゅんとときめいてしまう。彼は今、精いっぱいの甘えを私に見せているのだ。

「する?ひざ枕」

 ほら、素直にうなずいた。
 なんて可愛いの、私の彼氏サマは。こんな姿を見られるなんて、多少の暴言なら笑って受け止めてあげられるってものよ。
 彼は私の体側に顔を向けて膝に乗ってきた。本当に疲労が溜まっているんだなって、さっきとは違う感情で胸の奥が収縮してしまった。
 人類の石化からたった一人で目覚めて、ここまで、ここからも、この人はずっと走り続けている。そう在らなければならない。決めたのは彼自身。けれど同時に、自分以外のたくさんの想いを集めて、背を押され続けている。
 こんな時ぐらいは手を引く側になりたい。ちゃんとなっていてほしい。何だってするから。お願い神様、お願い百夜さん。私が間違えてしまわないように、導いて下さい。お願い。

「…えらいよ、千空は。いっぱいよしよしさせて」
「……」
「あぁ〜〜いい子だねえ〜〜〜」
「うぜえ」
「いい子いい子……大丈夫、皆いるからね」
「……」
「私も頑張るから、もっと」
「いらね」
「えっ…」
「もっとだと?余力残しとかねえと詰むわ」
「…うん、ありがと。千空もね、程々に頑張ろ」
「俺は」
「皆程々で、それを集めれば、何かこう、相乗効果になるからさ」
「ククク、んだそれ」
「ね。でもそういうものでしょ、人の力って」
「かもな」
「…ふぁ…」
「あ゙ー、寝るか」
「待ってよ…もう少し、撫でさせて…」

 そう言ったのに、千空は素早く抜け出してしまった。物足りなくて、不満を視線に込める。彼は怯まず笑っている。
 それも面白くないと思ってしまって、デコピンでもしてやろうと手をかざしたけど、あっさり掴まれてしまった。彼が動く。こちらへ近づいてくる。

「えっ……ん」

 気づけばキスされていた。

「………どーも?」
「いや何がだよ」
「嬉しい、し。してもらえるの」
「正直か。クソ、そういう奴だよな珪テメーはよ」
「えへへぇ」
「褒めてねえわバカ」
「私も好きだよ、千空」
「……」
「合ってるでしょ?ふふふ、ありがとね」

 ああ、赤くなった。本当に可愛いね、私だけが知る千空。
 あなたが少しだけ疲れてしまった時、頼ってもいいって思ってもらえるよう、私はこれからも腕を広げているから。この心を開いて示すために。こっちから抱きしめにいくために。






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