silence

 昼間、二人きりで会う約束をした。
 私とゲンにしか通じない方法で。誰かに知られているかもしれないけど、関係は公表しているしまあ別にいい。
 日が落ち、仕事を終わらせてから待ち合わせの場所へ。彼はすでに待っていて、私に気づき木にもたれかけた背を正して微笑んだ。そして左手を差し出す。ずっと黙ったまま。
 少し不思議に思ったけど、普段喋りっぱなしの人がじいと私を見つめる様はとても特別感があった。彼なりの演出なんだろうと、一つうなずいてその手を取った。またにっこり笑む。
 先導されながら、暗がりの草を分けていく。目撃されたら恥ずかしいとやんわり拒否して以来、毎回彼に"その日の場所"に案内されるのが恒例になっていた。いつもどうやって見つけているんだろうという疑問と、どこまで連れていかれるんだろうという何倍もの緊張と期待に支配され、到着する頃には私の心臓はすっかり痛んでしまうのだった。
 さくさくと二人分の足音が響いていく。風が体を冷やす中、繋いだ右手と胸の中心が熱くなっていく。耳が冴え、鼓動が聞こえるようになっていく。喉の奥にまで響き始める。
 私はこれからゲンに、何をされるのだろう。

「……」

 足が止まった。自然に指を解き、彼が振り返る。少しずつ近づいてくる。どきんと後ろめたくなって、思わず周りを確認する体で顔を逸らしてしまった。すると背面に木の幹があったので、もう一度彼を窺う。肯定するように一歩踏み込まれたので、その幹に体を預けた。
 好きな人しか許さない距離。深く微笑んだままの彼から目が離せない。そうしたら、指先をするんと温もりがかすめて大げさに肩が跳ねてしまった。
 いつまで黙っているの、あなたは?私はこの一定のリズムの騒音を早くかき消してほしいのに。
 温もりが指を捕らえ、固定される。闇に慣れた両目が彼の頬のヒビまで認識する。
 早く、苦しくして、そして楽にして。そう願ってまぶたを下ろした。
 けれど、何も動かない。視覚がなくなったことで、より手先の震えを、乱れそうな息遣いを、轟く鼓動を感じ取ってしまう。私だけが一人勝手に沈黙を破り続けている。

「……っ」

 耐えられなくなって視界を開放したら、ほんの間近にまで迫ったゲンがいて、驚きとうとう声を上げてしまった。

「わぁ!あっ……ご、ごめん…」
「ん、俺の方こそメンゴ。遅れちゃった」

 ぎゅうと抱き込まれる。……もしかして、したいことが私とゲンとで違っていた結果、なのだろうか。

「……あの、私…間違えたよね、多分…」
「んーん。俺が珪ちゃんに見とれちゃってたの。だってゴイスー可愛いんだもん」
「ん……えと、その」

 さらに密着され、頭を撫でられて腰に力が入ってしまう。

「ゲン、あのね。照れてるけど、別に、恥かいたとか、そういう風には思ってないよ、全然」
「……ありがと。でもねえ…」

 ゲンが身を起こした。誰にも、昼間の私にさえ見せない眉間のしわ。少し細められた光る瞳。

「これ以上は、"しー"」

 ぴとりと人差し指を唇に当てられる。そして、何を思ったか、彼がその指を隔てて自らの唇を押しつけてきた。感覚は望んだものとは程遠いのに、私はまた勘違いをしてひゅっと息を呑む。
 ゲンがこれまでで一番妖しく笑った気がした。だって近すぎて分からない。
 指が去り、ようやく口づけを贈られ、後頭部を支えていた手の平がくいと角度を変える。私の首も傾き、その隙を突いてにゅるりと熱いものに侵入された。
 私と、伝わった先の彼の体で二倍反響する鼓動も、ちゅくちゅくと口の中をかき混ぜられる水音も、あちこちから上がる衣擦れも、みんなみんなどんどんうるさくなっていく。

「……っ……ふ…」

 首の後ろを撫でられてぞわぞわ、キスとは違う反応が生まれてしまう。ゲンの上着を握りしめ、まるで逃げるみたいに左右に悶えてしまったけど、その度に彼は許さず逃さず、新しい刺激となって私をさらに追い詰める。

「…!……っ」
「ん……ふふ、言うことちゃんと聞いてるの?可愛い、いい子だね」
「んっ…」
「でもね、前言撤回。やっぱり聞かせて、きもちい声」
「!そ、外…外ぉ…!」
「うんうん、だから行こうね、俺の部屋」
「あっ、だめ、行く、から…!」

 移動しようって提案したはずなのに、彼は耳を食むのをやめてくれない。丁寧にふちを柔らかいもので挟まれ、びりびりして恥ずかしくて、目の奥が熱い。

「ゲン、だめ…!」
「……ん、うん、メンゴ。でも拒んじゃやだ。ごめんね」
「あっ…待って、ゲン。連れてって、ちゃんと。ゲンだけがいい…!」
「………珪ちゃん」

 呼吸を荒げた彼がきゅっと口を結んでおでこを当ててくる。ふーっと長く息をついてから、ひと動作で真っすぐ立ち直した。

「メンゴ、かっこ悪すぎ。怖かったよね、ジーマーで」
「……」
「頭、冷やして…」
「嘘つき」
「!」
「……」
「………はあーー…もー…好きぃ…」

 今度こそ、願いは一つになって抱き合った。

「私も好きだよ」
「ありがと…。……あのね、珪ちゃん。今日はね、何か、ゴイスー珪ちゃんが恋しくて」
「うん」
「だから何か、喋れなくて、一回ぎゅってしたら、落ち着くかなって。でも…んん、メンゴ、珪ちゃんのせいじゃない。何も言わなかった俺が悪い」
「…私も…」
「うん…?」
「私もずっとドキドキしてた。黙ってるあなたに…何されるんだろうって」
「…今も?」
「……今も」
「うん…うん…可愛い。好き。いっぱいチューする、なでなでする」
「……」
「なでなでして、言わせたい、もっとって」
「…あのさあ」
「ふふ、じゃあこの辺で黙るね、部屋まで。着いたら再開するから。いつも通りのお、れ♪」

 にこぉって、意地悪な顔だ。でも嫌じゃない。だって武器としてのそれと違って全く裏がないんだから。その感情を隠さず全部、私にぶつけているんだから。
 そうしてまた、私は口を閉ざした彼に手を引かれ、止まない騒音にしばし耐える。






- ナノ -